表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ショートショート通信  作者: 小林小話
8/9

時を超えて君を愛せるさ

 タイムマシンが完成した。


 これは悪魔の発明だ。私は自身の発明を嫌悪する。この技術が世に出れば、社会の混乱は免れないだろう。タイムパラドックスが現在の生活にどのような影響を与えるのか、悲劇的すぎて考えたくもない。


 私は現状に満足している。より具体的に言うならば、私は妻に満足している。

 

 いや、満足という表現は適切ではない。可憐さの結晶ともいうべき妻と結婚できたことに、運命の神様に感謝の祈りを一日三回は唱えたくなるほど、感激している。気品ある蓮のような妻の微笑みと共に一日がはじまり、水仙のように淑やかな妻の寝顔と共に一日が終わる。こんな幸せがあるだろうか。もしタイムマシンによって運命がねじ曲がり、妻と結婚できないという暗黒の世界に放り出されでもしたら。そう想像するたび、この発明を破壊してしまいたい衝動に駆られる。


 そんな悪魔の機械をどうして私が発明したのか?


 もちろん理由は妻にある。


 話は私と妻との馴れ初めへと遡る。


 あれは私が高校二年生の頃の出来事だった。


 一際冷たい寒風が吹くある冬の夕方、私は小腹でも空いたのかコンビニへと歩いていた。私の心の内では、その寒風にも負けず劣らずの、恋の大嵐が吹き荒れていたので、そんな寒気もものともしなかった。私はその時既に、一つ年上の大層麗しい女性に――今ではその女性を妻と呼べることの何と幸福なことか――恋をしていた。片想いだった。吹奏楽部という部活動こそ一緒だったものの、特に接点があるわけでもなく、交わした言葉は片手に余る程度だったように思う。にもかかわらず、まるでS極がN極に引き寄せられるかのように、私の心は自然と、強烈に、彼女に引きつけられた。しかし、彼女は学内の誰もが羨むような、一目置かれる存在であったのに対し、私はどこにでもある路傍の石ころに過ぎなかった。高嶺の花とはこのことで、私の恋の大嵐は島のないただっ広い海洋上で巻き起こるように、何事もなしえなかった。

 

 この時までは。

 

 私がコンビニへ歩いていると、向かいから、彼女が歩いてくるのが見えた。私の家は高校から近くだったので、何らかの用事で残っていた学校帰りの彼女に出会うことは可能性として十分ありえた。途端に私の嵐は唸りを挙げた。すれ違う渡り鳥でも呑みこんでしまおうかというほど、荒れ狂った。一歩一歩と、私と彼女の距離は近づく。何か話しかけるべきだ、と思った。千載一隅のチャンス。急速に仲良くなれるようなことはないにしても、ここで何らかの印象を与えることで、路傍の石ころから通学路の街路樹程度には地位を高められるのではないか。何も行動しなければ、何も変わらない。

 

 彼女の姿が大きくなる。早く何と言うか決めなければ。時間が足りない。何と話しかけるべきか、一週間は熟考する必要がある。しかも、私の心理状態はとても物事を考えられるようなものではなかった。嵐が魚を巻き込み、鳥を飲み込み、船を吹き飛ばしていた。手のつけようがない。なんでもいい、なんでもいいから何かを言わなければ。焦りが空回りするばかりだ。


 結局、言葉は見つからず、深い後悔を残して彼女とすれ違おうとした時、彼女が肩にぶつかった。慌てて、どうにか肩を抱いて受け止める。彼女の髪が鼻先をくすぐり、良い香りがした。


 目の端に、去っていく人影が見えた。あの人影が彼女を突いたのだろうか。許せない、と私は怒りに燃えた。素晴らしい美術品が危機に陥ったかのような、文化的な義憤を覚えた。急いでその人影を追ったが、どこにも見つからなかった。人影を追ってすぐに、こんなことよりも彼女の安全を確認すべきだ、とすぐに引き返したせいだ。


 その後も紆余曲折がありはしたが、このことがきっかけで、私は彼女と結婚することができた。はじめはあの人影に強い怒りを覚えたが、彼女と親しくなるにつれて、彼女には悪いが感謝するようになった。彼女に暴力は振るったことは許しがたい大罪であるが、結果的に言えば恋のキューピットともいえる。この事件がなければ、彼女と親しくなることはなかっただろう。「あの事件がなかったら、わたしたちは結婚しなかったかもね」とは妻の弁だ。


 その後、時間移動の研究に携わるようになり、そしてある時、私は気づいた。もしかして、あの時彼女を押したのは、未来からやって来た私自身なのではないだろうか。事件の犯人は事件で最も利益を得たものというのが鉄則だ。


 間違いなく、あの事件で一番利益を得たのは私だ。未来の、彼女と結婚できなかった私が、あの時に接点を作っておけばという後悔を拭いされず、タイムマシンで私を助けてくれたのではないだろうか。


 考えれば考えるほど、そうとしか思えなかった。私の人生において彼女以上の女性に出会うことなどなかった。つまり、彼女と結婚できた現在の私は幸福に満ちているが、もし彼女と結婚できなかった私の人生が存在するなら、それは薄暗闇の洞窟のような、悲哀に満ちたものに違いなかった。

 ならば、私も過去の私を救う必要がある。過去に行き、若き日の妻を突き飛ばさなければならない。そのために、私はタイムマシンを発明したのだ。




 全身を黒ずくめのタイツに包み、歩道の脇に身をかがめる。寒さに膝が震える。場所は間違えようがない。高校を出て一つ目の信号を曲がりガソリンスタンドとCDショップの間の空白の一メートル。ここが私と彼女の馴れ初めの地だ。敬虔な信者が聖地の場所を忘れないように、何年経とうと、私がこの場所を忘れるはずがなかった。


 しばらく待つと視界の両端からこの時代の僕と彼女が現れた。少しずつ、距離が縮まる。この一瞬に、僕の人生がかかっている。失敗は許されない。そのことを、この時代の二人はまだ知る由はない。息を整え、寒さに耐え、その時を待つ。


 彼女が僕の前を通りかかる。


 今だ、押せ!


 そう念じるが、身体がぴくりとも動かない。何をしてるんだ、早くしろ、と心の中でいくら檄を飛ばしても、動かない。金縛りにでもあったかのように、硬直している。彼女を突き飛ばすことを、私の本能が拒否している。彼女と結婚するためだ。彼女は怪我しないんだ。いくら言っても効果はない。彼女を押すという、荒野に咲いた一輪の花を踏みつぶすような蛮行を、私の本能は許さなかった。その思考はそれはそれで尊重されるべきことだが、今はその限りではない。将来がかかっているのだ。今だけは特例として蛮行も黙認しなくては、暗黒の未来が待っている。


 しかし、私の身体は動かない。絶望的な思いで、膝を突いたまま、夫婦となるべき二人がすれ違うのを見届ける。これで、この時間軸の私が彼女と結ばれることはなくなるだろう。そう思うと、自分自身に申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。いや、問題はそこにとどまらない。時間の再編システムにより、私自身も妻と結婚しなくなることもありえる。


 全ては、妻が愛らし過ぎるのが原因だ。そう考えれば、まあ仕方ないかと諦めがついた。


 二人がすれ違い、反対方向に足を進め、その距離が離れていく。まるで二人の未来を暗示するかのように。


 そう思っていた。しかし、目の前の光景は私の予想を裏切るものだった。


 彼女が立ち止まり、過去の私を振り返っている。そして、慎重な足取りで距離を詰め始めた。聖戦に赴くジャンヌダルクのような、静かな決意に瞳が美しく揺れている。寒さのせいか、頬が林檎のように赤く燃えている。


 程なくして、彼女は飛んだ。過去の私は驚きながらも、どうにか彼女を受け止めている。彼女を守った自分に、よくやった、と喝采を上げたくなった。すると、過去の私と目があった。親の仇でも見るかのような、射すくめるような真っ直ぐな敵意に恐れをなし、私は一目散に逃げ出した。濡れ衣だ、と叫んでも聞く耳を持たないことは、私が一番よくわかる。


 近くの駅横の駐輪場まで逃げてきて、ひと息つく。過去の私が追いかけてきている様子はない。追いかけるのは止めて、彼女の保護へと引き返したのだろう。正しい判断だ。


 寒空の下、一人、どういうことなのかを考える。


 簡単に言えば、勘違いしていたわけだ。


 そもそも、私は何を根拠に片思いだったと決めつけていた?


 結局、タイムマシンなんて私の取り越し苦労だったということだ。安心したような、肩透かしを食らったような、何とも言えないもやもやした気持ちだ。しょうがない。時間移動における食品への影響について調べるために、ケーキでも買って帰ろう。妻が好きだった洋菓子店が、ちょうどここから歩いてすぐの距離にある。


 こんな気分の時は、妻の喜んだ顔を見るのが一番だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ