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ショートショート通信  作者: 小林小話
2/9

叶う

 これは、遠い昔のお話。夢見る少女のお話。

 平凡な家の、平凡な両親のもとに生まれた少女は、平凡な愛に囲まれて、すくすくと育ちました。

 ただひとつだけ、平凡でなかったのは、彼女の夢。

 彼女の夢は、魔法使いになること。

 お話の中に出てくる、不思議な呪文を唱え、しわ枯れた声で笑い、意地悪で、黒い帽子とローブに身を包んでいる魔法使いに、少女は憧れました。その、平凡な生活を超越した怪しげな存在感が、彼女にはとても眩しく映りました。他の子供たちがお姫様になることを夢見るように、少女は魔法使いになることを夢見ました。

 他の子供たちが年をとるにつれ、夢から覚めていく中でも、少女は夢から離れられませんでした。少女が成長し、妻となり、母となっても、まだ夢は覚めません。

 それでも、愛しい愛しい娘を見つめている間だけは、彼女は夢から覚めていられました。この子の成長を見守る幸せに、なんの不満があるだろう。そう考えることができました。

 ある日のことです。彼女は娘の夜泣きで目が覚めました。どうやら、お腹が空いたようです。彼女は娘をあやしながら、娘にお乳を飲ませてあげました。娘を胸に抱きながら月をぼんやりと眺めていると、黒い影が彼女の視線を横切り、森の奥へと流れていきました。それを見た途端、彼女は驚きのあまり言葉を失ってしまいます。

 なんと、その影は箒にまたがる人の形をしていたのです!

 それを見た途端、娘への愛情に押さえつけられていた彼女の夢が、むせかえるほどの熱をもって湧きあがってきました。ずっと、ずっと、胸の内でくすぶっていた夢。それが急に手の届くところに降りてきたような興奮に、彼女はいてもたってもいられませんでした。彼女は娘をほうって、魔法使いになるために、家を捨てて飛び出していきました。彼女の夫はそれを止めることができませんでした。彼女の秘めた情熱が、自分や娘以外のところに向けられていることに、気づいてしまっていたのです。

 彼女は影が向かった先を目指して、森の奥に入っていきました。夜の森は鬱蒼としていて、木々は風に揺られてざわざわと囁きます。遠くからは獣の遠吠えが聞こえます。まるで、森が彼女の侵入を拒んでいるようでした。ですが、そんなことでは彼女の情熱を遮ることはできません。彼女はずんずん、まっ暗な森の奥へと進んでいきました。

 しかし、平凡に育ってきた彼女は、森の歩き方を知りません。何度も転んだり滑ったりを繰り返し、自分が今どこにいるかも、どこを向いているかも分からなくなってしまいました。地面に生えるいばらに、彼女の足は傷だらけになりました。しまいに、踏み出した足が柔らかい感触にぶつかりました。足を上げようとしても、地面に捕まったように、ずるずると引っ張られていきます。底なし沼です。どうにか出ようと彼女はもがきますが、もがけばもがくほど、どんどん沈んでしまいます。泥が口の中に入ってくるまで沈んでしまった彼女は、そこで意識が途絶えました。


 彼女は藁敷きの簡単なベッドの上で目が覚めました。最初は天国かと思いましたが、服は泥だらけのままでべたべたとし、建物の中にいるものの隙間風が寒く、天国だったらもっと快適でいられるに違いないと、彼女はここが天国でないことに気づきました。

 やがて扉が開き入ってきた人物を見て、彼女は飛び上がるほど驚きました。黒い帽子とローブに身を包んでいるその姿は、彼女の知る魔法使いにそっくりだったからです。

 魔法使いが不思議な呪文を唱えると、彼女の前に、なにもないところから、突然、青色のシチューが現れました。そのシチューを見て、彼女は今まで忘れていた空腹を急に感じました。青色のシチューはおいしそうではありませんでしたが、目をつぶって食べました。すると、一口食べただけで不思議と身体に元気が戻ってくるのです。彼女はこの人物が、箒に乗って空を飛んでいた影の正体で、魔法使いだと確信しました。

 元気になったら帰るんだよ、と言う魔法使いに、彼女は、わたしも魔法使いになりたいんです、と頼みこみました。何度も、何度も。魔法使いはついに観念して、言われたことは何でも守ること、街にはもう戻らないことを条件に、認めてくれました。彼女がその条件に即答すると、魔法使いはイーヒッヒッヒッと、しわ枯れた声で笑いました。

 それから、彼女は夢のような日々を送りました。何年も、何年も。魔法使いの身の回りの世話も、ぶ厚い本を開いての勉強も、実験の失敗も、苦ではありませんでした。魔法使いになるための準備だと考えれば、苦しいことも楽しく思えたのです。それに、お話で聞いた魔法使いと違って、この魔法使いはそこまで意地悪ではありませんでした。

 彼女は幸せでしたが、たったひとつだけ気がかりがありました。それは、街に残してきた娘のこと。街から流れてきた鳥たちから、娘は新しい母親とその連れ子に虐げられ、つらい生活を送っていると聞きました。自分が夢を追いかけたせいで、娘が苦しんでいる。そう考えると、彼女は胸が張り裂けそうになるのでした。

 彼女は魔法使いにお願いしました。街に戻って娘の助けになりたい、魔法を娘のために使いたい、と。何年もの修行で、彼女はもういくらかの魔法は使えるようになっていました。しかし、約束が違うと魔法使いは聞き入れてくれません。彼女は何度も何度も頼みました。娘のことだけが、彼女の心残りだったのです。その必死さに、ついには魔法使いも折れて、一日だけ、という条件で彼女の願いを認めました。街に戻れるのも一日だけ、魔法の効果があるのも一日だけ、という条件で。

 彼女は悩みました。娘のために使えるのは、たったの一日だけ。その一日で、どうすれば娘を幸せにできるのか、頭をひねりました。

 彼女は、娘に願いを込めた贈り物をすることにしました。それなら、魔法使いの条件に触れず、何日も娘を助けることができると考えたのです。彼女は長い年月をかけて、その贈り物を作りました。魔法もなにもない、ただ、娘の幸せを願う想いのこもった、透明に光り輝く靴を。いばらの道を歩いても傷つかないように、その輝きで底なし沼を避けられるように。

 彼女は一日だけ街に戻り、娘に会いました。十年以上も会っていませんでしたが、一目で娘だと分かりました。彼女は自分が母親だとは明かしませんでした。今更、そんなことを言える資格は自分にはないと思ったのです。自分は、ただの通りすがりの魔法使いだと告げました。そして、魔法で娘を助けるとともに、贈り物を渡しました。自分の願いが、娘を幸せに導いてくれることを祈って。


 そういうわけで、零時になり魔法が解けた後も、ガラスの靴だけは残り、シンデレラを幸せに導くことができたのです。

 めでたし、めでたし。

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