ドッペルゲンガーパラドックス
僕と僕が向かい合っている。
矛盾した表現に思えるが、例えだとか比喩だとか、そういった類のものじゃない。現状を、ありのまま、端的に表現しただけだ。混乱を少しでも解くように、より具体的に表現するならば、扉を開けて部屋に入った僕と、部屋にいてソファにもたれている僕が向き合っている。互いに動きを止め、呆気にとられたように、焦点の定まらない視線を相手に投げかけている。姿は全く同じだった。美容院で左右アンバランスに整えられた髪型から、ジーパンに茶色のダウンジャケットを着こんだ服装まで、何から何まで同じだ。
しばらくして、「「どなたですか」」と言う言葉が重なった。声の大きさ、高低、タイミング。どれも同じな二つの声が室内に響いた。その事実に動揺を激しくし、目を泳がせる。行き場を失くした二人分の視線が、所狭しとワンルームの空間をさまよう。答えをもらえず、宙に浮いた問いかけの答えを探すかのようだ。
またしばらく間が空いた後、扉を開けて入った僕は靴を脱ぎ、部屋の中に入った。両手に掲げたビニール袋がジーパンに擦れ、かさかさと耳障りな音が鳴った。居間に上がり、ソファに座ったままの僕を見下ろす。対抗するように、僕は慌てて立ち上がる。鏡合わせのように、同じ姿形の二人が向き合った。
またも、同時に口が開く。
「「出て行ってください」」
「「ここは僕の部屋です」」
「「あなたは誰ですか」」
一連の流れを同時に口にして、同時に顔を歪める。もしや、と頭の中に一つの仮説が浮かび上がる。
ドッペルゲンガ―。
なにせ昨晩暇つぶしのネットサーフィンで調べたばかりだから、よく知っている。世界には同じ顔をした人間が三人いるとよく言われるが、そのそっくりな人間、またはそれと出会う現象をドッペルゲンガ―と言う。
ドッペルゲンガ―の特徴として、
①全身像は少なく、頭部、上半身などの部分像が多い。
②平面的だったり、透明な姿だったりする。
③表情、衣服、年齢などが異なることもある。
などがあるらしいが、今目の前にいる相手はどれにも該当しない。全身があり、立体的で、表情、衣服、年齢まで同じに見えた。
それにしても、昨日調べた途端にこんなことになるなんて。もしくは、調べたこと自体が、この現象を呼び寄せたのか。
「誕生日は」
「十月二十日。年齢は」
「二十六。出身は」
「茨城。血液型は」
「AB。職業は」
「銀行員。趣味は」
「登山。好きなアーティストは」
「ビートルズ。中でもお気に入りは」
「Get Back」
オカルトに興味はあるも欠片も信じない性質であるが、こうなるとドッペルゲンガ―としか思えない。ドッペルゲンガ―が、僕になり代わろうとしている。僕が僕であることを、ドッペルゲンガ―相手に証明する必要がある。僕は、僕も、そう考えているはずだ。
「僕の部屋にいたんだから、僕が本物だ」
「僕が鍵を開けて入って来たんだから、僕が本物だ」
僕がポケットから鍵を取り出すと、対応して僕もポケットから鍵を取り出す。
「部屋の中でダウンを着ているお前が偽物だ」
「暖房の故障を知らないお前が偽物だ」
このままではらちが明かない。
なら、どうする?
今までの流れから、ドッペルゲンガ―側も僕と同じことを考えているだろう。
「今日は何をしていた?」
「彼女と昼食後、映画を見て帰って来たところだ」
「僕は彼女と映画を見てから、昼食をとって帰って来た」
映画と昼食の前後関係こそ違うものの、昼食、彼女の名前、見た映画まで同じだった。
「ちなみに感想は」
「二度と見ない」
僕は彼女に電話をかける。二重のコール音が四度鳴り、彼女が電話に出る。彼女が、何らかの証明になるのではないか。
「「どうしたの? 何かあった?」」
スピーカーモードの二つの携帯から、同時に同じ声が流れる。同じ大きさ、同じ高低。あまりの驚きに、携帯を放り投げてしまう。がたがたんと、二つの携帯が連続して床を叩く。僕はそれを拾おうとして、少し悩んでから相手が落としたほうを拾った。白いボディに黒色のプラスチックカバー。同じ形の携帯が交換される。
「「無事家に帰れたか、ちょっと心配になって」」
「「そう、ありがとう」」
相手のスマホから聞こえる彼女の声は、自分がよく知っている彼女のそれだった。聞き終わる前に、通話を切った。
狐につままれたような気分だ。だが、認めるしかない。仮説は、確信に変わる。この相手は僕だ。矛盾した表現になるが、目の前にいるのは僕としか考えられなかった。
昨日ドッペルゲンガ―について調べていた時、なんとなしに考えていた問題が、むくりと起き上がって来た。
部分像や、透明などといった、一目で分かるような特徴を持たないドッペルゲンガー現象では、どちらをドッペルゲンガ―と言えるのだろうか。主観に立ってみれば自分が本物で相手が偽物だ。しかし、もう片方の主観に立ってみればその区分は当然入れ替わる。つまり、両者とも本物であるとも言えるし、同時にドッペルゲンガ―であるとも言える。本来、自分が自分であることは疑いようのない事実であるが、ドッペルゲンガ―を前にすればその前提は崩壊する。相手をドッペルゲンガ―だと認識することは、逆説的に自身がドッペルゲンガ―でもありうるというパラドックスに陥ってしまう。
「何を考えてる?」
「きっと同じことだろう?」
僕は同時に、部屋の隅に立てかけていたピッケルを一本ずつ掴んでいた。雪に深く刺し込めるように、先端は鋭く尖っている。剣のように、身体の正面に持ち、相手の鼻先に切っ先を突きつける。そのまま、睨みあう。緊張からか興奮からか、二つの切っ先は小刻みに震えている。
ドッペルゲンガ―のパラドックスを解消するには、一つ方法がある。ドッペルゲンガ―に会うと、その本人は近く死んでしまうと言われている。つまり、ドッペルゲンガ―現象では、死んだ方が本物で、生き残った方がドッペルゲンガ―ということだ。
「僕を殺すつもりか」
「お前こそ。僕を殺して僕になるつもりだな」
「僕は殺されたくないだけだ」
「僕もだ」
「分かっているのか? もし僕を殺したなら」
「僕がドッペルゲンガ―の証明になってしまう。でも僕は違う」
「違うと言うなら去れよ。本物なら相手を殺したりしないんだ」
「ここは僕の部屋だ。お前が去れ」
「僕の振りをするな、偽物!」
その叫びを皮切りに、僕は僕に襲いかかった。ピッケルで即頭部を殴る。切っ先で脇腹を突く。鼻を殴る。髪を掴む。急所を蹴る。馬乗りになる。目を突く。腕を噛む。歯を折る。頭突きをする。首を絞める……。
やがて、僕の動きは止まる。
静寂が、部屋を支配する。
頭が痛い。眩暈がする。鈍い頭に鞭打ち、しばらく考える。
そうして、ついに、僕は理解した。
そうか、僕がドッペルゲンガ―だったのか。
僕は隠れていた衣装棚から出た。鉄臭さが部屋中に充満している。鼻をつまみつつ、僕はさっきまで争い合っていた二人の僕に近づいた。一人は力なくその場に座り込み、もう一人はうつ伏せで横になっている。生きているのか死んでいるのか、僕に気づいた様子はない。座っている僕を軽く押してみると、そのままゆっくりと倒れた。まるで人形のようだ。血まみれの人形が二つ、揃って転がっている。
僕は床に放られていた、どちらのものか分からない僕の携帯を手に取った。落としたせいか、カバーの端が欠けている。また今度新しいカバーを買いに行かなくちゃな、とため息を吐く。数コール後に、見知った彼女の声が聞こえた。僕はさっき突然切ったことを謝り、来週のデートの約束をして、愛する彼女にお休みを告げる。