表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

彼氏問題

作者: ひな

彼氏問題


 彼は名門私立大学の学生。背が高く、目鼻は整っている。立ち振る舞いはスマートだが、笑う顔は無邪気に映り周囲の者から警戒心を奪う。勉強に関してはもちろん優秀で、教授たちからの覚えもめでたく、同級生から頼られるとレポート作成を手伝うようなお人よしぶりであった。

 彼女はそんな文句なしの彼氏とサークルの新入生歓迎会で出会った。ほとんど何もしゃべらない彼女を集団の中にいた彼が連れ出してくれたことがきっかけだった。そのサークルにはもう行くことは無かった。

彼女には一人暮らし用のアパートがあったが、自然と彼の家に帰るようになった。休みの日には二人で遊びにも行った。学科の勉強が忙しい彼に対してご飯を作るようになり洗濯をするようになり気づけば彼の為にあらゆる家事を請け負っていた。

 それをたまに人と話すときに言えば「大変だね」「嫌にならないの」と言われる。実際彼女は、彼のそばを離れて、アルバイトをしてみたいとは思っていた。高校での私服を大学生になっても着まわしていることが少しだけ恥ずかしくなってきていた。お金を貯めてブランドの財布を手に入れた同級生を羨ましく思っていた。また、一度だけでも朝まで友人と騒いでみたい気もした。しかし、人とまともに関われそうにない自分がそれらにたどり着くまでの道のりは果てしなく遠く、現実味がない。

加えて彼女は自分の日常が嫌いではなかった。彼のことは好きだし、周りにも羨ましがられる。彼はことあるごとに感謝してくれるし、彼の力になっている自分が誇らしくもあった。そうでなくても、彼女には没頭するような趣味も飲み会に誘ってくれるような友人もいない。「彼がいなければ自分は何をしていたのだろう」と本気で思い悩む時も少なくなかったのだ。

 ある夜のこと。彼は次の日の試験に向け、最後の追い込みをしていた。その姿をはらはらとしながら見ていた彼女は、何か彼の助けになれないかと申し出ると、彼が甘いものが欲しい、というのでコンビニに向かった。

 彼が欲しいものが確実にあるように、プリンやチョコレートなどいくつか見繕ってレジに持って行った。ふと自分が夕食を食べそびれていたことに気づいた。彼には、片手で食べられるようにおにぎりを渡した。それで炊いた米は無くなってしまっていた。目についたスパゲッティをかごに入れ、レジに向かった。

若い男の店員(以下同様)だった。同じ大学かもしれない。あたためますか、と聞かれ、すぐにでも食べたかった彼女は、お願いします、と答えた。スパゲッティをあたため、他のものをレジで打っている手元を彼女はじっと見ていた。少し日に焼けている手が規則正しく左右に動いていた。がたいもいいし、運動部かもしれない。ちょうどすべて打ち終えたとき、彼女の腹が鳴った。自分でも聞いたことのない大きな音に彼女は赤面した。前を見ると定員は何も変わらない表情だ。聞かれていないと思った彼女は安心して、あったかくなったスパゲッティを受け取り、外に出た。

 彼は買ってきたものの中からプリンを選んでお礼を言った。「優しいんだね」「君がいてくれてよかった」と言ってくれた。彼女は満足して離れたテーブルでスパゲッティを食べようとすると、パッケージに何か書いてあるのに気づいた。

「×××―××××―×××× 話したいと思いました 十一時以降連絡してきて」

彼女の脳は沸騰したようになった。こんな経験は今までにない。当然、彼がいる以上行くべきではないとは思ったが、それでもすぐには決断できなかった。むしろどうすれば行っても良いことになるだろうと考えていた。最終的に、行くだけだ、と言い聞かせて

「十一時から友達と話してくる」と言うと

「珍しいね、行ってらっしゃい。俺はもう少し追い込むよ」と言った。

彼女は彼に感謝するどころか、どんなに愚鈍で自分本位な人なんだろうとうんざりした。彼の為に時間をかけておにぎりを握ったことや、コンビニで支払った金額が思い出され、一気に感情が冷めていく。彼女は彼を捨てた気になって部屋を出た。

 アパートの前の公園から電話を掛けると、定員は居場所を聞いてすぐに来てくれた。ボリュームのあるダウンジャケットで、元々大きいガタイはもっと大きく見えた。

「ありがとう、連絡くれて。ご飯食べた?」

少し笑って定員は言った。彼女は顔も見れずに首を振った。顔が熱い。こんなに緊張したのはいつぶりだろうか。そのまましばらく沈黙は続いた。

「寒いし、家くる?」


 それから彼女はその定員の家で過ごすようになった。思った通り同じ大学の学生だった。見た目はすこし武骨だがフレンドリーで、運動部に入っていることあって友達も多く、彼が参加する飲み会に彼女として参加することも多かった。

 彼の彼女というだけで色々な人と話した。女の子には安い服を手に入れる方法を熱心に教えてくれる人もいた。彼女は新しい世界がどんどん開けていくような気がした。

 ある日学校にいると、彼の友達から飲み会に誘われた。「行く」、と息をするように答えた自分に彼女は驚いた。

 言われた居酒屋にいくとすでに十五人くらいの人がいた。彼の姿を探したが、どうにも見つかりそうにもない。なにかいけないことをしているように思いながら、彼の友達と話し、笑った。それをいくつも繰り返しているうちに視界がぐらつくようになり、意識が途切れたかと思うと、目を覚めたときには彼の家のベッドにいた。隣では彼背を向けている。暗い部屋の中で携帯の画面が光っていた。

「運んでくれたの」

「まあね」

「ありがとう」

「どういたしまして」

怒っているようではいないようで、彼女はほっとした。同時に、今日の飲み会を反芻し始めた。徐々に脳が溶けていくような感覚はとても心地よかったように思える。自分の発言に笑った男の様子なんかを思い出して彼女が恍惚としていると

「でも、ああいうのはあんまり似合わないし、恥ずかしいから、家にいた方がいいかもね」

やっぱり怒っているようではなかった。ただの寝る前のつぶやきだったが、それに彼女は一気に何かに閉じ込められたのだった。思い返すいくつもの飲み会や応答が色あせていく。

彼の背中を見つめながら、ベッドに自分の身体が沈んでいくような気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ