三話
「――それで、出発はいつなんだ?」
ハマノ一佐による訓示が終わり一同会議室から出て各々の職務に就く。
一佐と、そのすぐ後ろをついて回る側近たちの後に続いて部屋から出た俺はミヤタにブリーフィングで触れられなかった出発までの猶予について訊いた。
「着替え次第、直ちにヘリに乗って現場まで行きます」
予想通りの返答が返ってくる。
「りょーかい」
怪獣出現の報が有ったならば即応的に出撃しなければならないことは明白だ。本来ならば敢えて訊く必要すらない無駄。しかし、その無駄が俺にとってどのような位置づけで、どうして省かないのかを目の前の彼女は知らない。これは普段の遊民から有事の卜者へと切り替えるためのスイッチ。イニシエーションの一つなのだ。
この確認作業の一つ一つが、普段の緩み切った生活を徐々に戦場へと引き戻す。慣れさせる。鮭が汽水域に留まるように。
でも目の前の彼女はそこまで俺のことを知らないし、第一印象から嫌ってきた者に教える義理も必要も無い。
予想通り、ミヤタはどうしてわかりきったことを訊かれなければならないのかと言わんばかりに眉をひそめてから、「では」と形式的に一礼して更衣室へと去っていった。
俺も一人になったことだし戦闘服に着替えるとする。
戦闘服というのは一般に自衛隊と聞いて思い浮かぶ迷彩服のことだ。
ミヤタのような技官にとって着る機会が少ない戦闘服も、怪獣専門の走査技官となれば話は変わってくる。
走査技官は走査機の扱いだけでなくシキガミ・ドローンの制御、データリンクシステムの調整とざっと挙げられるものだけでも多岐にわたる技量を要求され、さらに戦闘が始まれば状況に応じて走査に適した、見晴らしが良い地点まで迅速に移動しなければならない。
謂わば動けるシステムエンジニアといった贅沢な人材が要求される。
このように技官といえども前線に出なければならないので当然戦闘服を着る必要があるのだ。
一方俺の戦闘服はこれとは大きく異なる。
陰陽師は自分より三十倍近い大きさを誇る怪獣と相対しなければならず、遠距離はともかく至近距離まで接近して囮さえも務める必要がある。そのためそれ専用の戦闘服が用意されているのだ。
その陰陽師用戦闘服の制式名称を九三式戦闘浄衣という。
囮となるためのビーコンから怪獣に吹き飛ばされた際に展開するエアバッグ、俺の脳と走査機とのデータリンクに使用するための烏帽子に格納されるアンテナ、そして身体能力を補助する機能までついてくる優れものだ。
愛称は「狩衣」。現代の陰陽師は奇しくも千年前と同じような服を着て怪異に抗するのである。
未だ技術が成熟しきっていない身体能力補助とエアバッグを一つの戦闘服収めるためにその見た目は平安時代そのものといっても差し支えなく、実際に着る側として見れば「もう少し何とかならなかったのか」と言いたくなる代物に仕上がっている。
だいいちこれでは平安時代辺りの本物ではないか。俺も本物に違いないが。
さらに言えばこの狩衣、身体能力補助を切っている時は動きにくいこととコスプレ感満載の見た目を除けば大変すばらしい兵器であることは間違いないのだが、一人での着用が難しい。
空気圧を利用したエアバッグや身体能力補助などの機能を十全に発揮させるためには、狩衣のインナー(単にこれを指して浄衣とも呼ぶ)を真空パックの如く体にフィットさせる必要がある。
また、狩衣らしいひらひらとした袖や裾、帯の繊維は人工筋線維がタコの要領で光を屈折させることで見た目が変化するというもので、これは光学迷彩として機能する。これも浄衣に対し適切な塩梅で着せなければならない。
加えて、走査した怪獣の姿かたちを感覚的に脳へと送信するデータリンク、その受信機であるアンテナから脳に情報を送る電波の出力や波長の調整を行う(脳に電極を刺すわけにもいかなかった結果らしい)ともなれば最早一人で着ることは不可能なのだ。
そんなわけで通常、狩衣の装着には被装着者たる陰陽師、狩衣の開発者、筋電技師、人間工学技士、脳神経医、電波技士、そして走査技官の計七名が必要となる。
筋電技師がインナーの点検。人間工学技士が浄衣の空気圧の点検と真空包装めいた装着そしてエアバッグの点検。開発者は浄衣を覆う光学迷彩の点検。脳神経医と電波技士はデータリンクのテストと脳への影響を調べる。最後に走査技官がこれらの手順に間違いがなかったのかを確認し、アンテナのカバーである烏帽子を被せる。
これらの手順を踏んで初めて陰陽師は出撃できるのだが……。
「ミヤタさん、来ません。また新人に嫌われたんですね」
筋電技師がいった。どうやら俺は相当嫌われてしまったらしい。
「仕方ない。マツダさん、確認は事後報告で構いませんからひとまず自分で確認して問題がなかったら出撃してください」
そんなバカなことがあるか、と言い返してしまいそうになる。どうやらこの技官は俺に非があると思っているらしい。
装着が終わり形だけの確認を済ませ、技士達に礼をいってから部屋を後にした。
建物の玄関の前にはヘリが待ち構えており、既にミヤタが乗っていた。彼女の様子は――。
「ずいぶん早かったですね」
乗った途端にこうだ。
「装着の立ち合い。次からは立ち会うように」
俺がそういうと同時に機は離陸した。
羽が空気を切るけたたましい音はドアが閉まるとともに聴こえなくなった。
「少しは自分がどういう事をしていたのか、わかりましたか?」
「どういう意味だ」
やけに含みのある言い方。俺は反芻するように聞き返す。
「そのままの意味ですよ。貴方が、陰陽師なのに、だらしなくて失望したんです」
「陰陽師だって人間だろ。だらしがないことくらい――」
「その間に人が死んでたらどうするんです! 現に犠牲が出てるんですよ!」
怪獣が現れた時点でその空域は封鎖されているはずだ。特ダネの功を焦り、無理に侵入したテレビ局員の責任ではあってもそれを以て俺を責め立てるのは違う。
彼女は冷静になりきれていないのではないか。そう思った矢先。
「五年前のあの時もあなたがそうだったから兄は死んだんですか!」
彼女の言葉はそれまで他人事で彼女の言葉を聞き流していた俺を当事者にさせた。
なぜなら五年前、彼女の兄を殺した怪獣は俺の親父を殺したから。