一話
秋の一日は時に冬よりも寒く感じる。
木枯し日和という言葉があるならば今日はその言葉にふさわしい一日になりそうだ。
窓から向かいのコンビニの店長が落葉と格闘している様を見てそう思った。店長がこちらを掃けば落葉はあちらに溜まると言った有様で、木枯しが葉の一つ一つを依代に実体を得てあのおばさんをもてあそんでいるのではないかと勘繰ってしまう。
人間というのは自然に間借りして暮らしている存在なのだから多少のおいたは気にしないようにして生きるべきなのだろう。とはいえ、少ない客の代わりに落葉を入れるわけにもいかないので格闘している。人間と自然の関係というのはこんな「そうも言ってられない」事情によって構築されているのだ。きっと。
と、柄にもないことを思わずにはいられないくらいには木枯し日和だ。そんな日にはコタツを出して早めの正月気分を味わうのも悪くない。
といっても俺は既にコタツを出していて、その中に入りながらこうして耽っているのだが。
俺の仕事は不定期且つ臨時に入るちょっと特殊な系統なので平日の昼前になっても家でぐうたらしていて構わない。
大家からそのことで不審がられているが、家賃はキッチリ納めているので文句を言われる筋合いはない。だから毎月二十三、四日になると決まって「今月も二十五に納めてください」などと言わないで欲しい。
もちろん面と向かって言えるわけがない。無職ともフリーターともつかぬ明らかに怪しい俺を住まわせてくれている時点で大家には感謝しなければならない。
そもそも大家に怪訝な視線を向けられる原因を正せば俺の仕事に行きつく。俺の仕事は危険な分給料も手当も弾んでくれるので文句無し。クビの心配も無し。そして業務内容を人に言う事はできない。
三つの「無い」がそろった仕事に勤める俺は、月のほとんどをこうして家の中で過ごしている。半月に一回ほどの打ち合わせを除けばあとの出勤日は先方様次第の気楽な環境だ。
他人から見れば「出勤する必要も無いから四無いだな」と冗談の一つでも漏らすのだろうが、あいにく俺にはそう言ってくれる程度の知り合いが居ない。
普段の俺はコンビニに行って食料とタバコの調達のついでに顔馴染みの店長と話して時間を潰しているが、今日は「そうも言ってられない」事情がある。
その事情とは木枯しの事だ。こうもひゅうひゅうと吹きすさむ風の音を聴かされていては外出する気も失せる。
冷蔵庫の中には何も入っていない。何か買いに行かなければならない筈であるにも関わらず、俺は風によって家から出る事を半ば封じられている。
俺にとって強風とは単に億劫な事態ではなく、もっと重大な事情を孕んでいるのだ。
家を出ようと思えば出られるがなるべく出たくない。出たとしても目の前のコンビニまでの距離を限界にしたい。
家を出ないと決めた今、喫緊の問題は尽きた食糧とあと二本のタバコ。秋を枯らして冬を告げるこの風が吹いている間、この二つをどうにかしなければならない。
そう決心した俺はとりあえず残ったタバコのうち一つを咥え火をつけた。
タバコを吸っている間は詩的になるのか、あのおどろおどろしい風の音もそういう実験音楽なのだと納得してみる分には聴けなくもない程度の趣になってくる。
風の音は嫌いだが、枯葉のさざめきは嫌いではない。
風に特別の事情がある俺にとってもそよ風くらいなら何の問題もない。むしろそうした類の風を浴びる事は好きな部類だ。
普段やることがないので天気がいい日になると散歩に出かけることにしている。
そよ風は澄んだ空気を運ぶ。それを浴びる俺を見て街路樹の葉がさざめく。この雰囲気を全身で感じるのは暇人の特権だろう。
「ままー。あの人何してるの?」
「見ちゃいけません」
雰囲気を害しかねない唯一の要素、上下ジャージにスリッパは俺の正装なのでこうも言われると悲しくなる。まあ、特権階級が負わなければならない義務なのだろう。
おっと。吸い終わってしまった。一本は長いようで短い。
灰皿に吸殻を擦り付けてもう一本に火をつけ、再び思案に暮れる。
店長はまだ落葉と格闘している。ただでさえ少ない客足はこの強風で途絶えているようだ。
あの箒捌きは熟練の拳法家の棒捌きと見紛うほどの物だ。SNSに上げたらバズること間違いなしだ。
客が来ないなら落葉の一人や二人入れたって構わないと思うのだが、あのくらいの熱意がないと閑古鳥が鳴く店を維持できないのかもしれない。
散歩をしている時、人間と自然のもう一つの関係構築を信じずにはいられない。
それは田舎の自然らしく見えて自然ではない関係性を信じ切っている都会人の視線かもしれない。
しかしいかなる事情も自然の美しさを目にしたとき、すっかり脳裏から抜け落ちてしまう。登山家が命を賭して見たかった景色はきっともう一つの関係を物語るものだと。
おや。吸い終わってしまった。一本は長いようで短い。
どれどれ。おや? あれれ。
早々にタバコがなくなってしまった。これでどうやって生きればいいんだ。食料もないからひもじい二重苦を背負って今日を生きのびる必要に迫られている。
店長は木枯しと戦って何を思っているのだろう。徒労を繰り返す虚しさか、それとも無心を貫き通しているのか。
少なくとも俺は自分を取り巻く現状を鑑みるに無心ではいられないらしい。
突然電話が鳴った。俺にかけてくる輩は上司と相場が決まっている。今日に限って先方が現れるとはね、まったく。
「マツダ君。テレビを見たまえ」
言われるままにテレビをつけると奈良県の山中から大阪市街に向かって進み続ける一本足の怪獣が出現したと速報が入っていた。
「出勤だ」
「了解。今すぐ出頭します」
木枯し日和に仕事とはついてない。