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7 秘める闇

 突然フユがヘイゼルの方を向いた。ラウレの横顔を睨んでいたヘイゼルは、フユの視線に気が付くのに遅れてしまう。ともすれば目を覆い隠してしまうほどに長い灰色の髪の向こう側で、ヘイゼルの目が驚いたように見開かれた。

 しかし次の瞬間、ヘイゼルがフユの目の前へと踊り出る。その動き、フユには本当に舞い踊るように見えたのだが、余りに近くに来たせいで、フユは少し身を引いてしまった。それにも構わず、ヘイゼルがフユの目を至近距離から覗き込む。


「フユ! ボクだよ、ヘイゼルだよ!」


 透き通った声が、歌うように言葉を奏でた。ヘイゼルの黒い瞳はまるで暗闇に浮かぶ鏡のようだ。フユの栗毛色の前髪が、ヘイゼルの瞳の中で揺れている。


「ありがとう。あなたが助けてくれたおかげで、僕は今、ここにいます」


 フユが優しく声を掛けると、周りのバイオロイドたちが怪訝な声を漏らす。コンダクター候補生とすでに面識があるというのは、一体どういうことなのか。そう訴えかけるようにラウレがファランヴェールを見たが、ファランヴェールは腕を組み目をつむったままじっとしていた。


 フユの言葉に、ヘイゼルが顔を高揚させる――バイオロイドの体液は薄紫色をしているが、感情などにより赤から青まで色を変化させる。今は随分と興奮しているようだ。


「どういたしまして」


 ヘイゼルの顔に照れが浮かぶ。その表情は、まるで長い間会うことのできなかった恋人を目の前にしているかのようだった。


「あなたに、怪我は無かったのですか」


 荒れ狂う爆風の中、フユがその身に受けるはずだった破壊のほとんどを、このバイオロイドは自らの体で受け止めたのだ。どれほどバイオロイドが人間よりも丈夫に作られていると言っても、限度がある。フユはずっとそれが気がかりだった。


「えっと、あの後、一週間ほどメンテナンスカプセルの中で過ごしたかな。でも、懲罰室とは比べ物にならない位快適だったよ」


 ヘイゼルが頬を薄紅色に染めてうつむく。

 バイオロイドには自然治癒力がない。怪我をすれば、『修理』が必要なのだ。ヘイゼルの負った傷は、一週間程度の『修理』が必要だったのだろう。それがどの程度の損傷だったのか、今のフユには分からないが、軽くは無かったはずだ。


「ごめんなさい、僕のせいで」

「へ、平気だよ。人間と違って、傷も消えてしまうし。というか! そんな堅苦しい挨拶なんかしなくても」


 ボクとフユの仲なんだから――

 ヘイゼルの口が、まるでそう続けるかのような形でを見せる。しかし、フユはそれを無視した。


「あなたを作ったフォーワルという人はどんな方でしたか。ごめんなさい、DNAデザイナーの名前をよく知らなくて」


 ヘイゼルの名前は、フォーワル・ティア・ヘイゼル。フユが知りたいのは、そのフォーワルという人物のことである。しかしその途端、ヘイゼルの表情が戸惑いで曇った。


「知らない。見たことも会ったこともないし」


 ヘイゼルが口ごもる。フユはその後も、フォーワルという人物やヘイゼルを作った会社なり研究所なりについての質問をぶつけていった。しかしヘイゼルは「知らない」を繰り返すばかりで、はっきりした答えを言おうとしない。フユはヘイゼルの反応を更に不思議に思った。

 バイオロイドにとって、『生みの親』とも言えるDNAデザイナーや『生まれた場所』と言える製作所は、自分のアイデンティティの一つであり、アピールすべきブランドである。


『知らないなんて……そんなこと、あるのかな』


 フォーワルという人物に会えば、父親について何か聞くことができるかもと思っていたフユは、落胆を隠すことができなかった。

 フユの反応を見たヘイゼルの顔に、どこか焦りにも似た表情が浮かぶ。


「ねえフユ、もっとボクのことを訊いてよ」


 右手で自分の胸を押さえ、ヘイゼルはフユにそう訴えかけた。しかしフユは言葉を失ってしまう。


 アキト・リオンディを知っているか。なぜあのホテルにいたのか。なぜ自分を助けたのか。そもそも、なぜテロ事件が起こるのを知っていたかのような行動をとれたのか。そして……


 フユの喉を突いて出てきそうな言葉は、どれもあの事件に関することばかりだった。


「と、得意なことは、何ですか」


 ようやくその質問を絞り出す。


「フユを見つけること、だよ」


 とけるような笑顔で、囁くようにヘイゼルが答える。その吐息を間近で感じた瞬間、フユの脳裏にテロ事件での光景がフラッシュバックした。

 何もかもがスローモーションで吹き飛んでいく……


「そ、そうですか。ありがとう」


 耐えきれなくなり、フユはヘイゼルから目を逸らす。その行為が、ヘイゼルの顔から一瞬で微笑みを奪ってしまった。


「フユ……」


 わずかに震えながら、ヘイゼルがフユに手を伸ばす。


「ヘイゼル。許可なく候補生に触れるのは規則違反だ」


 横から、ファランヴェールの鋭い言葉が飛ぶ。ヘイゼルは、あらん限りの憎しみを込めて、声の主を睨みつけた。


 結局フユは、視線をヘイゼルに戻すことなく、最後に残っていたバイオロイドの方へと向けた。「あっ」という、未練にも失望にも似た声がヘイゼルの口から漏れる。そしてすぐに、青い髪のバイオロイドを睨み始めた。


『僕にかかわるすべてのものを排除しようとしてるみたいだ』


 再び『なぜ』という疑問が胸に去来するが、それを聞き出したいという誘惑をかみ殺し、フユは青い髪のバイオロイドの目を見た。

 そのバイオロイドは、敵意に満ちたヘイゼルの視線をまったく気にしていない。いや、それどころか、フユの行動にも反応を見せなかった。

 何かを見ている。しかし何を見ているのかフユには分からない。顔は動かさず、鋭い目だけがフユの髪へ、額へ、頬へ、果ては頭の上へと次々に向けられた。

 髪の毛は、目のラインと首元で水平に切りそろえられているが、もみあげだけは長く下へと真っすぐに伸びている。頭の良さそうだという印象をフユが持つのは、フユが抱くステレオタイプ的な秀才の容姿に似ているからだろうか。


「えっと、あなたの名前は?」


 声を掛けたが、そのバイオロイドに応答する様子がない。視線を合わすのが苦手なのかも思い、それ以上声を掛けていいのか、フユは迷ってしまう。

 と、後ろでモニター室への扉が開く音がした。


「あれ、先客?」


 フユよりも少し大人びた感じの、しかし気怠さに満ちた声が誰にともなく掛けられる。


「やあ、ロータス君。何か用かな。ここには今、第一八班しかいないが」


 ファランヴェールがそう応じる。フユが振り返ってみると、そこにはブレザー姿の少年がいた。短めの金髪が、ところどころ少し跳ねている。銀縁の眼鏡の奥からは、冷ややかな目がファランヴェールに向けられていた。

 十代半ばの年齢の割には、背が高い。フユにはその顔に見覚えがあった。授業中、人目もはばからず寝ていた生徒だ。


「知ってるよ。共同訓練の申し込みをしたいんだけど、そっちが先かな」


 そう言うと、ロータスと呼ばれた生徒がフユの方を見る。フユは軽い会釈で応じた。


「申し込みは先着順だ。そして申し込みの是非はバイオロイドが判断する。申し込みをしたいのなら、誰がいようと、今してもらっても一向に構わない。ただ」


 ファランヴェールがフユに近づき、肩にそっと手を触れる。


「お互いの紹介をしておいた方がいいだろう。それとも、もうそういうことは済んでいるのかな」


 ふと気になり、フユはヘイゼルの様子をうかがってみる。案の定というべきか、舌唇を噛み、ファランヴェールを睨みつけている。


「いえ、まだです」


 フユはファランヴェールに向けて、少しため息交じりにそう答えた。


「そうか、なら紹介しよう。ロータス君、こちらがフユ・リオンディ君だ。もう知っていると思うが、今日から登校している」

「ああ、教室で見た。カルディナ・ロータスだ。よろしく」


 カルディナは、口ではそう応じたが、握手の為の手を出すわけでも無く、目だけを動かし、フユの頭の上から足元までを眺める。


「よろしくです」


 フユはまた軽く会釈をした。


「ロータス君はフユと同じく、特待生制度で通っている生徒だ」


 ファランヴェールがそう付け加える。一学年は十二人。それがこのクエンレン教導学校の定員である。そのうちの二名は特待生選抜による入学者であり、学費免除という特権が与えられていた。ただし、試験毎の総合成績で二位以上にならなければ、その時点でその特権が剥奪されるという添え書きが付けられている。


「へえ……お堅い主席様が、『フユ』とはねえ」


 カルディナの独り言が耳を掠めた。フユは彼に向けて何か言葉を掛けようとしたのだが、それを無視するように、カルディナが青い髪のバイオロイドの前へと進む。


「コフィン。明日の共同訓練の相手をしてもらいたいんだけど」


 その言葉に、声を掛けられたバイオロイドが驚いたような表情を見せた。


「ワタクシ、ですか」

「ああ。もしかして、もう予約済み?」


 カルディナが、フユを横目で見る。フユは、その視線にどことなく居心地の悪さを感じた。

 クエンレン教導学校は、一般的にレベルが低いと言われていおるが、特待生だけは別だった。実際、クエンレン教導学校には目覚ましいと言える実績は少ないが、その数少ない実績は全て、歴代の特待生が挙げたものである。

 本来、認定試験を受けなければいけないのだが、フユは元いた中学校の成績を提出しただけで認定を貰えた『特例』だった。フユはそこに少し引け目を感じてしまっている。


「いえ、ワタクシでよろしいのなら」


 コフィンと呼ばれたバイオロイドが、表情を澄ましたものに戻し、そう答えた。


「んじゃ、決まりだ。申し込み登録しておく。いいんだろ、ファランヴェール」


 形式的にという感じで、カルディナが確認をする。


「ああ、もちろん。そういう仕組みだ」


 ファランヴェールが頷くと、カルディナはたった一言「お先に」と言い残し、トレーニングルームから出ていった。


 トレーニングルームが再び、フユとファランヴェール、トレーナー、そしてバイオロイド三体のいる空間へと戻る。


「フユ、明日の共同訓練、君も気に入った相手がいたのなら申し込むといい」


 ファランヴェールの声が、フユの耳を震わせた。聴覚が回復して以来、フユが聞いた声の中で最も優しさと慈しみに満ちたものだったかもしれない。ファランヴェールがフユに、穏やかな微笑みを向けている。

 だから、だろうか。フユはどうするか迷ってしまった。


 共同訓練は週に二度行われているが、参加は自由である。つまり、参加しないことも可能だ。しかし、データには表れないバイオロイドの性能や、自分との相性といったものを図るには、実際に一緒に動いてみるのが一番である。また、バイオロイドとの信頼関係を構築するのにも共同訓練は重要である。だから、よほどの理由がない限り、生徒のほとんどは参加するのである。


 カルディナが共同訓練を申し込んだバイオロイドは、名前をマクスバート・レス・コフィン。フユの記憶によれば、レス・タイプは持久性に優れ、行方不明者の捜索を得意とするバイオロイドだった。


「明日の共同訓練は、野外捜索活動でしたか?」

「ああ、そうだ」


 訓練の項目はあらかじめ開示されている。カルディナという生徒は訓練項目に合わせてバイオロイドを選んだ、ということだろうか。


 フユは、コフィンというバイオロイドをもう一度見たが、彼はもうフユには興味を示していないようで、あらぬ方向を向いている。フユはその代わりにヘイゼルと目が合ってしまった。


 さっきまでコフィンを睨んでいたヘイゼルも、もうコフィンには興味を示していない。ヘイゼルにとってコフィンは、『排除すべき邪魔者』ではなくなったということなのだろう。ヘイゼルはじっとフユを見つめている。その目は明らかに、『当然ボクを指名するよね』と訴えかけていた。


「でも、結局担当となるのは、一年目では一人のバイオロイド、ですよね」


 ヘイゼルの視線をかわすように、フユはファランヴェールに質問を投げかける。「なんでっ」という小さいが甲高い、そして苛立ちに満ちた呟きがヘイゼルの口から漏れた。が、フユはそれも無視し、他のバイオロイド――レイリスとラウレへと視線を向ける。

 緑髪のレイリスは、視線を上に向け何事かつぶやいていた。赤毛のラウレは腕を組みながら、冷ややかにフユを見ている。二体ともフユとヘイゼルが『顔見知り』であることを知って、もうフユへの興味を失っているようだ。


「その通り。二年生に上がってから担当するもう一体を決めることになる」


 ヘイゼルを一睨みした後、ファランヴェールはフユの質問に答えた。


「ちなみに、共同訓練の申込期限とかはあるのですか」


 そのフユの質問に、ファランヴェールは少し不思議な表情を見せる。なぜ、そのようなことを今尋ねるのか。そんな風である。


「訓練開始時刻の一時間前からブリーフィングが始まる。それまでが申込期限だ。明日なら、一四〇〇だが」

「分かりました。では、少し考えさせてください」


 フユの答えに、バイオロイドそれぞれがそれぞれの表情を見せる。ファランヴェールは少し戸惑うように、レイリスは目を輝かせながら、ラウレは興味深げに。そしてヘイゼルは悪夢を見ているかのように。


「分かった。何か他に手伝うことはあるかな」

「いえ、とても参考になりました」


 フユの見学はそこで終了となった。フユとファランヴェールがトレーニングルームから出て行く。トレーナーがバイオロイド達に集合するよう呼び掛けるが、ヘイゼルだけはそれを無視し、フユが消えた扉の方を怒りとも憎しみともつかぬ目でいつまでもにらみ続けていた。

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