3 問題児
なぜこの学校に来たのか。それはあのバイオロイドがいるからではないのか。ファランヴェールの質問に、フユは返事に困りうつむいてしまった。
実際その通りではあるのだが、フユがここに来たのは、『恩人がいるから』という理由だけではない。いや、それだけならここには来なかっただろう。
『ヘイゼル!』
父親の最期の声がフユの脳裏によぎる。フユがあのバイオロイドの名前を知ったのは入院している間のことだったが、父親はあの時既に知っていたのだ。
――なぜ?
実際、父親がフユに自らの仕事について語ったことは一度もなかった。バイオロイドの研究者ということだけしか知らないのだ。どんな研究をしていたのか。どのような成果を残したのか。それも入院中に可能な限り調べてはみたが、フユには分らなかった。
だからフユは最初、あのバイオロイドを作ったのは父親ではないのかと疑った。しかし彼の名前が『フォーワル・ティア・ヘイゼル』であることを知り、そうではないと分かった。バイオロイドのファーストネームには開発者の名前が付く。ミドルネームが類型名、そしてサードネームが個体名である。どのみち、父親の名はアキト・リオンディである。『フォーワル』ではない。
ただ、フユが調べた限り、名の知れたDNAデザイナーの中にも、『フォーワル』という名の人物はいなかったのだ。
結局フユは、答えにはたどり着けなかった。公開されている情報には限界がある。父は自宅にも何ら研究に関する資料を残してはいなかった。研究所には、当然ではあるが、フユは入らせてもらえなかった。
ヘイゼルと父親の接点。教えてくれるはずの父親はもうこの世にはいない。知りたいとフユは強く思った。だから研究者の道を捨て、この学校に来たのだ。しかし、そのことを他人には絶対に秘密にしておこうとも決めていた。
返答に戸惑うフユを見て、ファランヴェールは誤解をしたようだ。雰囲気を一転させ、目に見えて慌て始めた。
「す、すまない、嫌なことを思い出させたようだ。私の言葉に失礼があったのなら、謝ろう。申し訳ないが、私には人間の感情が良くは分からない。どれほどバイオロイドが人間のDNAに基づいて設計されていると言っても、所詮『作り物』だ。共感も同情も、人間の模倣に過ぎない。許してくれ」
その言葉を、フユは少し意外に思った。バイオロイド達は、皆このような認識なのだろうか。一方で、ファランヴェールの様子が、まるで子供を怒らせてしまった親のようだとも思い、内心少し可笑しかった。
「平気です。父のことも母のことも、病院で整理をつけてきました。父は私に『バイオロイド研究者にはなるな』と言っていました。理由は分かりません。でも、今にして思えば、テロの標的になるからだったのかもしれません。確かに、さっきの彼は恩人です。それもあるのですが、父の言ったことに従ってみようと思ったのもあります」
このフユの言葉に嘘は無い。本当はもっと悲しむべきであり、自分は薄情な人間なのかもしれないと悩んだ時もある。父親と母親の死を聞いた時にも、フユは涙一つこぼさなかった。
フユはある種の使命感に動かされていた。悲しんでいる暇はないのだ。何かがある。フユは直感的にそう感じていた。その何かを突き止めた時になって初めて、きっと涙が出てくるのだろう。
「そうか。何と言うか、君は強いのだな」
ファランヴェールが少し目を細めてフユを見る。雰囲気が何となく母親に似ているとフユは思った。
「まだ、両親の死に向き合うことができないだけです」
「その言葉も、十代半ばの人間のものとは思えない。敬服するよ」
ファランヴェールの言葉に、フユは少しだけ顔をしかめた。
「そんなに、老けてますか、僕」
少しだけ、フユの地が出てしまう。するとファランヴェールが声を立てて笑い出した。
「いや、そういう意味ではなくてね。すまなかった。でも、初めて本当の君の垣間見たような気がする。良ければ、そのように接してもらえるかな。私も君をフユと呼ぼう」
ファランヴェールがフユに向けて手を差し出す。フユは躊躇なくその手を握り、握手を交わした。
「わかりました、ファランヴェール」
見上げる視線の先にあるファランヴェールの顔は、父親とも母親とも全く似てはいなかったが、フユは彼にその両方の匂いを感じたような気がした。
「でも、これほどの設備があるのに、学校のレベルが低いというのがよく分かりません。コンダクターを目指すには申し分のない環境だと思うのですが」
握っていた手を離すとすぐ、フユは学校を見回って感じた疑問を、ファランヴェールにぶつけてみた。
「それはだね」
しかし、驚いた様子も、困った様子も見せない。きっと、ファランヴェールはそのような疑問をフユが持つことを予めわかっていたのだろう。
「今からバイオロイドたちの訓練を見学する。エイダーになることを目指してこの学校で訓練を受けているバイオロイドたちだ。あそこがその訓練施設になる。話は歩きながらしよう」
ファランヴェールが、二人が進む道の先に見えている白い棟を指さす。そしてフユを背中を軽く押し、歩き始めた。
「時期が来たら君にも、担当するバイオロイドを選んでもらうことになる。実習用ではあるが、選んだバイオロイドとは今後長く共に様々な活動をすることになるだろう。それが一般的なコンダクター養成所の仕組みだ。だから、学校のレベルを決めるのは設備よりも所属するバイオロイドの質によるところが大きい」
歩みを進める度に、ファランヴェールの後ろに束ねた長い髪が揺れる。フユがバイオロイドを見たのは、ヘイゼルが初めてだった。そしてファランヴェールが二体目なのだが、どちらも灰色の髪をしている。人間ではあまり見ない色だが、不思議と違和感はない。
しかし、入院中に勉強した限りでは、バイオロイドは能力によって髪の毛の色に特徴が出るとあった。赤、青、緑という三原色を基調としているはずなのだが、ファランヴェールもヘイゼルも、それには当てはまらない。
灰色の髪のバイオロイドも多いのだろうかと、少し見とれてしまった。ファランヴェールが自分を見ていることに気付き、フユは慌てて視線をファランヴェールの目へと戻す。
「つまり、この学校のバイオロイドの質は」
そこまで言ってみたが、それ以上言うのがはばかられ、フユは言葉を止めた。
「お世辞にも高いとは言えないということだ」
しかしファランヴェールは、フユが飲み込んだ言葉をあっさりと付け足してしまう。その言葉に、フユの胸の中に僅かばかりの反発心が生まれた。
「僕はヘイゼルに助けられました。あのテロの中、ホテルのロビーにいた人間で助かったのは、僕一人だけです」
ヘイゼルの舞うような動き。瞼を閉じればすぐに再生されるほどに、フユは入院している間何度もそのシーンを思い返していた。その運動性能と、あの破滅的な状況の中一人の人間を守り切った耐久性。ヘイゼルが能力の低いバイオロイドだとは思えない。
「なぜ彼がそのホテルにいたのか。正式なエイダーではない、まだ救助活動の実習にすら参加したことのないヘイゼルが、なぜテロ現場にいたのか。フユは知っているかな」
しかし、思いがけないファランヴェールの返答に、フユは少しキョトンとしてしまった。
「いえ」
「彼には脱走癖があってね。あの時も、その三日前に彼はこの学校から脱走していて、我々はその捜索をしていた。彼がなぜあそこにいたのか正確には分からない。彼はそれを話そうとはしなくてね。結果、彼は懲罰室に二か月間閉じ込められることになってしまったのだよ」
「そんな。僕を助けてくれたのに」
「そう。その功績があったから、二か月に短縮された。本当は三か月のはずだったのだよ。性能という点では、確かに彼は優秀かもしれない。三日間、我々の全力の捜索から逃げきってしまったのだからね。しかし、彼にはバイオロイドとしての自覚が無いのだ。元々彼は、違う学校に所属していた。しかしその問題行動が余りにひどくて、マーケットに返品されてしまったのだよ。それをこの学校が受け入れた」
「マーケット、ですか」
「エイダー用に開発されたバイオロイドは、春のマーケットに一斉に『出品』される。そこで各学校に配布するバイオロイドが決められるのだよ。さあ、着いた。中に入ろう」
会話に夢中になっていたため、フユはファランヴェールに言われて初めて、訓練施設についたことに気付く。少し熱くなってしまったことを恥ずかしく思い、フユは黙ってファランヴェールの後に続いた。