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1 栗色の髪の少年

「我々の祖先は、約二百年前、このロス星系へと移住してきました。太陽系からは一〇光年の距離にあります。当時はまだ超光速宇宙船が開発されて間もないころであり、この惑星ネオアースに到着するまでに三年の月日を要しました。今では三日で来られるのですから、考えられないことですね」


 化粧を厚く塗ったスーツ姿の女性が、スクリーンに映し出されている映像をレーザーポインタで指し示している。宇宙を極方向から俯瞰した図には、いくつかの光点が示されているが、その一つが太陽系であり、別の一つがロス星系だ。そのロス星系がクローズアップされる。


「ネオアースは赤色矮星ロスを主星としていますが、その距離の近さから我々が住んでいる『居住可能(ハビタブル)ゾーン』以外は過酷な環境下にあります。そしてハビタブルゾーンさえも定期的な自然災害に見舞われるため、救助用バイオロイド『エイダー』の活動は、この星には欠かせないものになっています」


 フユはその説明を聞いて、『バイオロイド原論』の授業というよりもロス星系の観光ガイドのようだと思った。教室の中には十二人の生徒がいたが、その内の一人は大胆にも机に突っ伏し、制服であるブレザーの袖を涎で濡らしている。

 この学校で行われている授業は、フユの学力と比べて明らかに低く、教師の話す内容はフユが知っていることばかりだ。しかしフユは、寝ることも内職をすることもなく、大人しく授業を聴いていた。

 もちろん、授業態度も成績評価の対象になるというのが主な理由ではあるが、それ以上に、今はどんな音でも聞こえるだけで楽しく思えた。フユはこの半年ほど、音の無い世界で暮らしていたのだ。


 耳に掛かっていたミディアムボブの髪を、左手でそっとかき上げた。光沢のある栗毛の髪は、死んだ母親に似ている。くっきりとした二重の目と、少し丸みのある顔もそうだ。母親は自分に似た息子を、いつも目を細めて見つめていたが、もう彼女の笑顔をフユが見ることは無い。いや、鏡を見れば自分の顔に母の面影を見ることはできるが、それが故に、フユは鏡で自分の顔を見るのが嫌になっていた。


 と、授業終了のチャイムが鳴った。まだ昼過ぎではあったが、この日の授業はこれで終わりである。起きていた生徒はもちろんのこと、寝ていた生徒もまるでそれが目覚ましのベルであったかのように目を覚まし、急ぎ足で授業の終わった教室から出ていった。


 最後の生徒が教室を出ていくのと入れ替わりに、少し背の高い人物が入ってきた。手入れの行き届いた白い髪の毛が頭の後ろで束ねられていて、腰まで届くほどに長くまっすぐに垂れている。

 生徒にしては大人びているが、教師にしては若すぎるように思える。人間で言うと、二十歳くらいだろうか。しかし人間ではない。

 中央で分けられた前髪が両耳にかけられているが、こめかみから垂れ下がる髪との間から後方へと細く伸びる耳が、途中で二股に分かれていた。それはバイオロイドたる証である。

 少し切れ長の目にはどこか悲し気な光が宿っていた。


『この人は、色々なものを見てきたんだな』


 フユは、ファランヴェールの目の奥にある暗赤色の瞳を見て、そう思った。バイオロイドを間近で見るのは二回目だが、ほとんど人間と変わらない姿に、フユはどうしても『人』だと思ってしまう。しかしそれは、この学校、ひいてはバイオロイドを指揮する職を目指す者にとっては、良くないとされる考えだ。


 まだ座席に着いたままのフユを、その人物は優しげな表情で見つめている。ムーンストーン色のマントコートの胸には、左右一組のボタンが縦に三列に並び、その下でベルトが巻かれていた。マントコートの裾の下からは膝から下が黒いパンツに包まれて伸びており、足には厳めしい印象を受ける黒いブーツが履かれている。


「初めまして、リオンディ君。私は主席エイダーのレ・ディユ・ファランヴェールだ。授業はどうだったろうか」


 その人物は、フユの目の前に来ると、高く透き通ってはいるが威厳に満ちた声でフユに話しかけた。フユを見るその顔は、男性のようでも女性のようでもある。


『綺麗な人だ』


 フユは率直な感想を胸に抱いた。例えそれが、DNAという設計図から人間の手によって作られたものだとしても。

 バイオロイドたちは総じて、中性的な容姿をしている。それは偶然ではない。人為的にそうされているのだ。それでも一応の性別がある。この学校にいるのは、男性型バイオロイドだけである。


「初めまして、ファランヴェールさん。ええ、大丈夫でした」


 フユの答えに、ファランヴェールが口元に指を当て、軽く笑う。


「大丈夫、か。というより、簡単すぎてつまらなかったのでは」

「そんなことは無いです。今は、誰かの話を聞くだけで楽しいですから」


 フユは席に座ったまま、目の前のバイオロイドに笑みを返した。


「ふむ」


 ファランヴェールが少し驚いた表情を見せる。しかしすぐに、穏やかな表情に戻った。


「さあ、今から君にこの学校の案内をしよう。ついてきてもらえるだろうか」


 聞く者の心に響くような声。だからだろうか、フユにはそれが提案でもお願いでもなく、命令のように聞こえた。


「分かりました」


 フユは笑顔でそれに応じると、カバンを持ってゆっくりと立ち上がる。ファランヴェールの背は、フユよりも頭一つ高いようだ。

 ファランヴェールに連れられ、フユはしばらくの間学校を歩き回ることになった。


 エイダーとは、自然災害、人為的災害を問わず、その救助活動に当たるバイオロイドのことである。ファランヴェールはこの学校に所属するエイダーの主席、つまり『長』なのだ。


 この星ではバイオロイドの活動は全て組織化されている。救助用バイオロイドである『エイダー』の他にもいくつかの用途用として活動しているバイオロイドがいるが、この学校に所属しているバイオロイドはみなエイダーとなるべくここで訓練している。

 一方、救助活動の指揮を執るのは人間であり、彼らは『コンダクター』と呼ばれている。ここ、クエンレン教導学校は私立のコンダクター養成所であり、フユを含め、この学校の生徒はみなコンダクター候補生だ。


 廊下では、深緑色のブレザーを着た生徒たちと数多くすれ違う。ファランヴェールが来ているマントコートは、救助用バイオロイド『エイダー』の制服であり、生徒の中に混じると随分と目立っている。だから、行き交う生徒たちの視線はフユを通り過ぎファランヴェールへと注がれるのだが、視線の先にいるのがファランヴェールだと分かると、ほとんどの者は軽い会釈をしてそそくさと通り過ぎるか、それとも進む方向を変えるか、そのどちらかのリアクションを取った。


 一通り校舎の中の案内が終わり、外へと出る。空は赤色矮星ロスの光で茜色に染まっていた。


「随分と偉そうだ。私のことをそう思ったのではないかな」


 ファランヴェールがふと口を開く。


「いえ。それよりも生徒たちの反応を少し不思議に思います」


 バイオロイドは、人間の役に立つために人間の手によって『創られた』人造人間である。だから、人間の方が立場が上であるというのが世の中の認識だった。ファランヴェールがこの学校のバイオロイドたちを束ねる『主席』だったとしても、それはエイダー候補であるバイオロイド達にとっての立場に過ぎない。そんな肩書など人間にはあまり関係ないのではないか。フユにはそう思える。


「私がクエンレン理事長付きのバイオロイドでもあるからだよ」


 歩みを止めずに、ファランヴェールがそう答えた。


「何かあればすぐ理事長の耳に届く、ということですか」

「そういうことだ」


 まるで脅しのようにも取れるが、フユにはそうは聞こえず、その言葉はどちらかというと寂しげなものを含んでいるように思えた。


『孤独ですか』


 フユがそう尋ねようとしたその時、ファランヴェールが素早い動きでフユの方へと腕を突き出した。一瞬、殴られるのかと思い、フユがその身を固くする。しかしその腕は、フユの横を通り過ぎ、別の何かを捕まえた。


「は、放せ!」


 ボーイソプラノの声が辺りに響き渡る。ファランヴェールの腕の中では、灰色の長い髪が暴れていた。陶器のような白い顔、そして困ったように眉間に寄せられた細い眉。フユはその顔を見て、はっとなる。

 吸い込まれるような漆黒の瞳が、何かを訴えるようにフユを見つめていた。


「こんなところで何をしているのだ、ヘイゼル。今は訓練時間のはずだが」


 ファランヴェールの穏やかだが威厳に満ちた声が響き渡る。しかしヘイゼルと呼ばれた人物は、投げかけられた言葉を気にする様子もなく、ファランヴェールの腕の中でもがき続けていた。

 背はフユと同じくらいで、体つきは華奢だ。白いトレーナーに、紺色の短パン姿。トレーニングウェアだろうか。灰色の長い髪が動きに合わせて揺れ動くが、その隙間からはバイオロイドの証である、先が二股に別れ細く伸びている耳が見え隠れしていた。

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