1-5 薬草リントウとシルバーウルフ
「――ジャック! いる!?」
「うお!? なんだ?」
キャロラインの焦った声に驚き声を上げるジャック。
ダンとジャックは顔を見合わせ、何かあったんじゃないかと急いで屋根から下りて居間に行くと――汗だくで、にもかかわらず青ざめた様子のキャロラインの姿があった。
今の時間だとキャロラインは診療所にいるはずだ。
「なにかあったのか?」
「今から言う薬草。すぐに森から採ってきて貰えないかしら!?」
「え?」
「コールさんちの奥さんが陣痛が来たみたいで診療所に駆け込んできたの! 普通の出産なら今薬草補充してなくてもなんとかなるかと思っていたんだけど。先生が診たところ、かなり難しい出産かもって言って。あの薬草なかったら、死んでしまうかもしれないって。でも今、シルバーウルフが繁殖期だから、皆採りにいけないし、ジャックくらいしか頼りにならなくて……! ――――ゴホッ! ゴホッ!」
「ま……待て待て! 落ち着けって」
キャロラインがこんなに焦っている姿を初めて見た。
ジャックは一旦、咳き込むキャロラインを椅子に座らせ、水差しからコップに水を注ぎ、キャロラインに渡すとキャロラインは一気にその水を飲み干した。
「少しは落ち着いたか?」
「えぇ……ありがとう……」
「それでどうしたんだ?」
まだ興奮覚めやらないキャロラインを刺激しないように出来るだけ冷静にジャックは尋ねた。
キャロラインはある程度落ち着いてきたのか、努めてわかりやすく説明しようと、考えながらぽつぽつと今起こったことを話しだした。
「アルキさん、知ってるわよね――」
この村にはアルキ・コールという男がいる。
体格が良く屈強そうな男。
寡黙な男だが根は優しく生真面目。
しかもこの村の気質故あって無類の酒好きときたもんだ。
普段は狩りや農作業にて誰よりも働き、近くで手伝うことがあれば真っ先に向かい、
夜には収穫してきた作物をつまみに酒を飲んでから寝るという生活。
しかし宴があれば率先して酒を飲み、今まで倒した冒険者は数知れず。
今までの戦績はキャロラインとジャック以外には全勝しているという
この村で2番目に酒が強い人間である。
そんな男にも昨年、ようやく春を迎えたかと思うと、その嫁さんは村1番の別嬪さんのカルア。
ジャックもカルアと会ったことがあるが確かにかなりの美人。
そんな幸せ真っ只中のアルキ。
さらに幸せが舞い込んできたらしい。
カルアの妊娠だった。
「だからあまりお酒が飲めないの」
と最初にジャックと会った時には既にお目出度状態で、確かそんなことを言っていた気がする。
「あまりじゃない。ダメよ、絶対に!」
と近くにいたキャロラインがカルアを止めていたのも同時に思い出す。
やや天然で茶目っ気のある女性だった。
お腹を撫でながら幸せいっぱいの顔していたのもよく目にしていた。
しかし今日、そんな幸せを奪い取るかもしれない事件が発生する。
コール宅でアルキと一緒に安静に過ごしていると陣痛を向かえたらしい。
しかも医師によるとかなり難しく、母子共々危険な状態。
しかしそこではまだ焦ることはなかった。
何言うこの村で唯一の医師である。
出産に関しても数々の経験がある。
しかも今回の場合のような難産でも2人を救うことができる薬草がこの村にはあった。
その名は『リントウ』。
シエド村の奥の森でしか採取できない薬草。
この薬草は出産を助ける。
どんなに危険な状態でもリントウで作った薬の力は絶大であった。
リントウの噂を聞き商人がシエド村に来ることもあるとかないとか。
そしてリントウが生えている場所には、出産間近になると森に住むどんな生物でも来て、子供を産んだり、卵を孵化させるための巣を作ったりするという。
野生動物さえこの薬草の効果を知っている程、リントウは高い効力を発揮するのだ。
村の診療所でもリントウは重宝しており、常に大切に村の倉庫に保管をしていたのだが――
「あの蛇か……」
「……えぇ」
数日前にどこから来たのか巨大な蛇に村の倉庫を荒らされたという事件が発生した。
そしてその蛇によってリントウも喰われてしまったらしい。
いつもだったら薬草がなくなればすぐに森へ行き採取しに行くのであるが、
今の時期は『シルバーウルフ』という白銀の毛をした巨大な狼が繁殖期を迎え
その薬草が生えている場所にいる可能性が高く、村人が近づけない状態であった。
もうひと月もすれば繁殖期も終わり、採取しにいけるし。
コールさんの出産予定日は近かったが、通常であれば無くても大丈夫かと思った矢先で、今回の事件である。
そして漸くキャロラインがここに駆け込んできた理由がわかった。
「……つまりコールさんちの奥さんが難産で大変だからリントウをシルバーウルフが近くにいる所から採ってこい。ってことで良いか?」
「わかりやすくまとめてくれて助かるわ。冒険者で実力のあるジャックにしか頼めないのよ」
「褒めるのは依頼を達成してからにしてくれ」
キャロラインを安心させるためちょっとした冗談を言い戯けた所で、ジャックは森へ行くため――いつもだったら避けるシルバーウルフに近づくため――装備を整えた。
「場所はわかる?」
「おう! 前にアルキさんに教えてもらったことある! 診療所に直接届ければ良いんだよな」
「えぇ! ありがとう! 今度、何かお礼する!」
ジャックはにかっと笑い、親指を立てる。
「じゃあ行ってくる!」
と準備が出来るとすぐに家を飛び出し、森へ駆けていった。
「ねーちゃん?」
リントウの採取に向かったジャックを見届けたキャロラインはすぐに診療所に戻ろうとしたが、ダンの呼び声によってその行動を阻まれた。
「なに?」
少しだけだが、「私、急いでいるんだけど」というようなニュアンスを声に込めてダンに返事をすると、ダンは至って冷静で、だけど考えごとをしているのか、どこか上の空な感じでじっとリビングにある卵を見つめていた。
「リントウって薬草のある場所ってお腹に子供がいる生き物しか集まらないの?」
「そうね……でも森にいる動物は子を産む時にはほとんどその場所に集まるとか聞いたことあるわ」
「それって鳥とか蛇とかも?」
「そのはずだわ。確かリントウの近くに巣を作るそうよ」
「その場所って実力のある冒険者しか行けないの?」
「今の時期はね。シルバーウルフっていう大きな狼が繁殖期を迎えてるからね。ねぇさっきの話聞いてた?」
「聞いてたけど……」
あまり的を得ない質問をダンはどんどんするから、だんだんと苛立ちを覚えてきたキャロライン。
(こっちは急いでいるっていうのに)
「聞きたいことは以上かしら? 私、急いでいるんだけど」
その苛立ちを隠さずキャロラインはダンにそう聞くと、ダンは作っているような笑顔を見せ頷いた。
「うん! もう大丈夫。ありがとう」
「そう。なら私もう行くわね」
「うん! いってらっしゃい――」
その言葉を全て聞く前にキャロラインは家を飛び出した。
あの質問は何のつもりだったのか、いや、そんなことよりも今は一刻を争う。
ジャックが戻ってくる前に出来るだけの処置を先生と共にしてしまおう。
キャロラインは、ダンよりもカルアの容態が最優先と考え診療所へ走っていった。
★★★
それから小一時間経った。
診療所の方ではカルアの容態に細心の注意を払いつつ、ジャックがここに来るのを今か今かと待ちわびていた。
リントウの自生地はシエド村を出てから村の住民の足で大体半刻程度。
つまりジャックは今頃、その場所に着きシルバーウルフに気をつけながらリントウの採取をしている頃であろう。とキャロラインは考えている。
キャロラインはジャック自体の心配はしてはいなかった。
ジャック自身が話していた冒険譚を聞くに、彼の実力はこの村に来た冒険者の中でもトップクラス。
さらにそれを裏付けるようにジャックのシエド村での活躍はなかなかのものだったという。
だから出産間近で気が立っているシルバーウルフがいたとしても、そいつを難なくあしらいリントウを採取してきてくれるであろう。
懸念があるとすれば、やはりカルアの容態だろう。
診療所に運ばれた時よりかは落ち着いていて――危険な状態であることに変わりはないが――今のところ、すぐに命を落とすということない。
しかしその状況がいつまでも続くわけではない。いつ急変してもおかしくない状況だ。
ジャックができるだけ早くここに帰ってくることを願うばかりだ。
「キャァァァァアアロォォォォオオ!」
と考えていると大声でキャロラインを呼ぶ声が外から聞こえてきた。
その声はどこかジャックの声に似ている。
いや、本当にジャックの声だろうか。
彼は今、森にリントウの採取をしているはずだ。
リントウの自生地までかなりの距離があるからジャックがこの村に戻ってくるまでまだまだ時間はかかる。
「キャァァァァアアロォォォォオオ!!!!」
だがその声は明らかにこちらへ近づいて来ているし、その声はここ数ヶ月、毎日と言っていいほど聞いていた男の声と酷似している。
その声の主を確認するため、キャロラインは急いで診療所の窓から外を確認した。
汗だくでこちらへ全力疾走しているジャックの姿があった。
その姿にギョッとして、だが明らかに帰ってくるのが早すぎることからリントウを採取する前に何かトラブルにあったのかと不安がよぎったキャロラインは急いで窓を開けた。
「ジャック!?」
事は一刻を争う。
もしジャックが太刀打ちができないほどの何かに遭遇してしまったならば。
もしそのせいでリントウが採取できない自体に陥っていたのならば。
この村でリントウ採取の任務を遂行できる人間はいない。
つまり現状カルア、そしてカルアのお腹の中にいる命さえ諦めなければならなくなってしまう。
「何か忘れ物でもあった?」
だからその確率が最も低く、だがそれが一番希望が持てると考えられる可能性にかけて、顔を強張らせながら尋ねた。
「ちょっと待て…………少し……落ち着かせろ」
ここまで全力疾走してきたためか、キャロラインの前で止まると
ゼェゼェと荒く呼吸をし膝に手をつき、地面が水溜りになるほどの汗をかくジャック。
(こんな状態、こんな……もはやもう体力がない容体では忘れ物をして戻ってきたのだとしても……)
――――もう再びリントウを採取しに行けないではないか。
「な、なにかあったの……?」
つまり全力疾走してシエド村までに戻ってくるほどの何かがあったのだ。
最悪の想定をした。
けど覚悟はまだできていない。
だから急かすようにジャックに再び聞いたが
「いや……だから……落ち着かせろ……って……」
とキャロラインに待ったをかける。
動悸が激しくなり、頬から汗が垂れるのを感じた。
キャロラインは自分が思っている以上に動揺していた。
「よし! もう大丈夫だ!」
1、2分くらい経って、ようやくジャックの体力は話すことができるくらいには回復したようだ。
まだ若干、ふらふらとして汗がだらだらの状態であるが、ジャックはゆっくり上半身を起こしキャロラインの方を向いた。
声が震えそうになるのを抑えつつ、キャロラインは努めて冷静を装って
「それで? どうだったの?」
と質問する。
ここで状況を聞かず悲観的になっていても何も得るものがない。
重要なのは、まずはジャックに森で何があったのかを聞かなくてはならない。
「そんなことより、カルアの様子はどうだ?」
しかしジャックは、キャロラインの心配を余所にカルアの容態を気にかける。
いや、1番重要なことではあるが。
「………………今はまだ安定してるけど、危険な状態なのは変わりないわ……」
「よし!」
それを聞いた瞬間、ジャックは拳を握りしめ、ガッツポーズ。
「そうか! そうか! よかった!」
疲れてそうだが、嬉しそうな顔。
なにを喜んでいるのだろうか。
一刻を争うこの状態で、依頼未達成だろうになにをそんな呑気に喜んでいるのだろうか。
「――――いい加減にして!」
その様子にキャロラインはついに声を張り上げた。
その怒鳴り声を聞き、さっきまでの喜びの表情のまま顔を固めたジャック。
その表情を見るに自分が仕出かしたこと――いや、むしろまだなにもしていないということをわかっていないようだった。
さらに追い討ちをたてるかのようにキャロラインは詰め寄った。
「森で何かあったんじゃないの!?」
だからリントウを採取できず、村に逃げ帰ってきたのではないか?
それなのになぜこんなにも嬉しそうなのか。
カルアの容態は変わりないのに。
「何か……?」
「えぇ! 何かよ! だからこんなに早く戻ってきたんじゃないの!? リントウの所まで行くことができないような危険なものが森にあって! それを知らせるために急いで戻ってきたんじゃないの!?」
そうやって捲したてるキャロラインに対して、未だなぜキャロラインが怒っているのかわからず唖然としているジャック。
キャロラインにそう言われても、森であった出来事の心当たりが見つからない。
ジャックは少し考え、ようやく捻り出した答えを恐る恐る口に出してみる。
「まぁ……強いて言うならリントウが生えている場所の近くの木にシルバーウルフがつけただろう縄張りの印の爪痕があったことだな」
「だったら! それでリントウが手に入らなかったなら、なおさら喜んでいる場合じゃ……へ!?」
キャロラインは最初こそジャックに怒鳴り付けようと声を張り上げたが、
すぐにその言葉が意味することを理解し、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「待って。リントウの場所に行けたの?」
「? それが依頼だろう?」
なにを当たり前のことを? とでも言うかのように間抜けな顔をしているジャックは背中に背負った荷物を下ろし、中を探った。
「幸い俺が行った時には狼の野郎はいなかったけどな。おそらく明日には子供ができて殺気立っている母狼がいるだろうな~」
「じゃあ……リントウは……」
キャロラインにそう聞かれ、待ってましたと顔をニヤつかせながらジャックは鞄の中から取り出したものを見せた。
「当然! 採ってきたに決まってる!」
ジャックが手に持っていたのはリントウ。
それは薄い桃色を基調に白色の細い線が入った鮮やかな色をしていた。
「こんなに早く…………?」
「そんなに早かったか?」
ジャックが他の者と比べて半分以下の時間でシエド村とリントウ採取場所を往復できたのに何かしらのタネがあったということはない。
単に全身全力で走ってきただけだ。
カルアと赤子の命を第一に考え、最善を尽くすためにと本当にただ単に頑張っただけだった。
ジャックは何か工夫をしたわけでもないのにただの努力だけでこんなにも驚かれるとは思っていなかったために
ただただ首を傾げるだけだった。
「だったら……頑張った甲斐があったってもんだ!」
まぁでもこの頑張りによって処置がより迅速に行えるなら安いもんだ、と朗らかにジャックは笑った。
そのジャックの明朗な笑みを見た瞬間、
キャロラインはおもむろに手を上に挙げ、ジャックの頭目掛けて思い切り振り下ろした!
「いたっ! なにをするんだ!?」
キャロラインの手のひらはジャックの頭にクリーンヒットした。
その衝撃でリントウを落としそうになりながらも耐えきり、だがなぜ叩かれたのかわからず、その犯人に抗議するように見る。
するとキャロラインは満面の笑みでリントウを握ったジャックの手を覆うように両手でがっしりと握った。
「ありがとう、ジャック! これでカルアもお腹の中の子も救えるわ!」
「……お、おう……それは何よりだ」
いきなり頭を殴ってきたにもかかわらず、喜色満面の様子のキャロラインに、ジャックは戸惑いを隠せず間の抜けた返事しかできなかった。
「じゃあ私、先生のところへ行ってくる!」
そしてそのままジャックの手からリントウを受け取るとキャロラインは診療所の奥へ走り去っていった。
「……成功を祈ってる……」
キャロラインに聞こえているか聞こえていないのかわからないが、ジャックは走り去る後ろ姿に向けてそう声を送り、そのままどさっと後ろに倒れこんだ。
全力疾走を1時間もしたせいかさすがに疲れた。
足ががくがくで汗が止まらず、息も絶え絶えだ。
だが達成感、充実感はある。
ひとまず俺の仕事は完了した。
一旦ここで体力を回復させてもらおう。
動けるようになったときにはカルアとその赤子を見にいくことにしよう。
そう考えてジャックは目を瞑り、体力回復に努めた。
そしてジャックの体力が戻り、目を開けたちょうどその頃、診療所内から大きく泣き叫ぶ産声が聞こえてきた。
どうやら無事、成功したようだ。
後に聞いた話だが、産まれてきたのは女の子でミルキーと名付けられたらしい。
ジャックはミルキーの産声に心地よさと安心感を感じつつ、
寝転がりながら伸びをすると寝返りを打ち再び目を瞑ることにした。
これにて一件落着。
もう一眠りしてからキャロライン、それにカルアたちに会いにいくとしよう。とでも言うように。
だがそうやって安心したのも束の間。
翌日。
ダンが卵と一緒に村から姿を消した。