4-13 事件の些末 前半
「では、今回の議題はこれで以上とする」
ギュンターの一声により、この場の緊張感が霧散した。
出席者の肩の力が抜け、やや朗らかな雰囲気になり変わる。
「いやぁーそれにしても、ギュンター殿は相変わらずの手腕! さすがですなぁ!」
会議の場にいた1人の男がご機嫌そうな顔をギュンターに向ける。
「ジームの経済を発展させるばかりか、大領主様の政策にも強気で、かつ懐のデカさを見せた姿勢! 重税の上、高額な寄付金を支払ったのにもかかわらず、ジームがこうして安定して商売ができるのは偏にギュンター殿のおかげと言っても過言ではありませんな!」
そうして高笑いする男の言葉にこの場にいる皆がうんうんと満足そうに頷く。
いや、正確には皆ではない。
長卓の上座、短辺の席に座るギュンター、その後ろの2脚あるうちの1脚の椅子で背筋を伸ばし拳を膝に乗せるコーリ、そして更にその後ろで礼儀正しく立つギュンターの護衛の3人は動じずにいた。
「ふん。大したことはしていない。私は自分の責務を全うしたまでだ」
鼻を鳴らし冷静沈着なギュンターにこの場にいる商人達は「相変わらずですなぁ」と上機嫌に笑みを溢す。
「そんなことよりもそろそろ食事に入ることにしよう。今日は紹介したい者もいる」
ギュンターの言葉に反応したかのように部屋の扉が開かれ、外からメイド姿の女性達により料理が運ばれてきた。
「ほう。今日はリングルの料理ですか」
目の前に置かれる皿を眺めて、1人の男が感心するように唸った。
西区の中心であるジームには地方から商品だけでなく様々な文化や風習が流れてくる。料理もそのひとつだ。
ジームより遥か遠い北にあるリングルの料理はラム肉を用いたものが多い。今回出されたのはラム肉を低温調理したポワレ。ラムの独特の匂いがこの場に充満し、それが更に食欲を唆られる。
「リングルのですと、赤ワインが欲しくなりますなぁ!」
小太りの男の冗談交じりの上機嫌な声に、「ふん」と上座にいるジームの中心的人物が鼻を鳴らした。
「当然、用意している」
「おぉー! そうでしたか! いやはや、急かしてしまったようですみませんなぁ!」
「問題ない。――だが、その前に」
ギュンターを後ろに目配せをする。すると後ろに座っている青髪の少年がすぐさま立ち上がった。
綺麗に足を揃え背筋を伸ばし、右手を開いた状態で胸の位置にそっと当てている。この国における商人が正式な挨拶をする時の作法だ。
「コーリ・ヘリックスだ。皆知っているとは思うが、私の倅の1人だ」
「コーリ・ヘリックスです! よろしくお願いいたします!」
堂々とハキハキと話すコーリに一同皆「おぉー……」と感嘆の声を上げた。
コーリが父のいる仕事場や会議を見学していることは珍しいことではない。だが、今までギュンターは息子のことは紹介せず、誰もいないかのように振る舞ってきた。
それを今日この日、ギュンターはコーリのことを敢えて皆に周囲した。意味することをジームの商人が知らないわけがない。
「ほほう! コーリ殿もこれで商人の第一歩を踏みましたな。まだ成人前だというのに、ギュンター殿に認められるとは大したお方だ!」
また1人の男が賞賛の声を上げる。
ヘリックス家、及びジームの商人には、商人の仕事を本格的に始める前の跡継ぎを自身の仕事場に連れていく、という風習がある。
跡継ぎと共に行動をし、自分の仕事振りを見せたり、教えたりする。跡継ぎといえど、まだ仕事を任せられる程ではない。そのため、商談や会議など重要な話し合いがある場合には前に出さず、いないものとして捉えて、ただただ見学させる。そうやって背中を見せて学ばせる。
そして、商人として認められた場合、皆に向けて紹介し挨拶することで、晴れて商人見習いとして仕事を任されることになる。
だいたい、商人見習いになれるのは成人を過ぎて1年くらい。16歳程度――つまりダンやリオトくらいの年齢なのだが、コーリはかなり早い段階でギュンターに紹介されたということから、この場にいるジームの経済を担う商人達の期待値は上がり、笑みを浮かべる。
ジームを大きくしたヘリックス商会。その跡継ぎをこんな早い段階で商人見習いにするのだから。
しかし――、
「おや? そういえば、ギュンター殿にはもう1人お子さんがいたような気がしましたが……」
当然、リオトのことが疑問に上がる。基本的に跡継ぎは長男がなる。
ヘリックス家は昔から長男以外の息子達にも見学をさせていたが、どの世代でも必ずと言っていい程、長男がヘリックス商会の後を継いでいた。つまり次男が長男よりも早く商人見習いとして紹介されることは今までなかったのだ。
「あいつは今、反抗期中でな」
ギュンターは気難しそうな顔で肩を竦めると、呆れたようにため息を吐く。
「この会食にも来いと言ったのだが、この有様だ」
「そうですか。親不孝な息子さんですね」
「ふん。まぁいいさ。あいつもいずれわかる。如何に自分が今、愚かなことをしているかということを。その時になったらあいつを笑ってやってくれ」
嘲笑。
ギュンターとコーリ以外の出席者が小馬鹿にするように口の端を吊り上げる。
ここには、リオトの精神的な未熟さと反抗的な態度に自分も昔そうだったと思い返す者もいれば、その人物を隣で見ていた小賢しい者もいた。
リオトの今は、誰しもが1度は通る、もしくは目の当たりにする。
だが、ここにいる商人達は知っている。
反抗期に思い描いた無茶な夢が成功する確率は低い。逆に敷かれたレールはノーリスクで人生を豊かにする、と
そして皆気付くのだ。
――昔は馬鹿なことをした、と。
リオトもそうなるに違いない。
今は周りが見えていないだろうが、いずれ気付く時が来る。
そして、この時のことを恥じ、悔い改め、この場に参上した時には盛大に笑ってやればいい。
それなりに人生を歩んできた男達はその時を迎えたリオトを妄想し愉悦に浸った。
「私の愚息のことより、そろそろ食事に入ろう」
「おぉー。そうでしたな! 冷めてしまわないうちに食べてしまいましょう」
ギュンターの提案で思い出したように目の前のラム肉に舌舐めずりする。
「コーリ。皆にワインを」
「はい」
ギュンターは後ろにいるコーリに指示すると、彼は何の躊躇もなく動き始める。
食事を持ってきたメイドからワインボトルを受け取り、この会場にいる全員のグラスにワインを注ぐためだ。
商人見習いの最初の仕事。
接待の初歩ともいえるその行為は商人見習いとなった者を皆に認めさせるための儀式のようなもので、それをすることで、商人達に顔を覚えてもらえるという狙いもある。
まだ身長が幾ばくかしかないコーリに対して、商人達は自分のグラスを持つと、コーリの手元まで近づける。優しさ、というわけではない。自身の器量をギュンターや他の商人にアピールするという打算のためだ。
「コーリ・ヘリックスです。以後、よろしくお願いします」
それを知ってか知らずかコーリはワインをその近付けられたグラスの中に注ぎながら、自己紹介をする。これもまたしきたりの1つだ。
この言葉使い、姿勢、そして歩き方。コーリの一挙一動をこの場にいる者達はつぶさに観察する。
商人見習い最初の仕事ということもあるし、ギュンターの子ということもある。だが、1番の理由は若くして商人見習いと認められたこの子の実力に興味があり、推し量りたかったのだ。
そして、コーリは席に座る全ての人間のグラスに赤い液体を満たし終わった。
全ての所作、言動が文句なしの完璧。今の流れでこの小さな商人見習いに類稀なる才能を垣間見た商人達は感心するように吐息を吐いた。
曰く、近い将来が楽しみだ、と彼が注いだワインのグラスを回し、
「邪魔するゼェ!!!!」
そして唐突に事件が起きた――。