1-3 シエド村の歓迎法
キャロラインの命令に従い、ジャックはすぐに風呂へ向かった。
数日分の汚れが一気に落ち、汚れと脂まみれだった髪の毛に艶が戻り、ついでに伸ばしっぱなしだった髭も剃ったためか最初に会ったときよりも若返り健康そうな顔になった。
その後、キャロラインが出してくれたこの村に住む若い男がよく着るような男物の服を着て、より清潔感溢れる格好になった。
キャロラインが言うには村に住むことになる以上、村長にも挨拶しておいたほうがいい。
ということでジャックとダン、キャロラインはシエド村の村長の家へ向かった。
その時でもダンは、すぐに戻ってくるとわかっておきながら、ジャックから受け取った卵を大事そうに持っていた。
「それ気に入ったか?」
道中ジャックは卵を指差しダンに尋ねると、ダンは好奇心の塊のようなその眼をより輝かせ「うん」と大きく頷いた。
「どんな生き物が出てくるか楽しみだ!」
そしてダンはキャロラインの方を向き、
「ねーちゃん! これ、ぼくが貰ってもいい?」
とテンションを上げた様子でお願いする。
お願いといってもダンの中ではこの卵を貰うことはすでに決まっており、先ほどの質問はむしろ確認に近い。
「それはいいけど……ちゃんと育てられるの?」
「うん!」
キャロラインとしてはこの卵はダンの両親からの贈り物でもあるし、ダンが貰い受けるのは吝かではない。
だが、さすがにまだ産まれていない卵の状態とはいえ生物を子供のダン1人に任せてしまうのは心配である。
新しいおもちゃを発見したような楽しそうな笑顔で大きく頷くダンを見つめて、その不安はより一層深まるばかり。
「そんな不安げな顔してどうした?」
ジャックはそんな様子のキャロラインに気付き、卵を抱え撫で見つめているダンを尻目に話しかけた。
「あの子、卵貰ってからずっとあんな感じで卵持っているけど、おもちゃと勘違いしてないでしょうね」
「子供は真新しいものを見つけたら誰だってああなるさ」
「……うっかり遊んで割ったりしないかしら」
「そこは大丈夫だろ。ダンだってちゃんとあの卵の中に生き物が入ってるってわかってるみたいだしな。気をつけるだろ」
「あっ! ジャック! あそこが村長さんの家だよ!」
そんな話をしているとどうやら村長の家が近づいてきたみたいだ。
ダンはその家の方を指差し、突然走り出した。
「……あ……」
「「……あ……」」
そして道に落ちてた小石に躓いた。
躓いた弾みで卵は宙に舞い、ダンも宙を彷徨った。
(あぁ、言わんこっちゃない!)
キャロラインはその一瞬に身体が反応できず、ただ手で眼を覆うだけ。
あの卵の人生もとい卵生もここまでだった。
(お姉ちゃん、義兄さん、ごめんなさい。受け取った卵は地面に触れてない部分を大事に掬って卵焼きにでもします……)
バルトとスーザンに懺悔し、これまでの卵の記憶を…………そんなになかったが思い返しながら
次に眼を開けたら、
「……あ、あぶねぇ……」
ダンを右腕で抱え、卵を左手で持ったジャックが冷や汗をだらだらと流しながら、前に屈んで立っていた。
ダンも自分が転んだと思い、眼を瞑ったがいつまでも地面への衝撃がこなかったため、恐る恐る眼を開け、
ジャックが自分を抱えていること、卵も護ってくれたことに気付いた。
「ありがとう……ジャック」
「気にすんな……次からは気をつけような」
ジャックはダンを下ろし、お礼を言ったダンの頭を撫で次への反省を促すが、
「ダ~~ン~~?」
キャロラインは許してはくれなかったようである。
★★★
「おや? どうした、ダン。そんな静かに泣いて」
「……なんでもない」
自分の名前を呼ぶ声が外から聞こえたので家から出てくると、村長は頭に大きなたんこぶを作り静かに泣いているダンの様子に気付いた。
「ほほぅ、またキャロに叱られたな」
泣いているダンが「なんでもない」という時は大抵、キャロラインに叱られた時であると決まっている。
村長は不敵な笑みでキャロラインを見ると、彼女が抱えているものに気付いた。
「なんじゃ? その卵」
村長が見ていたのは――ダンに持たせるのは危険だと先ほどわかったため――今度はキャロラインが預かることにした例の物。
「わしへのお裾分けかの? どれ、卵焼きにして食おうかのぉ」
「やだなぁ、違いますよ。お姉ちゃん達からの贈り物みたいです」
とキャロラインは愛想笑いで軽く否定する。
「ここのジャックが届けてくれたの」
「ジャック・ブルーランドだ。今日からしばらくこの村に住むことになった。よろしく」
年齢は20代後半であろう黒髪ショートで狼のような髪型の若い青年。
少々、がさつで大雑把な性格をしてそうではあるが、妙に好感が持てる男だった。
聞くとどうやらバルトやスーザンと知り合いであり、彼らに依頼されこの卵をダン達に届け、それが孵化するまでこの村に滞在するようだった。
「なるほど……なるほど。バルト達の知り合いであるなら、遠慮はいらない。気が済むまで滞在するといい」
村長はジャックの事情を把握するとこの村に住むことを了承した。
「ならば今日は宴じゃな!」
そして村長の一声により村の恒例行事でもある、この村の滞在者への歓迎会が高らかに宣言されたのだった。
歓迎会といっても、それはただの名目でしかない。
村の大人たちは皆、とにかく飲むことと外の事情を聞くことが好きなのである。
この山々で閉鎖された陸の孤島ではとにかく娯楽というものが枯渇気味である。
だからといって村を離れる人はたまにしか出てこない。
最近だと、元々冒険者であったダンの両親ぐらいなものだ。
そんな村も離れず、かといって娯楽もない、しかし宴が好きな者たちにとったら、たまに来る外からの訪問者というのは酒の肴以外の何ものでもない。
ジャックも当然、その餌食になるわけで――――
「あぁ~しんど……」
翌日の朝にはダン達の家のリビングで死んだ魚のような目をして、コップに入った水をちょびちょび飲むジャックの姿があった。
昨夜の宴は無事終了した。
ジャックは村人に自身の冒険譚を延々語らせられ、飲み合戦をさせられ、腕相撲であったり相撲であったりをとらされ、等々、日が出てくるまでさんざん色々させられた。
おかげで
喋りっぱなしで――声がガラガラ。
飲み過ぎによる――二日酔い。
様々な力比べをしたせいで――筋肉痛。
という三重苦に見舞われるはめになってしまった。
ちなみにその宴にダンは最後までいなかった。
曰く
「ただ飲んで何が楽しいのかわかんない」
とのこと。
その歓迎会で出てきた食べ物を早々に調達してはすぐに家に帰ってしまった。
今朝もまだ起きておらず、ぐっすりと卵を抱えて眠っていた。
もちろん割らないようにタオルでグルグル巻きにして。
「しばらく食べてなかったのに、急にあんな飲んだらそりゃ誰だってそうなるわね」
キャロラインは水差しでジャックのコップに水を追加する。
そんな彼女を恨めしそうに睨むジャック。
「村の連中の中で1番、俺に酒を勧めてきて、飲み勝負に勝った奴がよく言うよ」
「あら? そうだったかしら?」
下手な惚け方をするキャロラインにため息をつきつつ、水を一口飲んで昨夜の一部始終を思い出す。
村人にせがまれて自分の冒険話をしていたジャックに急にキャロラインは飲み勝負を仕掛けてきた。
ジャックはキャロラインが女で、自分も酒に強いという自負があったため勝負にならないと最初は断っていたがあまりにもしつこいので勝負にのったが最後。
(こんなにも強い女見たことない……)
と悟ったのを皮切りにジャックは負けを認め、飲みの席で倒れた。
しばらくして意識が戻り村の連中に聞くと、どうやらキャロラインは村で1番酒に強かったらしかった。
「あんたも良い勝負してたぜ!」
と誰かに言われたが、知ったこっちゃない。負けは負けだ。
「おい。次は俺と腕相撲しよう!」
ジャックは先ほどの負けの鬱憤を次に勝負を仕掛けてきた村人にぶつけたのだった。
そうやって全ての勝負に乗って、キャロラインとの飲み勝負以外には全て勝利を捥ぎ取ったジャック。
しかし朝までそんなことをやっていれば、体力も限界を迎える。
結果、リビングの机に突っ伏してだらけきった男が完成した。
「今日は何もしたくねぇな……」
「そうは言っても、今日は村の手伝いで狩りに行くんでしょ?」
今日はだらだらと過ごそうと思っていたジャックだったが、キャロラインの言葉で昨夜の宴で約束してしまったことを思い出した。
「あぁ! そうだった!……クソッ!」
こんなになるとは思わず、軽い気持ちで約束してしまった昨夜の自分が憎い。
というより誰がこうなると予想していたか。
いや、思い出すと自分以外は、キャロラインとの飲み勝負の時、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていた。
つまり外から来た連中が皆、こうやって犠牲になるのは村の恒例行事みたいなものだったのか。
「ジャックさーん。いるー?」
そう考えていると、家の扉をノックしながら男の声が聞こえた。
昨夜、狩りに行こうと誘ってきた男の声だった。
その声を聞いて
「まじか……もう来たのか! まだ朝早いぞ……」
と愚痴をこぼしていたが、しばらく考えて、
(まさか……!)
とキャロラインの方を勢いよく向いた。
キャロラインは水差しを持ちながら、愛想笑いを浮かべジャックを眺める。
「起きてるわよー! 今から出るって」
となんとも朗らかでわざとらしい口調で扉の先の男へ返事した。
(あぁ……そういうことか……)
そこでジャックは自分が村人たちに嵌められていたことに気付いた。
昨夜の狩りの約束から、飲み勝負で潰され、そして今日の狩りへのお出迎え。
全てが全て。この村の手厚いおもてなし。
もしかしたら村長への挨拶から全てが始まっていたのかもしれない。
「はい。これ、狩りの道具」
そうやって打ち拉がれているジャックにどこから出したのかキャロラインは猟銃や水袋などを渡してきた。
「じゃあジャック。帰った後で村の歓迎会の感想、聞かせてね」
キャロラインのその言葉で確信し、まだ宴が終わってないことを悟った。
「ジャックさーん。早くー!」
「あぁ! わかったよ! わかりましたよ! 行きます! 行けばいいんだろ! こうなったら大物を捕まえてやるよ!」
ジャックは諦めてややぶっきらぼうに立ち上がり、
「俺は銃は使えねぇ! 水袋だけくれ!」
と水袋だけを持ち外へ向かった。
こうしてジャックはシエド村に歓迎されたのであった。
余談。
後日、歓迎された後のこと。
「女の子にはしない方がいいぞ?」というジャック。
「もちろんしないわよ! 強そうな男だけ」と笑うキャロライン。