2-13 記憶の手掛かり
「あぁ……くそ……いてぇー」
「大丈夫?」
「だめかも……」
タウロスを倒して、小1時間経った。
その間、ダンとウィーは倒れたまま身体を動かすこともままならなかった。
今さっき漸くダンが上半身を起こしたと思えば、筋肉痛のようにビキビキと身体が悲鳴を上げたため、ダンの口からも悲鳴を上げた。
悲鳴を上げるが、口調は悲観めいた感じではない。
隣にいるステラも心配そうな様子で見ておらず柔らかく微笑んでいる。
脅威が去ったことによる安堵感。
それが一番大きい。
砂や土で汚れていて、疲れも明らかに出ているが、それでも皆、表情が明るい。
閉まっていた天井の小窓もいつの間にか開き、遺跡の中はまた前のように明るくなっていた。
「さて、またなんか出る前にさっさと出るとするか」
「そうね。でも動けるの?」
「なんっ…………とか……なっ! いてて」
そう言ってダンは膝に手をつきなんとか立ち上がるが、身体の疲労感は誤魔化せず。
「おっと…………」
そしてバランスを崩し、少しでも身体が強張ると
「クゥー…………ッ! いてぇ……!」
涙が出るほど痛みが走った。
「ボロボロじゃない」
とにこやかに笑みを浮かべるステラ。
「うるへぇー」
ダンは膨れっ面になって拗ねてみるが、それさえも痛いのかぷるぷると顔が震えていた。
その様子にステラは「あはは」と吹き出す。
「そんな笑ってるけどな! ウィーはどうなんだよ?」
ウィーは動けてすらいないんだぞ、とウィーを指差すが、ステラはクスクス微笑みながら、
「ウィーはいいの」
「なんでだよ?」
「私が抱っこして連れて帰れるから」
ねぇウィー、とステラはウィーに笑いかける。
「ウィ~……――」
ウィーは感謝を伝えるようにステラを弱々しく見つめて返事をした。
つまりステラが抱っこできるからダンみたいに必死に動く必要がないとステラは言っているのだ。
「…………不公平だ……」
と拗ねたようにそっぽを向いたダン。
「…………ん?」
すると、その方向に違和感を感じた。
一面一様な壁に見えるそこは凝視すると一部壁が前にはみ出ている気がした。
最初にこの部屋に入った時にはなかったはず。おそらくタウロスとの戦いの衝撃で浮き彫りになったのだろう。
ダンはゆっくりとそこに歩みを進め、その浮き彫りになった壁の一部に触れる。
だいたいダンの頭1個分高く、幅も両手を広げたくらい。
境界に触れるとやっぱり少し前に出ている。
「どうしたの?」
そんなダンの様子が気になって、ステラはウィーを抱き抱えるとダンに近づいた。
浮き彫りになった壁を観察するダン。
壁に触れるのはもちろん、その境界を眺めたり、少し叩いてみたり、壁に耳をくっつけてみたり――――。
「ここに空洞がある」
「ここに?」
その結論を述べた途端、ダンはさも嬉しそうにニヤァと笑みを浮かべた。
「なにがあるんだ? どうやって開けるんだ? 取手はもちろんないな。押すのか? 引くのか? もしかして合言葉とか? それだったらわからないから無理やり壊すしかないな。でも俺のパンチじゃ…………やっぱ無理か。でも入りたいなぁ。どうやったら入れる? あ、そうだ! あの牛野郎を倒した力だったらいけるかも! よし、ウィー! もう一度合体するぞ!」
さっきまでの疲れが嘘のようにダンは縦横無尽に壁の至る所を触れ眺める。
そして最終的には壁を破壊しようとウィーに助力を求めようと顔を近づけた。
が、すぐにヒョイとステラは体を回し、自分の体ごとダンからウィーを遠ざけた。
「ダメだよ。ウィー疲れてるもん」
「そこをなんとか!」
「だーめ」
「えーーーー」
抗議の声を発するダンを無視して、ステラも扉だと思われるその壁に触れた。
「それにしてもほんとにここに空洞があるの?」
「あぁ! そもそもこんな不自然に壁が浮き上がってる時点で何か変だろ? 他の所と叩いた時の音が違ったし! 他の場所から入れるかもしれないけど、とりあえずここを壊せば中を見れるんだ! だからウィー、さっきみたいに合体――」
「あ、開いた」
「え!?」
ステラがその浮き彫りとなった壁の端を触れた途端、その壁は横にスライドした。
重さもなく、すんなりと動いたその壁を見て、
「スライド式だったかぁぁああ!?」
とダンは悔しそうな声を発した。
「え? うん。もしかしてダメだった?」
「いや、うん、ダメじゃねぇ。むしろ良くやったって感じ…………」
にしては肩を落とし頭を下げている。
ダンの右手だけが親指を上に伸ばしステラのことを賞賛しているが、それ以外の全ては落ち込んでいた。
俺が開けたかった、と呟いているダンを気にすることなく、
「ふーん」
と空返事をしつつステラは中を覗いてみる。
だいたい4畳半くらいの大きさの小部屋。
天井もそれほど高くなく、壁には今いる部屋に架けられていたのと同じ燭台が何本かあり青い炎が灯っている。
とはいえ、それ以外の光は入ってこないのかやや薄暗い。
狭い小部屋。薄暗く何もないように見えるが、
「あ、なんかあるみたいだよ?」
目が慣れてくると奥に石碑のようなものが見えてきた。
さっきから――ステラにとっては何故か――落ち込んでいるダンも
「なんだぁ……?」
と中を覗くと、「おぉ!?」と目を輝かせすかさず小部屋の中に入っていった。
「すんげぇ! これぞ、冒険って感じな隠し部屋! しかもそこにある謎の石! 絶対なにかあるだろ!?」
落ち込んだり、興奮したり情調不安定ぎみのダン。
タウロスとの戦いの疲れと自身の好奇心で少々ハイになっているようだ、とステラは自分を納得させた。
最初こそぺちぺちと石の表面を叩いたり、手前に引っ張ってみたりしたが、その石は微動だにしない。
そして、しゃがみ込み手前の側面を撫でると、
「ん?」
機敏だったダンの動きもゆっくりになった。
「どうしたの?」
その様子が気になったステラはウィーを抱えつつダンに近づいた。
「いや、なんか表面に何か掘られてるみたい」
「そうなの?」
「でもちょっと暗くて見えないな…………灯りがあればいいんだが……やっぱウィーと合体――――」
「あの火使えるんじゃない?」
「……そうだな」
そう言ってダンはやや不服そうにしながらも立ち上がり、青の炎が燃え続けている燭台に近づく。
「お!」
どうやって火を使おうかと見ていたが、幸運にも取り外しが可能なタイプだったようで、「ラッキー」とダンは蝋燭を持ち出した。
これで見えるな、と石の表面に蝋燭を近づけると、表面が青白く明るくなった。
その表面には縦にも横にも等間隔に規則正しく文字のようなものが彫られていた。
だが、
「ん? なんだこれ?」
その文字は――少なくともダンが知る中では――見たこともない言語で書かれていて、解読の糸口も見当たらず全く読めない。
文字ではなく絵と考えても何を模しているのか理解することができなかった。
「どうだった?」
んー、と首を傾げているダンの隣に座るとステラは火の光を便りにその石を眺めた。
「いや、それがな。なーんか文字みたいのが彫られてるんだけど、全く読めねぇんだ――――」
「『かの者の系譜を紡ぐ者よ』…………なにこれ?」
「――――」
「ん? どうしたの?」
最初の一節を読み、何のことだろう、とダンの方を向くとダンは口をあんぐりと開けわなわなと震えていた。
まるでとんでもない現象が今目の前で起こったかのように大きく目を見開き、ステラの方を指差している。
「ステラ、お前、それ読めるのか?」
震える声を抑えつつ、ダンは恐る恐るステラにそう聞くと、ステラは顎に指を当てて首を傾げ、
「え? あー、うん。なんとなく?」
と自分でもどうして読めるのかわかっていない様子で疑問符を浮かべた。
「それがどうかしたの?」
「『どうかしたの?』じゃないよ!」
惚けたようなことを言うステラに思わず声量が上がったが、当の本人は急なダンの大声に顔をやや顰めているだけで、それがどういうことなのかわかっていない様子だ。
「つまりこれってステラの記憶の手掛かりかもしれないじゃん!」
少なくとも俺はこの文字を読めない、とも補足する。
「…………あぁーまぁ確かに?」
「――――」
そう言われてステラもやっと何故ダンが興奮しているのかが分かった。
分かったのだが、今日は色々なことが起こりすぎた。
そのショックはやはり大きく、『冒険』を発見し回復したダンとは違い、既にステラの心はキャパオーバー気味。
心の平穏のためか、ちょっとやそっとのことじゃ驚かなくなっていた。
そんなことを知る由もないダンは、衝撃の事実が発覚したのにもかかわらずステラが呑気そうにしているように見えて、ため息をついた。
「まぁいいや。続き読んでくれないか?」
「変なダン……」
そう言うが、ダンの頼みを聞きステラは正面を向いて石碑を読み始めた。
『かの者の系譜を継ぎし者よ
主の根巡り、印を集めよ
印揃わば、その場を示さん
示す場に行き、己を証せ
さすれば、”シエルシード”の道が開かれん』
「…………ん?」
ステラは首を傾げた。
書かれていた文もよくわからなかったが、出てきたその単語はもっとわからなかった。
聞き覚えもない。
だが、隣にいたダンを見ると、
「…………ッ!」
この隠し部屋を見つけた時よりもさらに口角を上げ目も輝かせていた。
ダンの手元にある青い炎の光も伴って不気味な顔つきに見えて、ステラは思わず軽く悲鳴を上げた。
「ど、どうした…………の?」
本日何度目かわからないその質問は今までの中で最も戸惑いに満ち溢れていた。
「…………ェル……ド……」
「え?」
「シエルシードだよ! シエルシード!」
「――――!?」
「知らないか? 女神シエルが落とした、手に入れた者はこの世の全てが手に入ると言われる幻のお宝! かの冒険家カリヴァー・ジョーンズがその存在を提唱した神秘の秘宝!」
「――――」
「まさかこんな所にそれについて書かれているなんてな! 今でもそんなの御伽話だとか妄想だとか言っている奴らもいたけど、こんないかにもな場所に書かれてるんだったらいよいよ真実味が出るな!」
「――――」
「いや、それだけじゃない!」
そう言うとダンは隣にいるステラの両肩を掴んだ。
その急な行動にステラはビクッと肩を震わせ、目を丸くしてダンを見た。
が、さっきとは打って変わってその表情は真剣そのもの。
ステラはそんなダンに怯みながらも
「な……なに?」
辿々しく聞いてみると、ダンは
「さっきも言ったが、この文字は俺が知らなくて、ステラが読めた文字なんだ」
と真面目な口調で、ステラがこの文字を自然と読めてしまった事実を繰り返した。
その口調はステラにはっきりとその事実を受け止めさせるかのようで、その真剣な表情を見て、ステラは唾を飲んだ。
「しかもその文の中に書いてあったのは冒険者、いや、世界中の誰もが一度は夢見たに違いない、幻の宝の名前だ」
俺が何が言いたいかわかるか、と聞くダンに、ステラは考えを巡らせる。
ダンの言いたいこと。それはすぐにわかった。
「つまり、私の記憶の手掛かりがそのシエルシードにあるってこと……だよね?」
だけど、それを解答とするにはやや無理があるような気がする。
ただその文字が読めただけで、シエルシードに手掛かりがあるというのは少し論理に飛躍がある。
それに――、
「で、でも、私、その名前知らないよ? ダンはもちろん、みんな知ってる言葉なんでしょう? それなのに私にはその言葉、全然聞き覚えがない――――」
「でも今のところ、唯一の手掛かりだ」
唯一。そう言われてステラは言葉を詰まらせた。
確かに目が覚めてから2日。ここに来るまでこれといって記憶も思い出せないし、何か特別なことは何ひとつなかった。
なぁステラ、とダンは続ける。
「俺とウィーは後ひと月もすれば、村を出て旅をするつもりなんだ」
「え?」
「まずはウィールドの王都を目指すつもりだ。そこにジャックがいるからな」
「――――」
「その後はウィールドを出て、他の国やまだ誰も知らないような所にも行こうと思ってるんだ。未知の島、見たことのない生物、隠された宝。そしてシエルシード。あぁー! 考えただけでもわくわくする!」
「ちょっ、ちょっと待って」
急な話の転換にステラは付いていけず、思わずダンにストップを掛けた。
当の本人は惚けたように「ん?」と返すだけ。
「色々話が飛びすぎていて、よくわからないんだけど、つまり……どういうこと……?」
「あぁ、つまりか。つまりだなぁ」
「うん……」
「――――俺たちと一緒に旅しないか?」
その誘いはステラにとっては唐突で、目を丸くする。
一緒に旅。ステラも外の世界に行こうというのだ。
「まぁ無理にとは言わねぇ。外は危険が多いらしいからな。だけど――ステラの記憶の鍵が何処かにあるかもしれねぇ」
未だこの世界ではシエド村の周辺しか知らないステラ。
世界は思ったよりも広い。
石碑に書かれていた文字を使っている国があるかもしれない。
シエルシードをステラが忘れているだけかもしれない。
もしくは全く別の切っ掛けで何かを思い出すかもしれない。
シエド村にはない物事が世界には多くあり過ぎるのだ。
「だから――」
「行く」
「いや、みなまで言うな。ステラが戸惑うのもわかる。まだ旅に出るまで時間があるからゆっくりと――なんだって?」
聞き間違いか?
自分が想定していない返事が聞こえた気がして、思わずダンはステラに聞き返した。
「行くって言ったの。ダンと一緒に旅に出るよ」
「……いいのか……?」
「誘ってきたのダンなのに、どうしてダンが戸惑っているのよ」
その言葉はダンにとっては願ったり叶ったりだったが、こうも即答されてしまっては、逆にこちらが面食らってしまう。
そんなダンを一笑しつつ、ステラはダンを見つめた。
「どうせここにずっといても記憶が戻るわけじゃないし、外の世界にも興味がないわけじゃないの。それに見つけるつもりなんでしょ? ――『シエルシード』」
「――――!!」
ダンには劣るが、ステラも好奇心旺盛な性格だ。
ずっとシエド村でじっとしているよりも冒険をしてみたいという気持ちはちょっとある。
またステラも記憶を思い出したくないわけじゃない。
『シエルシード』というのが何なのかはわからないけど、記憶を取り戻す可能性があるのなら、少しの手掛かりでも縋ってみたい。
だからダンの誘いを断れるはずがないのだ。
「……よし、わかった!」
そして――
「一緒に『シエルシード』を見つけよう!」
「うん! もちろんウィーも一緒にだよね?」
「ウィー!!」
今日、ダンとステラ、それにウィーの冒険の目標が出来た。