2-8 異形のモノ 後編
「悪いけど、それはできない」
「え?」
迷いもなくきっぱりとダンは『できない』と言ったことにステラは思わず聞き返す。
ダンの顔からではその真意が読み取ることができない。
覚悟を決めているわけでも、恐怖に怯えているわけでもない、淡々とした表情。
「正確には『俺はしない』ってことだけど」
「それってダンだけここに残るってこと?」
「そういうことだ。俺はここに留まってあいつを抑えることにするよ」
「抑えるって…………放っておくことはできないの? あの魔物? ここから出られないんでしょ?」
「あぁ~そうだと思ったんだけどな。――あれを見ちゃうとなんとも言えないんだ」
とダンはタウロスの方、正確にはその肩にぶつかる側面の壁を見ていた。
そいつの侵入を阻んでいる両脇の壁は薄暗い通路側からでも明らかに分かるぐらい崩れていた。
そいつの突進で壁を徐々に徐々に破壊しているのが原因だった。
さらにそいつが後ろに下がった時漸くわかった。
入り口は既に拡張されていた。
まだ身体全身が通路を通れるということはないが、拡張されたことにより体勢を低く保てば身体半分くらいまでは通路側に行けそうなくらいには拡がっていた。
「――――もうこんな……」
このペースでそいつが常に突進を続けていたら、今ステラ達がいるところまではすぐに掘り進めるだろう。
そして、その後もずっと勤勉に働き続けていればいずれは――――。
「俺たちがいなくなった後もあぁしてずっと突進を続けていたらもしかしたら壁を壊して森に出ちまうかもしれない」
「――――」
「そうなったら森の動物たちはもちろん、こいつが俺の村に来て、何も知らない姉ちゃん達に危害を加えるかもしれないだろ?」
そいつがいつ壁を突き抜けて森に出るかわからないが、壁が崩れていくペースを見ていると自分達がここを出てシエド村に着く前までには遺跡を出てしまうだろうことは予測できた。
今のところダン達を標的に暴れているようだが、この的がいつ変更されるのかわかったものじゃない。
興奮状態のそいつがダン達を追い越し――もしくは瞬殺し、その勢いのままシエド村の人間たちを襲うというのも考えられなくもない。
「だったら誰かがここであいつの気を引いておかないといけない」
「それはそうだけど。……いつまでもそうしておくわけにはいかないでしょ?」
「あぁ。――だからステラ達には頼みがあるんだ」
「――――?」
「俺はここに残るから、ステラ達には村まで行ってこのことを伝えてほしい。きっと村の強ぇおっちゃん達が来てくれるはずだから」
つまり助力の要請。
ダンは自分1人であの化物を倒せるとは思ってはいない。
だから自分は時間稼ぎに徹する。シエド村の輩が武器を手に取り来てくれれば、人海戦術で討伐する。
村の狩りで凶暴な獣を相手によくやる戦法だ。
「それは――わかったけど……」
ステラもダンが何をしたいのか理解はしたが、懸念事項が1つある。
「大丈夫なの?」
あの魔物の突進を――ナイフ1本を使い直撃を避けたとはいえ――食らい壁が壊れ崩れるほどの衝撃を身体中に受けた。
それに加え、まともに動けなかったステラとウィーを連れてここまで逃げ切ったのだ。
ダンの体は痛みと疲労が溜まっているはず。
そんな体でステラが村の強者共を連れて戻ってくるまで耐えられるのか。ステラは心配そうにダンを見た。
だが、ダンは立ち上がり腰に手を当てにかっと笑う。
「あぁ! なにもあいつを倒そうってわけじゃない。――ただ気を引くだけなら問題ないさ!」
――――実際のところ、これはただの強がりだ。
ステラの懸念通りダンの体はボロボロだった。
全身に痛みが走り、笑顔で立ってはいるが冷や汗は止まらない。
ステラとウィーを担ぎながら全力疾走したため筋肉は酸欠状態。
疲労で足はガタガタしそうなのをなんとか留めている。
それに――、
――すまん、ジャック……
腰に掛けてある鞘に隠してはいるが、先ほどの突進によって、ダンのナイフは刀身から砕かれてしまっていた。
ダンが吹き飛ばされた時、金属音がしたのはこのナイフが破壊されたためだ。
しかもこのナイフ。
幼少の時、冒険の心得を教えてもらった恩人――ジャック・ブルーランド――から贈られた大切な宝物。
それが砕かれ精神的にもダメージを負っていた。
だが、ここで弱音を吐いたところでやらなければならないことは変わらない。
無駄にステラとウィーに心配をかけるだけということをダンは知っていた。
気丈に振る舞い、心配をかけまいと笑って痩せ我慢をしていた。
「だから心配すんな! ステラ達が戻るまで耐え抜いて見せるさ!」
瞬間、再び通路中が揺れた。
出入り口を見ると、もうあと少しで自分たちに手が届きそうだ。
もうあまり時間もない。
「あいつが今度後ろに下がったら、隙を見てあの部屋に戻る」
「――――」
「だからその間にステラ達は遺跡の外に出てくれ」
「…………すぐ戻るから」
ダンの口調から止めたとしても無理だということはわかった。
だからダンにどんな算段があるのかステラにはわからないが、出来るだけ長く耐え抜けるだろうと無理にでも信じた。
少なくともステラ達がここに戻ってくるまでは。
「ステラをよろしくな。ウィー」
自分の相棒にもそれとなくステラと一緒に逃げるよう伝え、ダンは振り返りあの化物を見た。
ちょうど次の突進をするために後ろに下がっている頃だった。
「じゃあよろしく頼む!」
そしてダンは駆け出すと同時に刀身の欠けたナイフを目の前のそいつに向かってぶん投げた。
ナイフは一直線に飛ぶ。
そいつは次の突進に意識を向けていた。
まさか今まで隠れ逃げていた者達から反撃が来るはずもないと油断もしていた。
さらには薄暗い所から飛んできた小さい物体。
気付いた時には避けることもできない位置にそれはあった。
「――――――――!!!!」
激しい痛みに悲鳴を上げ、思わず左眼を手で押さえる。
刀身の欠けたナイフだが、奴の眼を潰すには充分だった。
その隙にダンは通路から抜け出し、急いで左に飛んだ。
いつもの状況だったら、死角を利用するために潰した眼の方に立つのが定石だ。
だが、今回は違う。
可能な限りステラとウィーに注意がいくのを避けるように立ち振る舞う必要がある。
「おい、牛人間! こっちだ!!」
痛みに堪えながらギロリとダンの方を睨む。
この痛みの原因はお前か。と、そいつからの恨みがこもったプレッシャーと殺気を感じる。
だが、それに怖気付くわけにはいかない。
自分が見られていることがわかるや否や、走りながらもダンはタウロスを観察しながら、入り口から遠ざかる。
そいつの視線は動くダンを追っているが、すぐには襲ってこない。
入り口奥で潜んでいる小物達も気にかかるからだ。
ダンは警戒をしつつ走り続ける。
出来るだけステラ達から遠ざかるように、意識がダンだけに集中するように。
出来るだけ早く『目的のもの』を手に入れられるように。
そして、ダンは一目散にそこに向かい素早く体勢を低くするとそれを掴んだ。
ステラ達から意識を逸らすという理由以外の、入り口から離れていったもう1つの理由。
それはここを凌ぐためのキーアイテムの存在。
「牛といったらやっぱこれだろ!」
虚勢を張って大声を上げると、ダンは両手でそれを広げた。
――――ボロボロになって捨ててある布を。
そいつの瞳にひらひらと舞う布が写る。
興奮状態の牛を本能的にさらに昂らせるように。
「お前を邪魔した布だ! 本日3度目の活躍!」
煽るためにわざとおちゃらけたことも叫ぶ。
自分を痛めつけた憎き奴が耳障りな口調で目障りな布を動かしてる。
そんな挑発めいたことに――――、
「オオォォオオオオオ!!!!」
乗らないわけがなかった!
牛の様にダンの持つ布目掛けて地響きを鳴らす。
近づいた直前にダンは布と共に上手く避けると、そいつは急には止まれず壁に自慢の角を打つける。
その間にダンは反対側の壁まで走る。
壁から抜けたそいつはダンを探し見つけるとまた突進をする。
避けるダン。突進する牛の魔物。
その動きは宛ら闘牛士と闘牛との真剣勝負。
そして――ダンの思惑通りそいつの頭からステラ達のことを忘れさせることに成功した。
★★★
ダンが飛び出したすぐ後。
「ウィー、行こう」
「………………」
ダンがどれだけ持ち堪えられるのかわからない。
なるべく早く村の人達にこのことを伝えて助けを呼ばなければならない。
だが、一緒に来てくれるはずの子竜はダンが走った先をじっと見ている。
「行くよ、ウィー」
ステラの二度目の呼びかけに漸くウィーは振り返る。
「ダンが心配なのすごくわかる」
「――――」
「わかるからこそ早く助けを呼びにいかないと」
だけど、ステラ1人だけではこの遺跡からシエド村までの道のりを迷わずに行くことはまだ難しい。
道に詳しいウィー1匹だけで行っても、ダンの危機を正確に説明することができない。
ここで残っても足手まといにしかならないのなら、結局ステラとウィーふたりがシエド村まで行くのが今のところの最適解だ。
「だからお願い! 一緒に着いてきて!」
「――――」
じっとウィーの目を見つめ続けるステラ。
ウィーの後ろで轟音が鳴り響いたとしても、ステラは拳をギュッと握りしめつつウィーから目を晒すことはなかった。
心配な気持ちはウィーと同じくらい持っている。
先ほどの轟音は何かあったんじゃないかと、すぐにでも様子を見に行きたい。
だけど、それをぐっと堪える。
そのステラの様子に固い意思を感じたウィーは――――後ろを気にしつつも渋々頷き出口の方へ歩みを進めた。
「…………ありがとう」
出口までもだいぶ掛かるはずだ。
走ったとしても、どれくらいかかるか。
でもそれが急がなくてもいいという理由にはならない。
どちらからともなく、ふたりは出口を目指して走り始めた。
ステラは決して振り向かず、直向きに足を進める。
どのくらいで戻れるかわかったもんじゃないが、とにかくシエド村に。
その意気で地面を蹴って遺跡の外に向かった。
そんなステラに着いて行くウィー。
所々で後ろが気になるのか振り返り様子を見ていたが、自身を制するように前を向いた。
だが、ふたりは気付いてはいなかった。
そんなウィーの身体が淡く光っていることに。
ステラは兎も角、ウィー自身も気付いてはいなかった――――。