2-7 異形のモノ 前編
咆哮を放った瞬間、その音圧によってかそれともその瞬間に何かを放ったのか定かではないが、覆っていた煙が一気に消し飛び、それは姿を現した。
漆黒の体毛を身に纏い、眼光は紅に輝き鋭い。
雄叫びを上げた口は大きく、開けた口から草食動物特有の発達した門歯が見える。
頭に大きな洞角を携え、発達した大きな耳は標的を捉え続けている。
首にある首輪が獣らしい不気味さを更に滲ませていた。
だが、獣らしい頭とは裏腹に身体は獣そのものとは言い難い。
筋骨隆々の腕。何かを掴み取れるようにできた手のひら。二足のみで立つことができる発達した健脚。
人間より一回りでかいことと全身を包む体毛、それに足が蹄だということを除いては、その体躯はヒトのそれであった。
その姿はまさに――、
「牛の人…………?」
ステラの口から漏れ出た言葉。
そいつを一言で表現するのにそれ以上の言葉はなかった。
人間の身体に牛の頭を取り付けたような、アンバランスな存在。
さらに言うならば、そいつは森にいるような獣たちと全然違う、禍々しく邪気を纏った雰囲気を醸し出していた。
いつもならばその奇妙な存在に目を輝かせるダンではあるが、そいつが明らかにこちらを敵視し殺気を放っていたことから、さすがのダンも腰にあるナイフに手をかけ一挙手一投足に警戒した。
警戒はしていた――――。
「――――――ッ!」
金属音が部屋中に鳴り響く。
ステラが呟いた直後、そいつは角を前に向けこちらに突進してきた。
その巨体からは想像もできぬほどの速さ。
警戒を続けていたダンひとりであったなら反射神経的に運良く避けることができたかもしれない。
だが、後ろにはステラとウィーがいた。
そいつの思わぬ速さとその意識が僅かながらに判断を鈍らせた。
ステラとウィーに避けろと言うことも出来ず、結果ダンは持っていたナイフで突進してきた洞角を受け止めるしかなかった。
いや、受け止めるというには語弊があり過ぎる。――止められちゃいないのだから。
そいつは洞角に何かが当たったと分かるや否や、薙ぎ払うが如く横に頭を振った。
急な力の方向転換にダンは抗うこともできない。
再度金属音がし、その数瞬後には壁に物がぶつかる音、壁が壊れ崩れ去る音が順に鳴り、砂埃が舞った。
さらにダンを飛ばした直後であっても、そいつは自身のスピードを緩めることなく突進し続けた。
不幸中の幸いだったのは、ステラが目の前にそいつが現れた瞬間から座り込んでいたことと、ウィーがそいつと比べてかなり小さかったこと。
そいつの突進はステラとウィーの頭上を越え、ダン以外誰にも当たることなく後ろの壁にぶつかった。
ステラとウィーはそいつの上半身を屋根に、その巨体と壁の間にすっぽりと収まる形になっていた。
壁が貫かれたということもない。
これ以上突進できないとわかると、そいつは洞角を引き抜きゆっくりとその巨体を起こした。
「――――」
「ウゥゥウ……!」
目の前の脅威にステラは声を出すこともできず、そいつを見るだけ。
そんな彼女を守るかのようにウィーはステラとそいつの間で威嚇する。
だが、その唸り声はそいつからするとあまりにもちゃちなものだ。
そいつは頭を少し下げて、ウィーとステラを捉えると、機械的に右腕を振り上げ――――。
「ドリャアッ!!」
その掛け声と共にそいつの肩の上にダンは跨り、後ろからその頭に大きな布が被せた。
ウィーを飛ばした時に使った布だ。
目の前が急に暗くなり、「なんだこれは!?」と言うように頭を慌てて横に振るそいつ。
それによって吹き飛ばされないようにダンはそいつの両肩で踏ん張り、布の端を引っ張り頭から剥がされないようにする。
その両肩の重さに気が付いたのかそいつは振り上げた右腕を自分の肩辺りに振る動作が見えたので、ダンは布をそのままに、すかさずウィーとステラがいる方へ飛んだ。
「今のうちに離れるぞ!」
ステラの後ろ辺りに着地したダンはそう言うと、ステラとウィーを両脇に抱えて、部屋の出入り口を目指して駆け出した。
そいつが自分の頭の布に気付くのも時間の問題だ。
顔の違和感に気付き、布を破り、出入り口に向かって全速力なダンが自らを邪魔した張本人だと。
そしてその犯人にそいつが怒りを持って――――
「ウオオォォォオオオ!!!!」
更に大きい雄叫びを上げるのは当然のことだった。
その咆哮は先ほどの威嚇だけのものとは違う。獲物を盗られたという怒りも混じり、ダンにしてやられたことから殺気が高ぶっていた。
「――ぃぃい! 来た来たキタ来たぁあ!」
地響きが鳴り響き自分たちの方に向かってくることが背中越しからでも伝わった。
ダンは慌てつつも両脇にステラとウィーをしっかり担ぎ、全速力で出入り口に真っ直ぐ向かう。
ダンたちがこの部屋に入った時の出入り口。
そこに行けば、一時的には凌げるはずだ。
あの突進してくる化物が入れるほどの幅も高さもなかった。
しかもこの建物の壁もある程度の強度もあった。
すぐに破壊されるということもないだろう。
問題は――――、
「間に合えぇぇえええ!」
そいつの突進スピード。
スタートダッシュはダンが早かった。だがそいつの走る速さは自分よりも明らかに速い。
さっきぶっ飛ばされて壁にぶつかった時は運良く受け身を取ることができた。
だが、今両脇にステラとウィーを掲げた状態であの洞角をまともに受けてしまえば、次はどうなるか。
いや、自分はまだしもステラ達に危険が及んでしまう。
「ウオオォォォオオオ!!!!」
「うおおぉぉおおおお!!!!!!」
突進をしつつ咆哮を上げるそいつの脅しを払拭するかのようにダンも叫ぶ。
もう目指す所は目と鼻の先。だがそれはダンだけではなくそいつにも言えること。
そして――――、
出入り口付近で轟音と共に砂煙が大きく舞った。
★★★
「――――い……おい……」
「…………ん……」
左頬を軽く叩かれる感触で、意識が回復する。
薄っすらと瞼を開くと、目の前にはこの2日間でよく見知った少年の心配そうな顔。
「大丈夫か?」
「うん…………どのくらい気を失っていた?」
「ほんのちょっとだ。時間にしたら1分も経ってない」
ほんのちょっと。――自分が気を失っていたことは目を覚めてステラはすぐに分かった。
が、徐々に覚醒していく頭ではまだ状況に整理がつかない。
辺りを確認すると、薄暗く少し圧迫感のある空間。
目の前にはステラが無事でホッとしているダン、その隣にはそわそわと辺りを見渡しているウィーの姿があった。
定期的に振動と共に天井から砂がパラパラと落ち、時折聞こえる低く唸るような音圧に身体ごと震え――、
「あ……」
そこで漸く思い出した。
「あ、あの怪物は――!?」
気を失う前に覚えていることは、牛の頭をした怪物が右腕を振り下ろす直前。
その後はなんとなくダンに担がれたような気がするが、気が動転していて朧げだ。
どこも痛みを感じなかったので、何とか逃げ延びることが出来たようだが、もしかしたらこの振動と唸りって――、
と顔を青くして、ダンを見ると「あぁ……」とステラが聞きたいことを把握し、自分の後ろを親指を立てて差す。
「――――ッ!」
思わず、ステラの口から悲鳴が漏れた。
ダンの後ろ側、自分たちのいる所からほんの数メートルという所にそいつはいた。
威嚇のために歯を剥き出しにし、紅に輝く眼はこちらを捉え続けていた。
「安心しろ。暫くは襲ってはこないよ」
時折そいつは身を引き、すぐにこちらに向かって突進してくるが、壁に両肩が引っかかり地団駄を踏んでいる。
「あの牛野郎、でかすぎてこっちに来れないらしい」
「……ここって?」
「最初遺跡に入った時に通った廊下。あいつがいる方と逆に真っ直ぐ進めば外に出られるはずだ」
「そ、そっか」
ほっと息をついた。
すぐには追ってこれないという事実を教えられ、先ほどまでの恐怖が少し薄れた気がする。
「――あれって……何なの?」
自身に関すること以外の知識はあるステラでもあの化物を見た憶えがなかった。
感じる邪気と殺気は歪で不気味。
通常の獣が持っているはずがないと直感するものだった。
「あいつは『タウロス』――所謂、魔物って類のやつだな」
「魔物?」
「あぁ。世界の理から外れた魔の物。その性質もどうやって産まれたのかも明らかになっていない未知の存在だ」
そしてダンは唐突に口調が流暢に。
魔物自体にも興味があったのか、はたまたこの危険な状況で妙に冷静になっているのか、淡々と魔物の存在について語り始めた。
「そいつは森や海、はたまた人里に何の前触れもなく現れるんだ――――」
目の前にある人や獣をただ殺意のまま襲うだけで襲ったモノを食べるということもしない。
無視して対処せずにいても消えることはなく、破壊衝動のままに動き続けるため、ある時には村が1つ魔物によって消滅したという悲しい事件もあったほどだ。
なので魔物が出たとわかるとすぐに討伐隊を派遣し即時殲滅するようになっている。
ただ倒したとしても何も残らない。痕跡はおろかその残り香でさえも消えてしまうため、魔物の身体を調べるということもままならない。魔物学と呼ばれる研究分野もあるほどだ。
ダンが幼少の時に聞いた冒険者曰く、「魔物の正体を明かせば一生遊んで暮らせるほどの大金が手に入る」とのことで、一攫千金を狙う冒険者もいるそうだ。
そして、何よりの特徴が、
「魔物は太陽の光で影ができない」
「影が?」
「あぁ。どういうわけか太陽の元にいても、その光は遮るのに、足元に影ができないらしいんだ」
「でも…………その魔物が出た時は――」
煙に影ができていた。とステラは訝しむようにダンを見ると、それに、あぁと首肯する。
「けど、言ったろ? 太陽の光だとって」
「つまり、影が見えたのは太陽以外の光ってこと?」
「たぶんな」
「そう…………」
「まぁでも、俺も話を聞いただけ実際に見るのは初めてだ。滅多に起こらない災害みたいなもんっていう話だけど――――今の所、あいつをこのメンツで仕留めるのは無理があるな……」
「じゃあ早く逃げなきゃ」
「悪いけど、それはできない」
――ダンの淡々とした言葉が通路に響き渡った。