2-6 模様の謎と唄物語
「――じゃあ何が見えたか教えてくれる?」
「ウィ!」
ステラのお願いに快く返事をするとウィーはその場を走り出す。
四足で地面を蹴り、尻尾の先は進んだ道を辿っている。
同じ箇所を何周もしていて、ウィーが走った軌跡を繋げてみるとその形はまるで、
「輪っか?」
「ウィ!」
ステラの呟きにウィーは回るのをやめ、「その通り!」と言うようにステラに指を指す。
そしてすぐその後に今度はさっき走った円よりも小さく走り始めた。
「輪が2つ……?」
「――――」
その後もウィーは先ほど上から見た模様をステラ――と仕方がないから、ついでにダンにも身振り手振りを使って伝える。
時には走ったり爪で模様の一部を書いたり手足と尻尾を器用に使って形を再現したりして、出来るだけ見たままをジェスチャーする。
2つの大小の円。それら円と円の間を小さい方から大きい方へ向かって尾のようなのが5本伸びた。さらにもう一本柱のような形も描かれ、その形は外側の円に滑らかに繋がっているようにも見えた。
5つの形からいくつか枝分かれするように細かな図形もあるような身振りをウィーはしたが、かなりシンプルな概略図的な説明をするならば――、
「つまり、二重丸の中の上半分に台形、下半分には三角形が5つ描かれた模様ってことか?」
「ウ~…………ウィ」
ダンの噛み砕いた説明に若干の誤差はある気がして少し悩んだが、最終的にウィーは頷いた。
「何かの紋章……?」
「確かに。――ステラの言う通り、紋章っぽいな」
ウィーに教えてもらった図形をなんとなく頭の中で想像すると、どこかのシンボルマークの様。
「この模様に覚えがあるのか?」
「…………う~ん、期待させちゃって申し訳ないけど、ウィーの説明だけだと何とも……」
「そうかー」
「ダンはどうなの? この模様知ってたりしない?」
「う~ん…………俺もウィーの説明だけだとちょっとな……」
「だよね。――あ、でもウィーの説明が悪かったわけじゃないからね!」
ステラは慌ててウィーにフォローを入れる。が、当の本人は首を傾げて愛らしい顔をしているだけだった。
「――よし。もう一度、床を見てみるか」
しばらく頭の中で考えてはみたがやはり何も思いつかない。
ダンの提案に従って、2人はこの部屋の床全体を眺めてみた。
不規則に掘られたように見えた溝も見るべきポイントが解れば、自ずと形が鮮明に浮き上がってくるものだ。
さっきのウィーの説明を受けた後だと、なるほど、確かに一番外側は円の輪郭をしている。
さらに掘られた溝の軌跡を目を凝らして辿ってみると、中心に近い所にも小さな円を形作るような丸みを帯びたライン。
そこから放射状に広がる5つの尾と1本の柱の面影も徐々にだが解ってきた。
しかし、
「う~~ん?」
腕を組みしかめっ面で頭を傾けるダン。
やはり大きすぎるというのもまた問題で、いまいち全体像が把握し難いのだ。
ウィーに教えてもらい、それを参考に噛み砕いた概略図を念頭に置いて眺めたとしても、やはり細かな部分には誤差が生じる。
三角形や台形というほどの幾何学的な模様ではないことは床とほぼ平行な位置から見ても明らかで、だからこそ絵として想像するにはまだ情報が不足していた。
「やっぱりよくわからんな」
「……でも」
「――何か気がついたのか?」
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど」
隣から聞こえた呟きに何かの記憶が呼び起こされたのかとすかさず反応するダン。
その前のめりに聞いてきたダンにステラはやや引き気味になってしまった。――が、聞かれたからには伝えないともっと執念深くなりそうだからと、ステラは思い付きの印象を口にする。
「模様自体はほんとに心当たりがないんだけど、こうして部屋の端から見ているとなんだか何かの儀式場っぽいなって思って……」
「儀式場ぉ?」
「うん。だってそうじゃない? 床に意味がありそうな模様が描かれてるのはもちろんなんだけど、この部屋、あまりにも生活感なくない? あんな高いとこに小窓とかあっても仕方ないし、部屋の周りにいくつか燭台があるけど夜になったら真ん中とか絶対見えなくなるよ」
ステラは床に彫られた模様だけでなく、建物全体を眺めるかのようにあちこちに指を動かす。
「確かにそうだな」
「でしょう? だから昔の人が何かの儀式に使っていそうって」
「なるほど」
「どうかな? やっぱ違う?」
自信がないのか不安げに眉を曇らせるステラが見る先には、顎に手を当て何か考えごとをしているダン。
そして何か思い出したのか、「そういえば」と一言呟いた。
「昔物語を唄ってくれる姉ちゃんから似たような話を聞いた気がする」
「物語を唄う人?」
物語を唄う人――すなわち吟遊詩人のことだ。
冒険者に付き添い、世界各地の国や村で伝説・言い伝えや英雄譚などを歌にする芸者たち。
最もダンが出会ったのは、
「まぁ会ったのは俺が小さかった頃でだいぶうる覚えなんだけど」
その一度きり。
もっと言うとジャックに出会う前の話だ。
その歌人の物語は当時のダンにとって――いや、今もではあるが――とても面白く興奮し、吟遊詩人が滞在していたその全ての日に昼夜問わずダンは話を聞きにいっていた。
「確か――」
そう言ってダンは思い出すようにぽつぽつとその物語をステラに語り始めた。
『とある場所に魔の王1人。
その王、全てを憎み全てを怨む魔を操る者なり。
魔により堂建て内にて進める儀の準備。
魔の杖用いて床に描くは儀式の陣。
巨大な二重輪。魔導文字。象徴示す彼の紋章。人避け呪い忘れずに。
さぁ準備はできた。喚ぼう全てを破壊せしめる邪の黒龍を――――』
「――そしてその魔の王が召喚した黒龍と一緒に世界を破壊することになるんだけど。そいつらを倒すために勇者が立ち上がって冒険の旅に出るんだ!」
この話はダンが気に入っている話の1つだ。
この物語を聞いてから吟遊詩人が帰った後もダンは勇者ごっこをよくしていた。
とはいえこの話をオチまですると相当長くなるし、現状重要なのは思い出話に花を咲かせることではない。
「まぁその続きは今はいいとして、言われてみれば確かにこの部屋はそういう物語に出てきそうだ!」
人も寄せ付けない遺跡。今まで遺跡はもちろんこの周辺もシエド村の人たちに認識されていなかった。
人避けの呪いがあったならその説明がつく。
それに輪が2つあり、何かの紋章を描いた模様がある床。
その物語では杖で描いていて、この部屋では溝が彫られているようだが、模様があるという点では類似している。
だがそういう類似点もあり雰囲気もそれなりにあるのだが、1つだけ問題があった。
「もっともさっきの話は単なるお伽話――つまり作り話らしいんだけどな」
あくまで勇者と魔王のただの物語。
言い伝えでも英雄譚でも、ましてや伝説でもない、どっかの里に伝わる童話だとその語り手は言っていた。
所謂、子供の躾のための物語だと。
『良い子にしていないと魔王が出るよ』という為の話だと。
「……それじゃあ関係ありませんってこと?」
ステラは頭に疑問符を浮かべ首を傾げる。
ダンの話が全て本当なら、ダンが小さい頃に聞いたのは虚構の世界の話だ。
いくらこの遺跡が――ダン曰くだが――雰囲気が似ているとはいえ、実際の使い方や用途などといったものの確証をその物語から得るのは難しい。
「いや、違う!」
しかし、ダンは即座に『ノー』と返す。
「モチーフってあるだろ? この物語にも何かしらのモデルがあったはずなんだ」
「――――」
「だったら実際にここで何かが召喚される儀式が行われててもおかしくはないはずだろう?」
「そこまでは……ちょっと無理があるんじゃない……?」
そのモチーフというのは実際に行われたことを参考にしたとは限らない。
床にただの絵が描かれた屋敷から着想を得たのかもしれないし、ただの昔の人が建設した、神に祈るための祠が舞台だったかもしれない。
ともかく、何かの建造物をモデルに話を膨らませて『魔王が竜を召喚した』という部分はただの作り話という可能性もあるし、まだ現実味がある。
というわけで、ダンの言い分は少し飛躍している気がしてステラはやんわりと否定した。
しかしダンは「いやいや!」と何かに――いやもう明らかではあるが――期待するかのようにステラの言葉を受け止めない。
「火のないところに煙は立たないっていうし」
「それはそうだけど……」
「もしかしたら――――」
「――? どうしたの?」
「――――」
唐突にダンの言葉が止まった。
何かに気がついたように目はステラの頭より少し上辺りを見ていた。
ステラの後ろと言えばちょうど壁際。
ダンの興味の的である模様は反対のはずだが――。
その的よりも関心のあるものが突然出てきたような。
もっと別の――何かこの部屋に変化が起きたような。
そんなような反応。
そういえば、なんだか少し薄暗くなったような気がする。
まだ日が沈む時間ではないはずだ。
「…………火がついた……」
「火?」
言われてダンが見ている方向を振り向くと、壁に掛けてある燭台の1本からゆらゆらと揺れる青白い炎が。
しばらくするとその燭台の両隣の燭台が点火した。
そしてその隣に。その隣に。
順々に燭台から火が灯っていく。
燭台には蝋燭1本も立っていなかったはずなのに。
対面側の燭台に向かうかのように火元がわからない炎が着々と燃え上がる。
そればかりか。
先ほど薄暗いと感じた理由がわかった。
遥か上空の天井付近の小窓が全て閉じられていたのだ。
そして――――、
全ての燭台から青白い炎が灯ると、今度は床に掘られていた溝が青白く光り出した。
外側の円から駆けるように煌き出し、5本の尾、内側の円、1本の柱の順に走る閃光。
全ての溝に光が満たされ、やがてその光は強く輝き出した。
明るすぎてとてもじゃないが目を開き続けることはできない。
ダンとステラ、それにウィーは三者三様に反射的に手や腕で目元を覆い、思いっきり目を瞑った。
「――――」
しばらくすると、徐々にその輝きが弱くなっていくのが目を瞑っていてもわかった。
ゆっくりと瞼を開けてみる。
床からゆらゆらと輝きが波打っているが、我慢出来ないほどじゃない。
また目を瞑る前まではなかったスモークが部屋の中心地から立ち昇っているのが見えた。
その煙の影には――――。
あまりにも唐突な出来事。
尚且つ急な変化だったため、ステラとウィーは未だ状況を受け止めきれず、只々その場で立ち尽くすのみ。
「す…………」
最初に口を開いたのはやはりダンだった。
「すんげぇぇええ――――!」
人が介入していない自然発生的な不可思議現象が目の前で起きた。
この男の目が輝かないはずない。
「やっぱり遺跡だ! すげぇ!」
「――――」
「ほら見てみろ! あの煙の影に何か蠢いている!」
興奮した様子で部屋の中心を指差す。
煙で詳細はわからないが、確かに何かがいるような気配を感じる。
生物なのか、その影はゆっくりと揺れ動き、微かにだが動いたことによる地響きもこちら側まで聞こえてきた。
「漸く遺跡らしくなってきたな!」
その『遺跡らしさ』というのはどういうものなのか謎だが、ダンはかなり満足気だ。
対照的にステラは未だ呆然としている。
まさかダンが語った側からその物語と酷似した状況になるとは思いもよらなかった。
尤も物語の中では魔王なる者が黒竜を召喚したというが、この場にはそんな人はいない。
いや、もしかしたら自分たちの誰かが何かしたかもしれないが、少なくとも故意にこの状況を作り出した人はいないはずだ。
「ど、どうなってるの……?」
「わかんねぇ! けど何かがここに来たことは確かだ!」
「じ、じゃあ――! その何かって……?」
「それもわかんねぇ! けど俺らよりでかそうなのは確かだな!」
漸く言葉を喋れるくらいには状況を受け止めたステラ。
だがまだ全然咀嚼しきれず、動揺を隠しきれない。
「おい! あいつ、眼が光ったぞ!」
驚いてはいるが緊張感のないその感想。
好奇心が理性を凌駕してしまっている。
煙の中にいるのが何なのか気になって盛り上がる隣の男ほど状況を楽しむ余裕なんて専らない。
そんなダンと部屋のこの状況の温度差も影響して、ステラの心は平静を保つことができない。
――――なによりあの影が怖い。
ダンの緊張感のない実況のおかげで幾分かは薄れてはいるが、得体の知れないあいつが何故か恐ろしく感じる。
煙の影は明らかに自分たちよりも大きい。
煙越しからでも感じる圧迫感。
まだ姿を現していないというのにそいつから放たれる威圧に体が身震いした。
あの煙が晴れ、姿を現した時、ただでさえ入り乱れている心は――――。
そしてそれはこちら側を睨みつけ――、
――――部屋中に咆哮が響き渡った。