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2-2 彼女の記憶

 人の騒ぐ音が聞こえる。


 熱い空気に、喉が焼けるような感覚。

 見えるものは全て赤もしくは黒に包まれた。


 所々で金属が打つかる音がしたと思えば、すぐ後に肉が裂ける音が聞こえ、言葉にならない断末魔が胸に響く。



 どうして? なぜ?


 そんな想いばかり頭に浮かんでは消えた。


 この場から離れようとしても手に力は入らず、壁に背中が癒着してしまったかと錯覚するほど動くことができない。


 ここは豪華絢爛、優美で気品溢れる場所だったはずだ。

 だが視界に映る景色は業火に包まれ土埃が立ち、醜悪で利己的な者達の横行を許している。



 ふと左手に生暖かい感触がした。

 反射的に手を床から離すと、手に付着していたものは飛沫を上げた。


 ぬめりとした気色の悪い感触。皮膚にこびりつき爪の奥にまで入ってきそうな感覚。

 馴染みのない得体の知れない感触の正体を知ろうと顔を動かし掌を見た。


 掌は朱に染まっていた。

 全身に鳥肌が立ち、腹の底から込み上げてくるような吐き気を感じるのを我慢する。


 自分のものではないことはすぐにわかった。

 じゃあ近くにいる人の…………?


 左手が置かれていた床を見てみる。

 床は自分の手形以外は手に付着していたものと同じ朱色の液体で染まっていた。

 その手形もやがて跡形もなくなり、手形があった場所には小さな水溜りができるだろう。


 その水溜りの元には一筋の川が流れていた。

 その一筋を恐る恐る辿ると、すぐに水源が見つかった。

 それはうつ伏せに倒れ、背中には何本もの刃物が刺さり、顔をこちらに向けていた。

 それはまっすぐこちらを見ていた。だがその目には正気が感じられず、口も力無く開けられ、顔中朱に染まっていた。


「――――――ッ!!!」


 声にならない叫びが無意識に出た。

 その人物が誰かというのはすぐにわかった。

 むしろ見る前から理解していたのかもしれない。

 そんなはずはないと願いながら確かめ、その事実が確実なものとなってしまった。

 その人物は自分が良く知っている者だった。


 どうしようもない現実を受け止めきれず叫び、噎せて、視界が全て歪んでいった。



 その絶望に塗れた空間に些か違和感を醸し出す場所があることに気がついた。

 それはこの場所の中心にあり、違和感はその台座の上へ立つ者から感じられた。


 周囲の者達とは違う感情。動き。表情。

 その者は手を広げ高笑いしたかと思えば、顔を覆い腰を曲げ狂喜乱舞し、そして大口を開け何かを叫んでいるようだった。

 その者の叫びは喧騒に包まれこちらには聞こえてはこない。

 だがどんな言葉を叫んでいるのかは部分的には理解できた。


 あぁ!! ほんとに!! 私は!!――――


★★★


 気がつくと、薄暗い空間にいた。

 見えるのは月明かりでやや青白く見える木製の天井。

 背中には柔らかくふんわりとした感触を感じる。

 目頭が熱く、目尻から重力に従って涙が伝うのがわかり、確かめるようにゆっくりと顔に手をあてる。

 その時に同時に腕や胸、そして足にまで覆い被さる羽毛の柔らかさも感じ、どうやらどこかの布団に寝ているらしいことがわかった。


 ということはさっきまで見ていた情景というのは、


「………………夢……?」


「ん………………?」


 独り言のようにぼやいた囁きを聞かれたのか、横からややのんきな声が聞こえた。


 声の方向に顔を動かすと、近くの椅子の上で胡坐をかく茶髪の少年が横目でこちらを見ていた。

 何かの食べカスがついた頬を膨らまし、左手には骨付きの肉、右手にはフォークを持ち、胡坐をかいた両足の上には焼き飯やサラダがたんまりと入った皿が置いてあった。


 目が合うと、少年は慌てたように左手にある肉、皿の中のものをすべて口の中に掻き込み飲み干すと


「気が付いたか?」


 何事もなかったかのように話しかけた。頬にはまだ食べカスが残っているが。

 ベッドで寝ていた少女は状況が未だ把握できず、上体を起こした。


「…………ここは……? ――いッ……!」


「ステラ!?」


 上体を起こした瞬間、全身に痛みが走り思わず身を強張らせた。

 少年は彼女の動作を見るとすぐに立ち上がり、彼女の背中を支えた。


「大丈夫か!?」


「…………大丈夫」


 ほんの一瞬痛みが走っただけだった。死ぬほど痛いというわけではなく、軽度の痛み。

 痛みがあるということにほんの少し驚いてしまったというのがより正確な表現だ。

 その後、腕や足が若干動かしにくいのを感じ腕を見ると包帯が巻かれていることに気が付いた。足も同様だろう。


「そうか……よかった」


 ほっとしたかのように少年は呟き力が抜けたように椅子に座りなおす。


「ここはシエド村。ステラが倒れた森の近くの村さ」


「…………そう……」


 確かに森で彷徨っている時に何かがいる物音や気配に誘われて、男の人と何かしらの獣に出会った記憶がある。

 その人を見た瞬間に何かが飛んできたのに驚き、さらに人に会った安心感からか力が抜けてしまったのも覚えがある。

 その後の記憶はここで起きたことしか覚えていないということは、脱力してしまった後に気を失ってしまったのだろう。

 だんだんとぼんやりとしていた意識が覚醒し、ほんの少しだけ思い出しつつある。


 ただ――、


「……その、……『ステラ』って?」


 その言葉には覚えがない。

 先ほどまでその言葉を少年は自分を呼ぶために使っていそうだが、何のことだろう?

 何かの方言だろうか? それともお呪いの一種だろうか?

 少年はきょとんとした顔でこちらを見ている。


「あんたの名前だろう?」


「――え……?」


「え~と、あ、ほら!」


 少年は寝台近くにある机に手を伸ばし、照明をつけ何かのアクセサリを手に取った。


「これ、身に着けていたペンダント! ここに文字が書かれているだろ?」


 それは金色に装飾された丸みを帯びたロケット。

 少年は彼女の方へロケットを近づけ、表面を指差した。


「このペンダントで名前が『ステラ』なんじゃないかって姉ちゃんと話してたんだ」


 『親愛なるステラ・――に贈る ―――』

 所々擦り減って読めない所もあるが、確かにステラと書かれている。


 少女が見たのがわかると、少年はペンダントを元の場所へ戻した。


「まぁ、こいつの中身は見てないから安心してくれ! ――と言っても開けられなかったんだけどさ」


 ハハハ、と陽気な笑顔で頭を掻く少年に少女は苦笑いで応対する。


(ということは開けようとしたんだ……)



 確かに自分の名前は『ステラ』なのかもしれない。

 だけど、何かもやもやした気色悪い感覚を得る。

 少女――ステラが自分のことを考えようとするほど、頭に霧が発生し、さらに思考を妨げるように濃くなるような感覚があった。


「ま、それはともかく」


 ステラの思考を――あまり意識はしていないだろうが――一旦止めるかのように、屈託のない笑顔で少年はステラの方へ右腕を伸ばした。


「俺はダン・ストークっていうんだ。よろしく!」


「あ…………うん……」


 戸惑いつつも包帯が巻かれた腕を伸ばし、握手に応じる。

 そこで気がついた。


「――――!!」


「ウィ?」


 ベッドの下からこちらを見上げる白い子竜に。


 この場所にダンと共にずっといただろう。

 だがステラからすれば意識の外から急に現れた得体の知れない生物だったため、身体を少し強張らせた。


「こいつもステラのことが気になるみたいだ」


 白竜はベッドに飛び乗ると、ステラの顔を興味深そうに眺め匂いを確かめるように鼻をひくひくとさせていた。


「こいつはウィーって言うんだ! 俺のいつも一緒にいる相棒兼友達! ま、要するに俺の家族だな」


 ダンの紹介に合わせるようにウィーと呼ばれた子竜は「ウィ!」とステラに向かって元気良く片手を上げた。


「はぁ……」


 生返事になってしまった。

 それも当然のことだ。


 見覚えのない場所。

 初めて会った人物。

 初めて見る生物。

 そして、『ステラ』という覚えのない名前。


 起き抜けの情報としてはあまりに多すぎる。

 ステラの中でこれらを処理するのは少々時間がかかりそうだ。


「それで」


 しかしそんなステラの様子には御構い無しにダンは


「ステラはなんで森にいたんだ?」


と自分の興味に従って口を開いた。

 しかももうこの少女のことを『ステラ』と呼ぶのは決まっているらしい。


「……えっと……」


 未だ困惑しているステラではあるが、それでも健気に、ゆっくりと、ダンの質問について思い出してみる。


 森にいた理由。

 そういえばなんだったか。

 なんとなく森を彷徨っていた気もするし、何か明確な目的があった気もする。


「……わからない……」


 だが、正確には覚えていない。

 ステラはゆっくりと首を振った。


「気付いたらあそこにいた……と思う……」

というのが現状わかることだ。


「そうなのか?」

「ウィーウィ?」


 ステラの曖昧とした回答にダンとウィーは同時に首を傾げる。


「あ、じゃあ」


 好奇心旺盛そうな瞳でダンは思いついたように別の質問をする。


「ステラはどこから来たんだ?」


「………………――ッ!」


 その質問をされ、思い出そうとした瞬間、頭に痛みが走った。

 反射的に手で痛みがある場所を触れ、ステラは目を閉じた。


 ダンに聞かれたことを思い出そうとするたびに靄が掛かったような、深い霧に入ってしまったかのように頭の中が霞む。


 よりパーソナルなところ――例えば名前とか故郷とか――を考えると特にだ。


「大丈夫か?」


 ダンは心配そうな顔でステラの様子を見た。


 少しすると痛みが引き、思考も明瞭になる。

 だけど――、


「わからない……」


「え?」


「私…………どこから来たんだっけ?」


 結果としてステラは自分のことを思い出せず、自問自答するように呟くことしかできなかった。


 ステラの呟きを聞いていたダンは驚いたように目を見開く。


「覚えてないのか?」


「…………うん」


 ステラは首を縦に振り、肯定する。

 自分がどこから来たのかも思い出すことができない。

 ついでに言ってしまうと


「名前も、ほんとに『ステラ』なのかわからない……」


 さっきからステラと呼ばれてはいるが、それが自分の名前だとは確信が持てない。


「何も思い出せないみたい」


 そればかりか自分の情報全て、もやもやと得体の知れない何かに邪魔されているように引き出すことができなかった。


 ダンは唖然と「マジか……」と呟くと、


「名前も、故郷も、歳も、家族のこともみーんな覚えてないのか?」


「……うん」とステラは首肯する。


「つまり……記憶喪失ってやつか……?」


「…………そうみたい……」


 他人事のようなのは、今の状況に実感がないからだ。


 明確に思い出せる最初の記憶は森で起きた時。

 頬に冷たく硬い感触を感じ目を開けると、石造りの薄暗いどこかの遺跡のような所にいた。


 それ以前の記憶となると、どうも上手く思い出すことができない。


 まぁ思い出せないからこそ、『記憶喪失』と言われても悲観することも絶望することもなかった。

 むしろ頭の中でもやもやしていたのは記憶がないからなのか、と妙に納得してしまった。



「あ、起きてたのね」


 部屋の扉付近から女の人の声が聞こえた。


「気分はどう?」


 長い茶髪を後ろで一つに縛った、ダンよりも年上に見える女性がそこに立っていた。

 その人の手には何か食べ物が入った皿があった。


「聞いてくれよ。ステラ、記憶喪失かも」


「え!?」


 ダンのその言葉にその女性は驚きの声を上げると持っていた皿を近くの机に置き、すぐにステラの元へ近寄った。


「そんな怯えなくていいわ。少し質問するだけだから」


と言いつつも険しい表情でダンの隣に座るもんだから、ステラは若干顔を強張らせる。


 そんなステラを安心させようと、ダンはステラに微笑みかけた。


「大丈夫だ。うちの姉ちゃん、ちょっと怖いだけだから」


「何が怖いのよ?」


「ウグッ……――」


 女性はステラの方に笑顔を向けながら、手刀をダンのみぞおちに当てた。

 その手刀に反応が出来ず避けることができなかったダンは素直に一撃を喰らった。


「怖くないわよ。ねえ?」


「…………は、い……」


 口角は上がっているが、目が笑ってない。

 ステラは引きつった表情のまま――強制的に――同意させられた。

 その女性は気にすることなく、


「じゃあ質問するわね~」


と淡々と話を進める。

 だが「あ、その前に」と声を上げると、女性はステラに片腕を近付ける。


「キャロライン・ウィーラよ。この蹲ってる子の叔母」


「キャロライン……さん……?」


「キャロでいいわ。ま、ともかくよろしく」


 多少強引にだが、キャロラインはステラの手を引き寄せ自分と握手させた。


「じゃあ質問するわね――」


 それ以降は至極、簡単な質問をされた。


 自分の名前や出身地といった先ほどダンに聞かれたことを聞かれたり、加えて小さい頃の思い出といったステラに関わることをより詳細に質問された。


 そればかりか「これの使い方わかる?」とペンを渡されたり、寝台の近くの机に置いてある照明の付け方など


(どうしてそんな当たり前のことを?)


と思うようなことも聞かれたが、キャロラインが真面目な顔をしているので文句を言わずに正直に答えた。


「なるほどね……」


 いつの間にか持っていたカルテにペンを走らせメモを取っていたキャロラインはため息混じりにそう呟いた。

 カルテを眺めながら何か考えごとをするように眉を顰めている。


「…………何かわかったのか?」


「とりあえずわからないと言うことがわかったわ」


 考え得る可能性を全て考慮して問診し続けてみたが、ステラの症状はキャロラインにとって初めて見るものだった。


「物の名前や使い方は知っているし、文字も読めるし簡単な計算もできる。

 現状の記憶力もこれといって問題があるわけでもない」


 どうやらステラが当たり前だと思っていた質問も何らかの意味があるらしい。

「記憶を無くすと物の名前すらも思い出せなくなる場合があるの」

と補足的にキャロラインは説明していた。


「なのに自分や自分に関わることになると思い出せない。まるでそこだけぽっかり穴が開いたように」


 確かに自身の情報だけが欠落している。

 キャロラインにいくつか質問されてわかったが、日常生活には支障がない。

 物の使い方もはっきり思い出せるし、例えわからない物があっても『今までに使ったことがある物の使い方』から導き出すことができそうだった。

 だけど思い出というものが存在しなかった。正確には思い出せなかった。

 名前や使い方はわかってもそれをいつどこで知ったのかはわからない。

 ただなんとなくわかるという、思えば少々気色悪い感覚だ。


 だが、

「でもそこ以外は全く普通なのよね~」

と困ったように、不思議そうにキャロラインはカルテを眺める。


 それからカルテとステラを交互に見ながら何か考えをまとめるかのように口を動かし続けた。


「思い出すときに頭が少し痛むみたいだけど、頭を打ったとか外傷もなさそうだし」とか、

「思考も、まぁ、許容できるくらいには正常よ。寝起きって感じ」とか、

「会話すら朧げになっても可笑しくないのに、全然しゃべれるんだもの」とか、

「健康そのものよ。身体が怪我していること以外には」とか、

「嘘をついてそうにも見えないし」……とか――――、


「姉ちゃんストップストップ! ここまでにしよう」


 つらつらと脈絡もなく話すキャロラインをこのまま放置しておくと永遠に終わらなくなると危惧したダンはキャロラインを制止した。


「つまりどういうことなんだ?」


「要するにお手上げ。少なくともここの設備じゃわからないわね」


「そうですか……」


 キャロラインの解答に納得したようにステラは相槌を打つ。


 なにぶん今しがた発覚したことだ。

 むしろこんなに早く、わからないなりにも分析し、少なからずステラがどういう状態なのかがわかったのだ。


 それだけでもステラにとっては有難いことだった。


『ぐぅううう……』


 ふいに低く情けない音が部屋中に響き渡った。

 3人と1匹がちょうど黙り静かになったタイミングだった。


「…………あ、」


 初めに声を上げたのはステラだった。

 ダンたちがステラの方を見ると、耳まで真っ赤にさせお腹を両腕で押さえていた。


(そういえば、森にいた時から何も口にしていなかった…………)


 ステラの元気な腹の虫にキャロラインはクスッと微笑み、


「ともかく今日の所はご飯食べてゆっくり休みなさい」


と机に置いた食べ物を取りにいき、ステラの目の前に差し出した。

 皿に積まれているのは野菜と肉。


「この鹿肉、俺が狩ってきたんだ!」


 自慢げにそう言ってどさくさに紛れてダンはつまみ食いしようと手を伸ばす。


 が、キャロラインにその手を叩かれ、「イタッ!」と悲鳴を上げた。


「全く……油断も隙もないんだから……」


 キャロラインは軽蔑したような目でダンを睨みつけた後、すぐに優しそうな顔でステラの方を見る。


「この鹿肉のおかげで今日の村は宴で騒がしいけど、許してね」


 確かに外からは人の騒ぐ音が聞こえた。

 楽しげな幸せの音だった。


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