1-9 白い子竜
「…………ウゥ……」
あの後、ジャックはダンをおぶり、ダンが持ってきたリュックサックに卵を入れるとリントウの草原を後にした。
あの母狼はジャックやダンが自分たちに敵意がなく、さらに言うと自分たちを脅威から守ってくれたと理解したのか、ジャックがリュックサックを拾うため、母狼に近づいても何もしてこなかった。
最初していた威嚇が嘘のように穏やかな顔でただじっと乳を飲む子を見守っていた。
「……ウゥ……ズズッ……」
そのためこれ以上刺激させてやることもないと、ジャックもシルバーウルフに軽く一礼するだけに留め早々に立ち去った。
「ウゥゥ……」
何はともあれあの母狼や子狼を殺すことがなくてよかったと胸を撫でおろす。
問題があるとすれば……
「なぁ……いい加減、泣き止めよ?」
背中で静かに震えているダンだった。
鼻をすする音や嗚咽が数歩進む度に聞こえてくる。
きっと蛇に対峙した時の恐怖やジャックが来たことによる安心感などで涙が止まらないのだろうとジャックは考えた。
しょうがないとため息をつき、慰めようとジャックは口を開く。
「そりゃあ……怖かっただろうし、今も傷が痛いんだろうけど――」
「ねーちゃんに怒られる……」
「そっちかよ!?」
ダンはただキャロラインに怒られることに恐怖し、震えているだけだった。
「だ……だって……ジャックが来たってことは絶対ねーちゃん、ぼくがここに行ったって気付いてるよね?」
背中越しからでもダンの顔が青くなっているであろうことがわかる。
「ねーちゃん……怒ると怖いんだ……」
「そこは怒られろ。黙って森に出たお前が悪い」
「え~~~~!!」
バッサリと一蹴するジャックに抗議の叫びをダンは上げる。
が、何も対処する気はジャックにはない。
「……まったく……」
その一連のやりとりで一気に肩の力が抜け、ジャックはため息をつく。
「俺はてっきりさっきのことでお前がショックを受けてると思ったぞ」
「さっき?」
「あの大蛇と出くわした時だよ!」
もう忘れたのか、と呆れるジャックに対してダンはきょとんとしている。
「だってあの蛇はジャックが倒してくれたじゃん」
「はぁ?」
「かっこよかったなぁ~! 一瞬で倒しちゃうんだもん! あんなでっかい蛇をこうして、こうしてさ!」
とジャックに背負われながらも、手をぶんぶんと楽しそうに振り回す。
大蛇と闘った時のジャックを再現しようとナイフを持ったような腕の動きをしている。
「ジャックが強いのは知ってたけどさ。あんな凶暴な蛇をあっさり倒しちゃうんだもん」
蛇に対峙した時、立ち向かった時の痛みや恐怖、無力感などは忘れて、ジャックの戦いぶりに興奮している様子だった。
自分を称賛してくれるのは、まぁ、悪い気はしない。
が、ダンにはもっと今回の行動が危険なことだったと、反省してほしいのも事実だ。
「ほんと強かったなぁ……!!」
そう憧れてくれるダンに、ジャックはやはり何か一言説教を入れた方がいいのではと考える。
自分が如何に危険な行動に出たのか。
その行動によって悲しむ者が出てしまうということを。
それをわかってほしいとジャックは口を開く。
「あのな~……俺が来るのが遅かったらお前、もう少しで――」
「それで、ぼくは弱かった……」
――死ぬとこだったんだぞ
そんな言葉を出す前にダンの一言に驚いて言葉が詰まる。
「あの時……ぼくはあの狼たちを助けたかったんだ……」
ダンがシルバーウルフに気付いたのはリントウを採取している時だった。
最初こそシルバーウルフの威嚇に震えあがったが、すぐに自分を攻撃する気はないのだとわかった。
シルバーウルフはダンを見ているわけではなく、その遥か後ろ、ダンを挟んで逆方向の森とリントウの境目を見ていたと気づいたからだ。
その境目にはダンよりもはるかに大きい蛇の姿があった。
ダンはその蛇とシルバーウルフが戦うのだと思い、急いでその場から逃げようとした。
だが、シルバーウルフは動こうとしなかった。
大蛇が自分のところへ向かおうとしているのにかかわらず、シルバーウルフはただ威嚇するだけで臨戦態勢になるばかりか立ちもしない。
その不自然さに疑問を感じシルバーウルフをよく観察したダンは銀狼のお腹辺りに産まれたばかりの狼の子がいたことに気付き、そのせいでシルバーウルフが動けないとダンは判断した。
だが――、
「でも助けられなかった……相手にもされなかった……」
持っていた木の枝で蛇を叩いてもびくともしなくて。
返り討ちにしっぽを使って投げ飛ばされた。叩きつけられた。腹を殴られ飛ばされた。
蛇にとったらダンは自分に集るハエ程度の存在だったのだろう。
何度も挑んでも歯が立たず、次第に何もできない無力感に涙が出て、蛇の獰猛さに恐怖し足が震えた。
だが自分が食い止めないと子狼が食べられてしまう。
そうやってジャックが来るまでの間、恐怖と守りたいという思いに葛藤しながら蛇の邪魔をしていた。
「自分が守りたいと思ったものを守れなかったんだ」
倒すこともできず、守ることもできず、ただただ邪魔をしているだけだった。
あの場で一番悔しい思いをしていたのは他でもないダンだった。
だから
「強くなりたい……! 守りたいって決めたもの、守れるように……!」
「そっか」
ダンの少ない言葉で悔しい思いや反省を感じ取り、ダンが何もわかっていないわけではなかったとジャックは理解した。
自分でわかっているならこれ以上言うことはない。
ジャックはダンの言葉に一言だけ返すだけに留めた。
「……ん?」
ふと、ジャックの手元が震えているのに気付いた。
「お……おい! ダン……!」
急に立ち止まり、蛇と堂々と戦っていたさっきまでの様子とは嘘のように動揺した声を出すジャック。
「……どうしたの?」
ジャックのその様子にただならぬ気配を感じたダンは恐る恐る状況を聞く。
「…………ご……が……」
「え?」
「た……卵が……動いてる……」
「嘘……!!??」
ジャックの言葉に驚き、急いでジャックの背中から降りるダンと荷物を下ろすジャック。
恐る恐るリュックサックの口を開けると、ブルブルと震えている卵があった。
ダンとジャックは同時に顔を見合わせる。
「取り出すぞ」
ジャックはゆっくりと卵を外に出した。
元気よく鼓動を繰り返している卵。
取り出した後、慎重に地面に置く。
――ピシッ……!
しばらくしていると卵にヒビが入る音が聞こえた。
真剣にその卵を見るダンとジャックはいつしか顔と卵がぶつかるのではないかと思うほど、卵との距離を詰めていた。
「ここここここれって……暖めた方がいいのかなななな?」
「わわわわわわからねぇ……がもももももう産まれるんじゃないのか?」
動揺しすぎて声が震えうまく言葉が出せない二人だった。
約数ヶ月間、試行錯誤の末、全く反応を示さなかったこの卵が今、こうやってヒビが入り、中で引きこもっていた新たな生命が必死に外に出ようと藻掻いている。
驚きと喜びでうまく思考がまとまらない。
一度ヒビが入ってからは、次々にヒビが入る音が聞こえてきた。
もうそろそろ中にいる生命の正体がわかる。
ジャックとダンの動悸はどんどん早くなっていく。
どんどんとヒビが入る。
この数か月間待ち望んでいたこの卵の正体がわかる。
期待で胸が膨らむ。
この際、もう何でもいい。
とにかく産まれてくれるのが重要だ。
ジャックとダンは真剣に卵を観察した。
そして――――、
甲高い産声と共に卵が割れた。
自分が産まれてきたのを知らせるように何度も何度も泣いている。
口は大きく開けられ、そこから見える牙はまだ小さい。
頭に二本の角みたいな突起がある。
背中には飛べそうにない小さな羽のような突起もあった。
目はまだ開く力がないのか閉じられたままで、手足の爪もまだ柔らかそうだ。
そしてなにより全体的に白色の体毛に覆われていた。
「ドラゴン……だ――……!」
「ドラゴンだな――!」
一目でダンとジャックはこの生物がドラゴンというのがわかった。
本で読んだり、話を聞いた通りドラゴンの特徴と合致していた。
ジャックは驚いたように口に手を当てる。
「まさか本当にいるとは……いや、実在するのは知っていたが……」
「ドラゴンなんて初めて見るよ!」
「あぁ! 俺も初めてだ!」
ダンもジャックも初めて見る生物に興奮していた。
「だが……聞いていたどのドラゴンとも違うな……」
しかしそのドラゴンがどういう種類のドラゴンかはジャックでもわからなかった。
「抱いてみていいかな……!?」
ダンは目を輝かせ、ジャックにそう聞く。
「ちょっと待て」
とジャックはリュックサックの中からタオルを取り出すとダンに手渡した。
「これを使って優しくな」
ダンは取り出しやすいように卵の殻を割ると、ジャックに手渡されたタオルを使って子竜を抱いた。
「うわぁぁぁああ……!!」
感極まって嬉しそうな声を出す。
「暖かい!」
子竜は子供のダンの胸に収まるくらいの大きさで、タオル越しからでも伝わるほどの暖かさをしていた。
「――――――!」
そんなダンと子竜の様子を微笑みながら見ていたジャック。
その姿に突然、何故か大きくなったこの子竜と共に戦うダンの姿を予感した。
さらにその姿に友人のバルト・ストークの姿を重ねた。
「なぁ……ダン?」
だからこれは今突然思いついた、何も責任の取れない提案だった。
「なに?」
「俺の依頼のこと覚えているか?」
「……うん」
その瞬間、ダンは子竜が生まれた喜びから一瞬にして覚めてしまった。
ダンは子竜とジャックを何度も交互に見て、寂しそうに頷く。
ジャックの依頼内容。
それは卵をダンとキャロラインに渡すこと。
そして卵の孵化を見届けること。
「……つまり、俺の依頼はこれでもう完了したわけだ」
「そうだね……」
だからジャックはもうこの村には用がないのだ。
この数ヶ月間、ジャックといる生活は楽しかった。
だが、ジャックがこの村の住人ではない。
拠点は別にあって、そこにもきっとジャックを待っている人がいる。
引き止めるわけにはいかない。
「だが――」
ジャックがそう口を開くと、ダンはゆっくりとジャックの方を見た。
「ダンたちに卵を渡してから1年間はシエド村にいれるくらい、大きな仕事が入ってこないように調整している」
「それって……」
「何度もいうが、一緒に連れていくことはできない」
今回の一件で、ダンもそのことはわかっていた。
自分があまりにも弱く、そしてちょっとした冒険でもすぐに死ぬくらいの危険性がある。
冒険者になるにはジャックについていくだけではなく、ダン自身が強くならなければならない。
ジャックは身を屈め膝をつくと、いつものようにダンの頭に手を乗せる。
「だが――俺がここを出て行くまでの間、お前に冒険者の基礎を教えることならできる」
その提案はプロの冒険者としてはあまりにも愚かな提案だった。
本当ならこんな小さい子供に基礎を教えるという提案もするべきではない。
冒険者という生業があまりにも危険でやるべきではない、ということを教えてやるほうがよっぽど誠実だ。
しかしダンはバルトとスーザンの子であり冒険者としての素質を秘めている。
「お前は今日冒険者にとって一番大切なことを学んだ」
そしてなにより今日、ダン自身が学んだことは冒険をすることにおいて重要なことだった。
ダンはジャックにそう言われ今日の出来事を思い返すが、何のことかわからず首を傾げる。
「大切なことって?」
「『自分が弱い』って自覚したことだよ」
「弱い? 弱いのが大切なことなの?」
「あぁ」
ジャックは当然というように首を縦に振る。
「自分が弱いことを知っている奴は強くなる。それこそ守りたいものを守れるようになれる!」
ダンはまだ腑に落ちないような顔をしている。
――いずれそのことがわかるようになるよ
とジャックは数年後のダンの姿を予想し、にかっと笑う。
「それでどうだ? 俺の提案に乗るか?」
乗らなかったら乗らなかったで良い。
ダンの将来である。自分で決めるのが一番良い。とジャックはダンに聞くが、ダンの顔は既に決まっているかのように迷いがなかった。
「もちろん乗る!!」
ダンの表情を見て、ジャックは嬉しそうな顔をする。
「よし! なら今日からみっちり教えてやるから覚悟しとけよ?」
「わかった!」
ジャックは立ち上がり、ダンの荷物を担ぐとシエド村に向かって歩き出す。
「まずはキャロに叱られることからだ!」
「え~~~~!!」
反抗の叫び声を上げながらも子竜を抱きかかえながらダンはしぶしぶとジャックについていく。
こうしてダンはジャックに冒険者の基礎を叩きこまれることになった。