異世界転生
「明日世界が終わっても悔いのない生き方をしなさい」
小さい頃亡くなった母はそう言った。遺言ではない。まだ母が元気だった頃によく言っていた言葉だ。今となってはどんな時に言ったのかも思い出せないが幼い俺の心に深く刻まれていた。小中高、大学と過ごしていく中で俺はその言葉の通りに生きてきた。一番興味のあったサッカー部に所属し、気になっていた女の子にアプローチして、高校では男友達とバンドを組んだりもした。一生懸命勉強して全国でもトップクラスの大学に入った。医者だった父は俺にも医学の道を進めたが、自分には合わないと思い別の分野に進んだ。大学に入ってからは今まで通りの生き方の他にボランティアサークルでの活動に精を出した。医者である父と誰よりも優しかった母に憧れて自分も誰かの役に立ちたいと思ったのだ。
将来に不安はない、毎日の生活も充実している、年相応の苦労もしてきた、順風満帆、万治順調、悔いのない生き方そのものだった。
そんな俺は今日、死ぬらしい。
交通事故だった。道路に飛び出した子供に気がついた俺は咄嗟に自分も道路に飛び出して、迫り来る車から子供を守ろうと押し出した。その瞬間体の左側から味わった事のない衝撃を感じて俺の意識もろとも吹き飛ばした。
そして、今である。車の衝撃からどれくらい経ったのか、今どこにいるのか分からない。目の前は真っ暗で体は闇の中に溶けたような感じだ。走り抜けた走馬灯が自分の死期を予感させた。
『おーい!』
懸命に声を上げるが何も聞こえない。耳がダメか喉がダメか。もしかして既にここが死の世界なのか。その考えが脳裏をよぎった瞬間に俺は恐怖を感じた。
「怖いんだ。悔いのない生き方を続けてきたのに?」
問いかけが聞こえてくる。確かにそうだ、自分は悔いのない生き方をしてきたはずだ。それでも心はスッキリしない。
「悪い事も一切せず懸命に生きてきたのに周りより早く死ぬんだから神様もひどいよね。こんな事なら努力なんかせず周りの迷惑も考えずに好き勝手に生きてきた方が有意義だったんじゃない?」
声はそう詰ってきた。女の声だという事に俺は気付す。これは自分の心の声ではない。
『君は誰だ?』
「私の質問に答えてくれたら教えてあげる。もしくは答え次第で私があなたにとって誰かが決まると言ってもいいけど。いや、どちらにせよ私の本質が何かは変わらないか」
回りくどい言い方で女は答えた。軽く適当に聞こえる言い回しだが、口調にはどこか真剣さを感じる。
「さあ、答えて。この瞬間のために生きてきたはずなのにあなたがモヤモヤしてるのは後悔してるから? 誰かを助けて死んだのは失敗だったと思わない?」
俺は女の言葉をゆっくりと噛みしめた。そして自分の人生を振り返り答えた。
『こんなに早く死にたくはなかった。自分の運命を呪いたくもなってる。……だけどもう一度人生をやり直しても同じように生きて、そして同じように誰かを助けて死ぬ事を選ぶと思う。それが父さんにも母さんにも、自分にとっても恥じない行動だと思うから』
ハッキリと俺は答えた。声は出ていないが何故か女に伝わるという確信があった。
「……ふーん、嘘はついてないみたいね。でもどっちつかずって感じ。後悔してないような、自分に言い聞かせてるような……。点数で言うと60点ぐらいかな」
『点数?』
「でも正直私もあっちも限界だし賭ける価値はあるのかな。あまり善人すぎても生きてけなそうだし、私も罪悪感が……」
女はこちらを無視して独り言を言っているようだ。俺は女の言葉の意味を理解しようと思ったが何を言っているのか分からなかった。
『なぁ……』
「決めたよ。あなたにする」
語りかけようとした俺を遮って女は言った。
「あなたの命を救う事にする。あなたに賭けるよ。あなたなら出来る気がする」
『どういう事だ?』
命を救う? 彼女は医者なのだろうか。いや、医者なら自分が誰であろうと救ってくれるはずだ。そもそも自分の頭の中に語りかけてこれるはずがない。いやいや、脳内に語りかけてくるなんて事を誰が出来るのだろうか?
俺は頭が混乱し始めた。すると、それを察したように女の声が聞こえた。
「あぁ、そうだよね、訳わからないよね。私、説明が下手だから。でもじっくり説明してる時間もないんだよ、あなたの灯火的な問題でね」
その瞬間、どこまでも続く暗闇の奥に薄らと白い光が灯った。その光は徐々に大きくなっているようだ。
「簡潔に話すとあなたにはこっちの世界を……いや、あなたにとってはあっちの世界か……まあとにかく救って欲しい。どうすればいいかはあっちに行けばきっと分かる。長い旅になるかもしれないけどあなたになら出来ると思う」
光はどんどん大きくなって視界を覆い始めた。彼女と話せる時間が残り少しだという事を感じた。
『待ってくれ! 俺に決めたって言ったよな? それって他に選択肢があったってことか? なんで俺なんだ? というかあっちの世界ってなんだ? 俺は死なずにすむのか?』
「なぜあなたに世界を救えると思ったかを言語化するのは難しいけど、一つ言えるのは価値観が美しいと思ったから。そう、あなたの武器はその価値観、考え方。私はそう思う」
いまいち分かりにくい答えを彼女は告げた。視界は白く眩く光り、タイムリミットを告げている。
「あぁ、後、私が誰か、だっけ」
彼女の声が徐々に遠ざかっていく。聞き逃さないように俺は必死に集中した。
「私は悪魔だよ、本質的に、役割的に。先に言っておくね、…………。」
消え入るような彼女の最後の言葉を聞いた。悲しげなその声を聞きながら眩い光の中に意識が遠のくのを感じた。
〜〜〜〜〜
「誰かに捨てられたんじゃないか?」
「誰にだよ。こんな所で裸なのも信じられねぇ。怪しすぎる。目覚ます前にさっさと行くぞ。もしくはここで……」
先程とは違う声が聞こえる。男の声のようだ。体は痛むがどこかに仰向けに横たわっているのを感じる。つまり自分はまだ生きているのだ。あの女の声の通り違う世界とやら来たのだろうか。普通なら信じる訳もないが間違いなく死にかけていた自分がこうして思考を掻き巡らせることが出来ている時点で普通ではない何かが起きていると感じた。
体を動かしてみる。筋肉が強張っているようだがなんとか動かせそうだ。俺は思い切って目を開けた。
眩しさで視界が揺れる。思わず目の前を手で覆った。するとその動きに反応した二人が一歩自分から離れた。
「膝をついて両手を頭の後ろに組め。変な動きをしたら殺す」
いきなりの強い言葉にゆっくりと言われた通りに動く。視界が徐々に晴れてきて男二人が覗き込んでいるのが薄らと見えた。一人は大きな銃を構えもう一人は弓を構えていた。弓は白く発光しているように見えた。どうやら土の地面の上に膝立ちにさせられてるようだ。二人の男の後ろすぐ近くに木々が見える。
「お前は誰だ。どこから来た」
銃を構えた男が俺に聞いてきた。俺は言葉を慎重に選びながら答えた。
「名前はケイです。恐らく別の世界から来ました」
二人の男が一瞬目配せをする。どうやら穏やかとは言い難い所に転生してきたようだ。