オーバースカイ・サンフラワー
じわじわと蒸し暑い日が続く。ランニングを終えたウォルフがポストを開くと、見慣れない葉書が届いていた。
…
「崇、お前宛てにこれ」
「ん?ああ……そうか、今年も季節がきたんだね」
崇の手に渡った葉書には目のさめるような青空と、天を向く向日葵の群れが水彩で描かれている。
「茨城と千葉の県境にね、大きな向日葵畑があるんだ。そこの向日葵が綺麗でね。行ける年には毎年行ってるんだよ」
「へぇ…」
「君、今日予定ある?」
「いや、特に何も」
「じゃあ行こう。どうせ家にいてもファイルの整理か明日の仕事に手を着けて区切りが付かなくなるだけでしょ」
「…おう」
ウォルフがシャワーを浴びている間に崇は朝食の準備をする。レタスとトマトに生ハムを乗せたサラダ、トーストを平らげ、アイスティーを喉に流し入れたら出発だ。
ウォルフは車のキーを出したが崇は首を横に振った。電車とバスで行けるからという。ウォルフは訝しんだが、それはすぐに払拭された。
日本では珍しいことでも何でもないが、時間通りに電車もバスも来る。揺られること約二時間、目的地に到着した。
「『夢野かがやき牧場』……牧場?」
「観光牧場ってやつなんだって。季節ごとに色々な花が咲いててね、夏の目玉は向日葵なんだ」
「ほー…」
入場料を払って中に入る。段々と日が高くなり、強い日射しに日陰の外にいる人はまばらだ。崇はどこからか麦わら帽子を取り出して被ると、早速向日葵畑に向かって歩きだした。
「花以外にも動物コーナーとかあるけど、後で行く?」
「お前に任すよ。気にしなくていい」
「触らせてくれるといいねぇ」
「うるせー」
下らないやりとりをしていると前方に黄色が見えてくる。
「っ……」
「ね、凄いでしょ」
視界いっぱいに広がる向日葵にウォルフは思わず息を呑んだ。つやつやと輝く向日葵が一面に咲き誇り、はっきりとした黄色と空の青色が自然なコントラストを描く。
「こんにちはー」
「あら竹中さん、こんにちは」
「お久しぶりです」
「あ、竹中のねーちゃんだ」
知り合いらしい老婆と一言二言話すと、何かの紙を持って崇が戻ってくる。
「あっちの方にさ、迷路があるんだ。ひまわり迷路」
「ああ、あの背の高い向日葵か」
「そうそう。で、これ。スタンプが迷路の中にあって、全部埋めるとフードコートの割引券になるんだ。勝負しようよ」
「へえ?っつったって、毎年来てるお前の方が有利だろ」
「そこは大丈夫。毎年変わるんだ、中身」
「なるほどな。先に全部押した方が勝ちか」
「うん。負けた方が勝った方にお昼ご飯奢りね」
「いいじゃねえか。乗った」
迷路の向日葵は高く、大人の背丈より少し高いくらいだ。子供も遊べる迷路だ、そこまで難解なものではないが、同じような視界が続くと徐々に難易度が上がっていくように感じる。
「あっ」
「っと。お前今いくつだ」
「三個。ウルフは?」
「マジか。俺まだ一つだぞ」
「ふふふ。がんばれー」
「お前『眼』使ってねぇだろうな」
「使わないよ!ってかウルフも鼻使ってないよね?」
「使ってねーよ!」
肘で小突き合ってお互いが今来た方向に向かう。その後も何回か合流し、最後の一つが見つからないなどとぼやきながらうろうろすること三十分。
「できた!」
「お前ここが最後だったのかよ!」
「ふふー。何食べようかなー」
「くっそ…。後一個見つからねぇんだよ」
「えーと、サルスベリ?ならあっちの方だよ。さっき押したから道覚えてるけど」
「正反対の方向だったのかよ…まあいいや、先出てろよ。さっくり行ってくる」
「ほんとぉ?」
「なめんな」
実際宣言通り、ウォルフは五分程度でスタンプラリーを完成させゴールした。クリアのチェックをしてもらい、他も見て回ろうと道なりに歩くと牛舎が見えてくる。
「へぇ、乳搾り体験なんてあるんだ」
「やったことねぇのか?」
「今まで花を見るだけだったから。ウォルフはあるの?」
「あるわけねぇだろ。アレだし」
「それもそっか」
「アレ」というのは呪いのことだ。どのみち体験の時間帯ではなかったため、放牧されている牛を眺める。
「………腹減ったな」
「ひどい!」
口ではそう言ったが、ツボに入ったのか崇は笑っていた。
「しかたねぇだろ」
「まあ、あっちにフードコートあるんだけどね」
「完全に狙ってんじゃねえか」
「牛100%バーガー」と旗が立っていると、もはやそうとしか見えない。
ウォルフの奢りで昼食を食べ、ふれあいコーナーでモルモットをひとしきりモフったりヤギにおやつをあげるなどして楽しんだ後、販売コーナーを物色しソーセージやバターを購入して郵送してもらう手続きをしているといい時間になる。
最後にもう一回向日葵が見たいと言うので行くと、崇は一人で向日葵畑に入っていった。何となく追いかける気にならず立っていると、後ろから「お兄さん」と呼ばれる。振り返ると今朝見た老婆が和風の休憩小屋に手招きしていた。
「暑いでしょう。涼んでってください」
「あ、どうも」
座敷に腰掛けると向日葵畑がよく見える。この小屋から見る風景は、午前中に見たものと同じものを見ているはずなのに全く違う風に見える。向日葵の中に佇む崇の後ろ姿が一枚の絵のようだ。
「にーちゃんさ、ねーちゃんの彼氏?」
「…トモダチだよ」
いつの間に隣にいたのか老婆の孫と思しき少年が藪から棒に話しかけてくる。
「ホントかよー。ねーちゃんが誰かと来たのなんて初めてだぜ?」
「ホントだ」
「ふーん…。じゃあさ、ねーちゃんの正体とか知ってんの?」
「正体?」
視線を向ければ小生意気そうな目と合う。
「ねーちゃんさ、ここがこんなにでっかくなる前からばーちゃんと友達だったって言うんだよ。えーっと……おれが覚えてる限りでも五年以上前からそうなんだぜ?でも全然変わってないんだ」
「昔は小さかったのか?」
「おれもあんま知らないけど、キョードーケーエー?って話してるの聞いたことある。前からヒマワリ畑はあって、そん時にねーちゃんと知り合ったんだってさ」
「…崇がお婆さんと関わるのは嫌か?」
ウォルフはポケットに入れた認識処理用の「ライター」に手を伸ばす。だが、それを使う必要は無かった。
「え?全然。ねーちゃん来るとばーちゃん嬉しそうだし。ねーちゃんがどんな人かって分かんないこと多いけど、別にいいかなって」
どうやらこの少年にとっては差し当たって重要なことでは無いらしい。そうか、と返してウォルフはライターから指を離した。
「てかにーちゃん日本語めっちゃ話せるね」
「十年以上住んでるからな」
そんなことを話していると崇が老婆と一緒に戻ってくる。二人に見送られ、牧場を出たのは太陽が西に傾いた頃だった。
「お前があんなに向日葵が好きなのは知らなかったな」
「え?あー…うん、そうかも」
バスが来るまでの待ち時間、何となしに話を振ったが崇の顔が少し曇る。気に障ったか、とウォルフは訊いたが崇はすぐにそれを否定した。
「違うの。…その、あそこはバージニアを思い出すんだ」
バージニア。ウォルフはすぐに崇の表情が変わった理由に思い当たった。バージニアは、崇の生まれ故郷だ。
「小さい頃、天気のいい日に向日葵畑に連れて行ってもらった記憶があるんだ。でも師匠に預けられてからは行く機会なんてなかったし、父さんが亡くなってからはそのことも忘れていたんだけど…。たまたまね、あの向日葵畑の写真が展示されていて、それを見た時に思い出したんだ。…それから、シーズンになったら出来るだけ行ってるの。あまり過去にしがみつきすぎるのも良くないんだろうけど…出来る限り、形に残しておける今だから覚えておきたいんだ」
「……ああ、そうだな」
崇が見せてくれたデジタルカメラの画面にはあの青空と向日葵が映っている。崇の目は、深い青空と向日葵の向こうにバージニアを見ていた。