正月山行 4
「むにゃむにゃ。う〜ん、メシはまだか〜」
「お前は昭和の父ちゃんか」
コンビニから出て何分過ぎたか、春菜はまだ眠っている
町の光は遠のいて、いまは凪のように緩やかな時間が流れていた
「この時間が一番眠いんだよな。姉ちゃんは大丈夫?」
「あん? アタシは今が本調子だけど?」
そう答えた姉ちゃんの目は、ウサギを狙う狼の如く爛々としている
「……辛くなったら休んで」
「ええ、ありがとう」
その後も車は平穏無事に走り、少し眠くなってきた頃、山へと入る道へ着いた
この山は麓から歩く必要はなく、車で標高400メートルまで登れる
だからまぁ山登りって言うより、山歩きって感じではあるかね
「春菜、そろそろ着くから起きな」
「……んー。もう朝ぁ?」
「朝じゃねぇよ。いや朝だけどもさ」
「むー」
目を擦りながら、ぼやーっとしている。茶でも飲ますか
「ほら、お茶」
「うん……。おにぎり食いたい」
「寝起きでよく食う気になるな」
「別腹だから」
「何に対して別なんだよ。帰ったら雑煮作ってやるから」
母ちゃんは関西風、俺は関東風
「なら我慢してやるよ」
「あ、ありがとうございます」
どうしても礼を言ってしまうな
「今、どこ? もうすぐ着くの?」
「今さっき山に入ったよ。ゆるーく登ってる所だ」
整備された山道を、じんわりとした運転操作で上がって行く
意外だと思うかもしれないが、人を乗せている時の姉ちゃんは、凄く穏やかな運転をする(例外あり)
「暗い道ね。脇からお化けとか出そう」
「や、止めろよ夏姉。お化けなんか居ねーし」
そうだよな、兄貴。怯えた妹が泣きそうな目で訴え掛けてきた
「お化けねぇ。もし居たとしても、何ら縁もない俺達を襲って来たりはしないんじゃないか?」
「襲うとか襲わないとかって問題じゃなくて……」
存在自体が怖いらしい
「大丈夫だって。いざとなれば俺が倒してやるよ」
そう、いざとなれば姉ちゃんを武器にして
「兄貴がか〜」
不満そうだな
「頼りないかもしれねーけど、何とかしてやるから」
それでもし俺が死んだら、偉大なる兄として後世に伝えてもらおう
「頼りなくなんてないって。ただ、兄貴が襲われて怪我とかしたら嫌だから」
「そ、そうか」
春菜のお年玉がワンランクアップした
「メシ作ってもらえなくなるし」
春菜のお年玉がツーランクダウンした
「この先、道が別れるみたいだけど、どっちに行けば良いのかしら?」
「ああ、えっと右に曲がる方。そのまま行っちゃうと、峠道に入るから」
「峠って聞くと血が騒ぐわね」
「絶対、右に入ってよ」
「はいはい」
少し心配だったが、分かれ道ではちゃんと右に入ってくれた。そしてさらに走った所で駐車場が見えてきた
車は3台しか止まってなく、姉ちゃんはその一番端に止める
「ここで良いのよね? 何もないみたいだけど」
辺りは自動販売機と林、そして小さな神社があるのみ。山の中って表現が一番合うな
「ここから歩いて山頂に行くんだ。標高差100メートルぐらいかな」
20分と掛からないはず
「歩く? ロープウェイとかは?」
「こんな山にはないでしょ。あれはもっと有名な山じゃないと」
高尾山とか
「歩かなきゃ駄目、と……はぁ」
姉ちゃんは軽いため息をつく
寒い、ダルい、そもそも興味がない。姉ちゃんにとっては何の得もないイベントなのだろう
「……連れてきてくれてありがとう姉さん。車で待っていても良いよ」
「い、行くわよ。1人で待つのは暇だもの」
素直に寂しいって言えばいいのに
「まぁ、たいした高さは無いからさ。水分とりつつゆっくり登ろう」
「そうね……」
「よーし、じゃあ行こうぜみんな!」
「お〜!」
「……お〜」
「はぁ……」
で、10分後
「あ、死ぬわ。アタシ、ここで死ぬわ」
薄々こうなるだろうとは思っていたが、やはりこうなってしまった
前の2人はぐんぐん登っていき、後ろの1人はどんどん死んでいく
「はい、死んだ、アタシ今死んだ!」
まだまだ元気そうだが……
「ハァハァ……し、仕方ないわね。恭介、アンタにアタシをおぶる権利をあげる」
「謹んでお返しいたします」
俺まで死にかねない
「アンタにご褒美をやるって言ってんだから素直に受け取りなさい。他の男なら10万は取るわよ?」
「そ、それが褒美……だと?」
なんて傲慢な姉なのだろうか。それでも世間に通用してしまっている所が恐ろしい
「私がおぶろうか?」
俺達の会話を聞いていたのか、春菜は足を止めて姉ちゃんの側へ戻ってきた
「え? さすがに春菜には無理よ。ありがとね」
「平気、平気。よっと」
「きゃあ!?」
「え!?」
春菜は姉ちゃんをお姫様抱っこで担ぎ、楽々と坂を上がって行く
「ま、マジかよ」
あの細身でよくもまぁ……
「……たく」
これじゃ俺が情けなすぎる。しょうがない
「その荷物は俺が持つよ春菜」
「誰が荷物だ!」