バレンタインの話 後編
「ところで兄貴」
口元についたチョコレートソースを舌で舐めとり、春菜は俺を見つめる
「なんだ?」
「ウィスキーボンボンのボンボンってなに?」
「え? い、いきなりだな。……爆発とかじゃない? 食って口ん中、ボンボーンみたいな」
「ふ〜ん」
どうでも良さそうに返事をし、ベッドに戻った春菜さん
「…………」
なんかスゲー恥ずかしい
「い、いや、今のは冗談。本当はフランス語かなんかで……春菜?」
布団を被り、眠そうに目を擦っている
「眠いから寝る。お休み」
「お休みって……」
「すーすー」
「早っ!?」
もう寝息をたてていやがる!
「のび太君め……」
しかしこうして寝顔を見ると、女らしく綺麗になってきたと思う。顔だけならもう、男に間違われる事はないだろう
「……ふ」
後は誰か好きな奴が出来れば、結構いい女になるかもな
「さて」
いい男である俺は、母ちゃんからチョコレートでも貰ってこよう
「母ちゃん、チョコレートー」
部屋を出てリビングに入り、母ちゃんの姿を探す。毎年の例で言えば、用意しているものは高級チョコレートの可能性が高い
「母ちゃん?」
シーン
「いないのか?」
いや、しかし暖房がついている。まさかこれは……
「あ、秋姉。いるの?」
念のため呼んでみたが、返事はない。本当に誰もいないみたいだ
買い物かね。暖房をつけっぱなしなんて珍しいけど
「よっと」
ソファーに座って、テレビをポチ。暇だしここでドラマの再放送でも見るか
ピンポーン
「ん?」
客? 仕方ないな
やれやれと廊下に出ると、ちょうど雪葉が階段を降りてくる所だった
そんな雪葉をジェスチャーで止め、玄関へ
ピンポーン
「はいはい、いま出ますよ」
ガチャリンコと音をたてて開くドアの向こうには、白いコートにグレーのマフラーを巻いた、綾さんの姿があった
「あれ、綾さん? 家に来るなんて珍しいですね」
「近くを通り掛かりましたので」
「なるほど。えっと秋姉にですか?」
最近、よく連絡を取り合ってるらしい
「いいえ、今日は佐藤君にです」
「俺に? なんでしょう」
俺がそう聞くと、綾さんはフワリと微笑み、
「バレンタインの日に、女の子が男の子の家を訪ねてくる理由なんて決まっています」
と言った
「え!? そ、それってまさかチョコレート」
なんてこの人が素直にくれるわけない。どうせまた、からかわれて……
「はい、チョコレートです」
「そのまんまか!」
いや、一番ありがたいんだけど!
「はい、どうぞ」
綾さんは手のひらサイズの箱を、俺に差し出す。赤と黒、二色を使ったチェック柄の包装に白いリボンを巻いた、シンプルなものだ
「あ、ありがとうございます。嬉しいです」
今年も諦めていたのに、嬉しい誤算だな
「あ、今回は体液入りじゃありませんから」
「まるでいつもは、入れてるような言い方を……」
「おしっこはご褒美なので、体液の内には入りませんよね?」
「……あの、一口で良いんでこのチョコレート食べてみてくれません?」
毒味させんと怖くて食えんわ
「市販品ですよ、それ。ブッチャーデパートで、先ほど買ってきました」
「そ、そうですか。すみません、邪推してしまって」
そうだよな、ただの冗談に決まって
「……まぁ、市販品だから混入出来ないって事もありませんが」
「ぼそっと呟かないで!」
グリコ事件か! ……十代には分からないだろうけど
「あはは、相変わらず佐藤君は可愛いですねー」
「むぅ……」
やはりからかわれている。今年もこの人には勝てそうにないな
「ごめんなさい、変な事を言って。そのチョコレート、オススメですので良かったら食べて下さい」
「はい、ありがとうございます。あ、中でお茶でも」
「ううん、今日は帰ります」
「そうですか。……チョコレート買っていただき、本当にありがとうございました。みんなで美味しく頂きます」
義理とは言え、嬉しいものだ。そう思っていると、綾さんはキョトンとした顔で俺を見ていた
「綾さん?」
「……う~ん、なるほど、なるほど。やっぱり佐藤君には手作りですか」
「はい?」
何を言ってんだ?
「ですが、今年はもうあげてしまいましたね。だから佐藤君」
そう言って綾さんは微笑み、
「綾音の手作りは来年までお預けです」
と、可愛らしく片目をつぶった
「…………」
その笑顔が素敵で、悔しいけど、ちょっとだけ来年が楽しみになってしまった。だけど
「怖いので手作りはいりません」
「キュン。冷たくされて私の好感度が激増! 特別イベントの、チョコまみれだよ綾音さん。舐めて落として? いや、それ俺のホワイトだから無理……が解放され」
「そうですか、ではさようなら」
ドアを閉めて、鍵をガチャリ
「さーて、お茶でもいれよ」
「うぅ……。いいですよ、私、Mですもん! 勝手に好感度上げていきますからねー」
遠ざかってゆく声に苦笑いし、俺はリビングへと戻った
で、結局今年は、全部で四個。内訳は、姉、母、妹、変態
「…………ふ」
来年は頑張ろう