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楓 3

教室を出た私達は、屋上へ小走りで向かう


『か、楓さん、なんで上に行くの?』


『警察に見付かりたくないから』


階段を四階まで上がって、屋上に続く扉の前へ行く。扉を封鎖するダイヤル式の鍵は、私が知っている番号で直ぐに開いた


『なんで開けれるんだろう……』


錆びた扉を開けて、屋上へと出た。薄汚れたコンクリートの床と、空っぽの給水タンク以外は何もない場所


『ここなら探しにすら来ないよ』


『う、うん』


『警察が帰るまで待とう?』


給水タンクを壁にして座る。風が吹いたけれど、夏の匂いはしなかった


『楓さん、鼻血……』


『もう固まってるよ。君は……』


顔はまだ腫れていないけれど、あちこちに裂傷が見られた


『まだ止まってないところがあるね』


ブラウスは……吸水性が悪い。靴下や下着は衛生に問題がある


『……靴下とショーツとブラウスとスカート。どれが良い?』


『ショーツ?』


『一番汚いよ。別にいいけど』


下着を足首まで下ろして、片足ずつ脱いでゆく。適当に言ってみたのだけれど、本当にこんなものを傷口に? ……別にいいけど


『な、なにやってるの?』


『血、止めるから』


『え!?』


『じっとしてて』


なるべく汚れてないと思う部分を恭介のこめかみに当てて強く圧迫する


『いたた』


『そんなに深くないから直ぐ止まるよ。……ねぇ』


『なに?』


『なんで私を助けたの?』


『え? そんなの当たり前でしょ? いてて』


当たり前?


『当たり前じゃないよ』


『そ、そう? あ、あはは』


恭介は困った顔をしたまま笑う。……ちり。昔一度だけ感じた事のある奇妙な痛みが、うなじを走った


『楓さん?』


『……私』


『え?』


『君が嫌い。虫酸が走るぐらい嫌い』


いつも幸せそうな君が、当たり前に私を助ける君が大嫌い


『……うん。知ってた』


『そう。なら助ける必要なかったね』


『あるよ』


『ないよ』


『俺は楓姉ちゃんが大好きだから』


『…………』


その言葉を聞いてわずかに――、本当にわずかに胸が痛んだ気がした


でも、それは口内に残る生臭い鉄の臭いにむせただけ。私は何も変わってない


『…………き』


『え?』


『嘘つき』


君は私を好きじゃない。絶対に


『……楓さん』


『え? あ……』


涙が頬をつたって落ちた


『ど、どうして?』


どうして私は泣いているの?


『楓さん』


戸惑う私を恭介は引き寄せ、強く抱き締めた


『い、痛いよ』


『なんでこんな事になったのか分からないけれど……帰ろう、楓さん。疲れたでしょ?』


『……ない』


『え?』


『帰らない。あの家族に私はもう必要ないから』


『なんでそんなことを言うの?』


『壊れてるものなんて誰もいらないよ』


『……言ってる事、分からない』


『そうね』


『いらない?』


『ええ』


『本当に?』


『しつこいよ君』


『だったらさ』


『…………』


『だったら俺のものになってよ』


『…………え?』


『いらないなら俺がもらう』


『い、意味が分からないよ君』


『だって俺には楓さんが必要だから』


私にとってそれは、蛇の誘惑よりも強烈で最悪の呪いだった


君はその場しのぎに言ったのだろうけれど、私は今でもこの言葉に縛られている


『私が……必要?』


確認するように囁いた声は、ブランデーを含んだ角砂糖のように甘い。溶けて言葉に酔う


『うん、必要。だから楓さんは俺のもの』


壊したかった筈の笑顔を向けられて、息がつまった。酸欠で何も考えられなくなる。だから


『……いいよ』


『うん?』


『君のものになってあげる』


この言葉はきっと、私の本心じゃない


『うん!』


『……じゃあ』


恭介の胸にそっと体を預けて、首筋を舐めた


『ん? うひゃ!?』


『ここ傷ついてる。……ここも、ここも』


恭介の体を犬のように舐めるたび、舌がピリッと痺れた。強い刺激に膝が震える


『く、くすぐったいって楓さん!』


『もっと舐めさせて』


全然足りないよ


『やめてって、も〜』


『…………』


けち


『そ、それより、俺のになったから命令するよ! 先ず最初に……今後はこんなことしちゃ駄目だ』


『こんなこと?』


『今日みたいな危ないこと! よく分からないけど多分、楓さんのせいなんでしょ?』


『……分かった』


『よし! 後、ちゃんと家に帰る! 毎日だよ?』


『分かった』


『えっと他には……うひゃ!?』


『ちゅ、ん……』


首のとこ、美味しい


『や、やめて〜』




『……誰よ?』


5回目の呼び出し音が鳴る前、不機嫌な男の声が電話に出た


『楓』


名前を言うと相手は息をのみ、声を荒らげる


『て、てめぇ!? ふざけんなよ! 今から殺しに行ってやる!』


『中村さん』


『あ? ……だ、誰だよそれ』


『中村 一樹さんは東京に本拠地を置く暴力団、松吉組の準構成員。組では麻薬売人のリーダーとして働いていた。けれど、半年前に売上金と大量の薬を持ち出して行方をくらます。現在は竹沼を名乗って組から逃げている』


『な、なに言ってんだ』


『車のナンバー、偽装しておいた方が良かったと思うよ?』


『こ、この……っ!』


その時、電話の向こうで激しくドアを叩く音と罵声が聞こえた


『意外と早かったね。もう少し話をしていたかったけれど』


『ち、ちょっと待て、何がっぃっ!?』


『色々ありがとう』


『ま、まって』


『さようなら』


電話を切り、目を閉じる


これで終わり。恭介は帰って、いつも通り。何も変わらない


入手してもらった中村さんの写真や資料をゴミ箱へ捨て、私は彼を記憶から消した



それから5年が経って、今現在。何も記憶する必要がない日々が続いている


前に恭介が恋人でも作ってみたらと言うから作ってみたけれど、それに何の意味もなかった


恭介。君のものになった私は、君からもういらない、必要ないと言われるのを待っている


けれど君は何も言わないし何もしない。あの日からずっと私を捕まえたまま


君は私をどうしたいの? 私は……


「……君が欲しい」


呟いた言葉は稲穂を揺らす風の音に飲まれた。辺りは暗くなり、街灯に明かりがぼんやりと灯る


夜がやって来た。恭介との約束通り、帰らなければいけない


帰ったら母さんに言おう。私が決めた私のことを




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