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楓 2

廃校前には9時50分についた。昨年まで高校だったこの校舎は今では静まり返っていて、それと比例するように辺りの人通りもない


校門前に車が止まっていた。その車はクラクションを鳴す


『ねー乗りなよ。俺ん家行こー』


窓から顔を出して手招きする男は、今日電話をした男に相違なかった


『こっち』


声を無視し、私は学校の敷地を囲んでいる緑色のフェンスをよじ登る。高さは低く、よほど運動神経が悪くない限り子供でも中へと入る事が出来るはず


『お、おい、待てよ』


ついてくる事を確認し、私は正面玄関から校舎へ入った。玄関の直ぐ目の前には階段があり、それを上がって二階に出る


『待てって』


『あっち』


追い付いた男に廊下の左側を指差し、一番奥にある教室へと向かう。そこには生徒指導室とプレートに書かれていた


『ここ』


教室内には傾いた木のテーブルと椅子が一脚あるだけで、他には何もない


ぎし。日に焼けて黒くなった木の床が鳴った


『え? なに? マジで? マジでここで、すんの?』


『ええ』


『変わってるな』


『そう?』


『ま、いいよ。ほら』


男は私の腰を抱き、まぶたにキスをする。薄い唇から長い舌が伸び、私の頬をなぞった


『すっげー滑らか』


そして私の口に触れる


『……がっ!?』


『シンナー臭い男は嫌い』


男の唇を噛み切り、唾を吐く。白い肉片が混ざっていた


『私、帰るよ』


『ふ、ふざけっ、がー!!』


肩を捕まれ、頬を拳で殴られた。視界が揺らぎ、膝がガクガクと震える


『あ? あ? ああ!? なにやった? なにやったっておい!!』


男は私を突飛ばし、倒れた私へ馬乗りになった


『勘違いしてんじゃねーぞクソが!』


三回、四回、五回。平手打ちの鋭い痛み


『聞いてんのか、聞いてんのか!?』


今、君が来たら君はどんな顔をするだろう。それとも様子のおかしさに、逃げてしまう? 


それならそれでもいい。どのみち、これで終わり


『……ねえ』


『あ!?』


『息が臭いよ。喋らないで』


『こっ! っ!!』


大きな拳が鼻に落ちた


『う……、んく、んく』


痛い。鼻が熱くて痛い。血が喉に落ちてくる


『クソ! 血が止まんねーじゃねぇかクソ!!』


また殴られて、目の前が暗くなった。殴られた場所の痛みは鈍く、むしろ頭痛と吐き気の方が酷い


『おら! ああ! ああ!?』


男は暴力と血に興奮している。口尻からは泡と血が含んだ涎を垂らし、それが私の顔に落ちた


暴力と性はとても相性が良い


性行動とホルモンの中枢は間脳の視床下部付近にある。攻撃性の中枢は間脳のそば、扁桃核。二つは密接な関係にあり、どちらかが刺激を受ければもう片方も刺激され、誘発される。それは強ければ強いほど抑えの効かない欲望となって、その人間の行動に反映する


とは言っても人の理性は強く、そう簡単には極端な攻撃、殺人やレイプには走らない。だけれど隙も多く、簡単な事で飛んでしまう


『ハァ、ハァ、ハァ……謝れよ。頭下げて謝れよ!』


立ち上がった男は私の胸元を掴み、顔に引き寄せた


『……ごめんなさい』


よろめきながら起き上がった私は、男に頭を下げた。血が引っ掛かって喋りにくい


『でかい声で!』


『ごめんなさい、許して下さい』


『……脱げよ』


『はい』


『望み通りにぐしゃぐしゃにしてやるから』


『はい……、脱ぎます』


『あーいてぇ! くそ!』


『ごめんなさい、許して下さい』


『早く脱げよ!』


『はい』


いいよ。私の体、君にあげる。そして飛ばしてあげるよ君の理性を



私がブラウスのボタンを外す間、男はズボンのポケットから半透明の子袋を取り出した。中には錠剤が何個か入っている


『それは?』


『MDMAだよ、うるせぇな』


MDMA。確かメチレンジオキシメタンフェタミン。交感神経物質セトロニンを脳内で過剰に排出させて、長い興奮と幸福感をもたらす薬


『くるまで時間かかっけど、先飲んでるし。つかもう半分キたわ』


不機嫌だった男の顔はリラックスし始め、気分良さそうに息を吐いた。そして私に薬を手渡し、目で飲めと促す。私はそれを口に――


『楓さんになにやってるんだ!』


一瞬、思考が止まった。何が起きたのか理解できなかった


いつ来たの? なんで君は男に体当たりをしているの?


『逃げて、楓さん! 早く!!』


男の腰にしがみつき、恭介は叫ぶ


『……なにをしているの?』


本当に分からなくて、尋ねた


『良いから逃げて! 早く!』


『逃げて、じゃねぇだろ!』


しがみつく恭介を力で押しどけ、その脇腹に蹴りを入れた。恭介の顔が、苦悶に歪む


『おら!』


男はもう一度同じ場所を蹴り、倒れそうになった恭介の首根っこを掴んで、壁に投げつけた


『あぐっ!』


『……つかなにお前?』


『う……うっ』


『なんか言えよ?』


叩きつけられて四つん這いになった恭介の背に、男は無言で踵を落とす


『うぐっ! ぐ! ぎゃあ!』


脇腹や背中を蹴り、必死に逃げようとする恭介の首を掴んで起こし上げて窓に叩き付けた。窓は割れてガラス片が外へ散る


『あう!?』


『あ~、つか訳わかんなくなってきた~』


うずくまって震えている小さな背中を男はヘラヘラ笑いながら蹴り続けた。恭介は痛い、止めてと泣きながら懇願している


『おら、おら! 泣いてんじゃねぇよ! へへへ、ひひひ!』


『やめて』


『ああ!?』


私を見る男の目には、狂気があった


『それ弟』


『弟?』


『そう。だから私が代わりになるよ』


『……ち。おら!』


男はもう一度蹴り、恭介に背中を向けて私の方へとやって来る


『場所変えるぞ』


『変えないよ』


『あ?』


『……ん』


下着を太ももまで下ろし、スカートをまり上げた。しゃがんだ男の視線が一点に集中する


『お前……』


『ほら、ね?』


触れると、指がすんなり中へ入った


『弟の……恭介の前でしよう?』


『…………』


男は無言で私を太ももを撫で、スカートの下に手を入れる。そして蛭のように吸い付き、舌を入れた


『…………』


見て、恭介。君の顔を見せて?


もぞり。恭介の体が動く


どんな顔をしているの? 泣き顔? 怯え顔? 早く見せて


だけれど顔を上げた恭介は、私が望んでいたものとは違った


『…………え?』


その眼差しは強く、涙を流しながらも真っ直ぐに男を見据えている。そしてギュッと一度目をつぶり、ゆらりと起き上がった


『…………あ』


『あ? ……なん、ぎふっ!?』


自分の見た光景が信じられなかった。なんでこうなっているのか分からなかった


『が、ガバッ、はっふは!?』


恭介は椅子を持ち上げて、再び男の背中に下ろした。体重が乗った椅子のパイプは曲がり、背もたれが折れる


『楓さんを離せ』


また椅子を持ち上げて、恭介は言う


『こ、っ……ガ』


立ち上がろうとする背中に振り下ろす。男の声はうめきに変わった


『……もうすぐ警察の人が来ると思う。楓さんは学校から出てて』


『警察?』


『うん、さっき電話で呼んだ』


なんとか微笑もうとしているけれど、震えるアゴと声のせいで失敗していた。泣き顔だよ、それじゃ


『て……めぇ、殺す。楓も殺……す』


『…………』


かはかはと咳き込む男の前で、恭介はもう一度椅子を持ち上げた。今度は椅子の背ではなく、脚の先を男の頭に向けて


『……死ぬよそれ』


椅子の足はキャップが外れて、剥き出しになっている


『楓さんが助かるなら……』


泣きそうに、だけれど静かな声で


『やるしかないよ』


『……君は変な子だね』


『楓さん?』


『大切な人を守る。その為なら人殺しも躊躇しない?』


『ひ、人殺し?』


そのことに今気付いたかのように、恭介は狼狽えた


『君も大概壊れているね』


それに私は君の大切な人じゃない


『あ、お、俺……』


『……いいよ、もう。警察も来たみたいだし、ほっとこう』


サイレンの音が近付いていた。もうすぐここへ着いてしまう


『けどこの人……』


『大丈夫。……ほら警察来ちゃう』


恭介に近寄り、椅子を握る手に手を重ねた


『いこう?』


『……分かった』


椅子を下ろして、恭介は頷く


『ま、て』


『また電話するよ』


二度と会う事はないと思うけれど

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