第149話:秋の挨拶
終業式。それは青春の終わりと始まり
7月23日、晴れの月曜日。今、この学校でも一つの青春が終わろうとしていた
「あ〜え〜夏休みの心構えが〜。ようするに人生とは経験の積み重ねで〜。政治が国や経済を崩壊させつつある昨今〜。北斗の極意はむしろ内部からの破壊を目的とし〜」
「……相変わらず長いよな、校長の話」
壇上で気持ち良さそうに話す校長から視線を外し、俺は後ろに並ぶH男に向かって話し掛けた
「…………」
「H男?」
だが返事は無く、振り向くと、H男の視線は俺や校長では無い別の所へ向けられていた
「どこ見て……う!?」
な、なんだ、この冒険心と期待溢れる夏休み前の少年の様な瞳は!
「……佐藤」
「お、おう」
「勝利とは最も根気がある者にもたらされる。そうだろう?」
「……お前は何処のナポレオンだよ」
大丈夫か、コイツ?
「つか本当に大丈夫かよ。汗が酷いぞ」
全校生徒が集められたこの体育館は、入り口や窓を解放して風通りを良くしているが、生徒と生徒の間が狭く、かなり蒸す。なので当然俺も汗をかいているが、H男の額に流れる汗は尋常じゃない
「隣見ろ、隣」
「隣? ……ああ、なるほど」
隣の列はクラスの女子が並んでいる。首筋から背中に流れ落ちる汗はワイシャツを濡らし、下着を透けさせていた
「あれを見てたのか」
「戸田はピンクか。意外性が無いな」
「あんまり見てやるなよ。俺、戸田さんには世話になってるからさ」
……なってるか?
「わーたよ。ち、佐藤は相変わらず女に冷淡だよな」
「うちは女ばっかだし、下着とか見慣れてるからな。むしろ楽しそうなお前が羨ましいわ」
俺も若い頃はドキドキしたものさ
「……なんだろうこの敗北感」
「え〜その。ようするに今年もインターハイに出場が決まり〜」
「インターハイ? 剣道部の事か?」
凹むH男を無視し、校長の話に集中する
確か今年インターハイに行けるのは女子剣道部だけだった筈だ。水泳部は結構惜しい所まで行ったんだけどな
「え〜、剣道部からインターハイ出場の挨拶をなどを〜」
「なに!?」
体育館内が一斉にざわめいた。何故ならば、剣道部の挨拶→剣道部の代表者は部長→部長は秋姉→秋姉登場。この無敵コンボを俺達は期待しているからだ!
「え〜、女子剣道部の部長は〜」
「きゃー秋様〜!」
「秋せんぱーい!」
「好きだ、秋ー!」
体育館を埋め尽くす声援と悲鳴。体育館は一瞬でメタル系のライブハウスと化した
「だ、壇上が見えん!」
興奮した生徒どもが蠢き、俺の視界を遮りやがる!
「お、おおう。おおおぅ。揺れている、揺れているぞ!」
「は?」
謎の発言をするH男。視線を追うと、その先では戸田さんが、ぴょんぴょんと跳ねていた
「みえない〜」
「揺らせぃ! もっともっと揺らせぃいい!!」
「お、お前……。いや、そうだな」
お前が悪いんじゃない。そうさきっと、太陽が眩しかったから……とは言え、なんかムカつくので
「戸田さん!」
「あ、ばっ!」
「ん? どしたの?」
いきなり声を掛けられたからか、丸っこい目を更に丸くしてこちらを向く戸田さん
「変なジャンプをしていると膝にダメージが蓄積され、最終的にはジャンパー膝って病気になって爆発するらしいから気を付けなよ」
「ば、爆発? そ、そうなんだ……。ありがと、佐藤君。危うく爆発する所だったよー」
そう言うと戸田さんは手を後ろに組んで、前を向いて大人しくなった
「流石健康に気を使ってるだけはあるな」
疑わない所が色々心配だが……
「で、お前はいつまでは俺の後ろに隠れてるんだ?」
はみ出てるぞ
「……俺を何故売らなかった?」
「ふ。俺達は友達だろ?」
乳見てたぞ、なんて恥ずかしくて言えんわ!
「さ、佐藤! さとぉおお!!」
H男は跪き、俺のケツにヒシッと抱き着いた
「……今は泣け。だが、いつか必ず立ち上がるんだぞ」
などとハードボイルドに決めてみたが、そんな事より秋姉の事だ
先生達が静かにしろと注意しているのだが、騒ぎは全然収まらない。このままでは、秋姉が困ってしまう……よし!
「皆さん、お静かにお願いします!」
精一杯の大声を出したが、所詮俺一人の声など周りに聞こえるだけで、全体には届く筈もない。しかし奇跡とは、行動を起こした者へのみ訪れる女神。今、この時、まさに奇跡は訪れようとしていた
「あ、あいつは秋様の弟の……。確か名前は佐藤!」
「そう、佐藤君よ。生ける屍、ツタンカーメンの奇跡」
「遂に眠れる獅子が目覚めおったか……」
俺を中心としたざわめきは波紋の様に広がり、体育館は静まり返る
「き、キングブラザー。まさにモーゼの如く」
「マスター、ガンバレー」
会のメンバー達の応援が聞こえた。ふ、任せろ
「……皆さん、静粛をありがとう。これより、私の姉、佐藤 秋が皆さんに挨拶を致します。皆さんの暖かい声援は秋姉にも響いている事でしょう。しかし今は声援より静けさを。それこそが秋姉への最大の応援になるかと思います。どうか皆様、ご協力を!」
しん。音一つ無い体育館
パチ、パチ。まだらな拍手が起きた
パチパチパチパチ
まだらな拍手は段々と数を増やし、
パチパチパチパチパチパチパチパチ!!
渦となって体育館を埋め尽くす!
「あ、ありがとう皆さん!」
選挙なら当選確実の反応だぜ!
「……え〜、では落ち着いた所で挨拶を〜」
「静かに、静かにしろ〜!」
「みんな、口を閉じて!!」
拍手は止み、皆は乱れなく整列する。静けさがありがたい
そんな時、壇上へ上がる階段の音が響いた。俺は目を閉じ、その音を楽しむ
次に床を歩む軽やかな音がし、ピタリと止まる。俺はゆっくりと目を開けて、壇上を見上げた。するとそこには、秋姉が……って
「さ、真田先輩!?」
壇上に居たのは秋姉では無く、先輩だった。先輩は皆が再びざわめき始めた中、マイクを手にして一言
「……あ〜。なんと言いますか部長は今、ちょっと喉を痛めてまして……。で、ですので部長の代わりに副部長である私が挨拶を……その、ええと……ご、ごめ〜んね!」
「…………」
「…………」
「…………」
そして時が止まった
「て言うか何よ、この公開処刑!?」
今日の照れ
真>>秋>>>>俺
「と、とにかく頑張りますので! 終わりです!!」
「あ、ち、ちょっと君、君〜」
ざわ……ざわざわ
「……ん。だめだこりゃ。こほこほ」
角隠し