昔の燕さん
秋の弟、恭介を好きだと気付いたのは出会いから一月経った頃だった
好きになったきっかけはと思い返してみるが、具体的な事は分からない。ただ、秋の家を訪ねた時に、ふと恭介を探している自分に気付いた時、これが恋なのだろうと理解した
しかし、私は意気地が無い。彼の事が好きだと分かっていても何も出来ない。それに私には婚約者がいた。家柄と血筋だけで決められた、菊水の夫が
私の父も選ばれた夫だった。だが、とても優しい父だった
母と父は男と女と言った風に見ると、ちぐはくな関係に見えたが、夫婦の形で見ると一つの理想と言えた。父は母を立て、母もまた父の尊厳を守っていたから
だからきっと、菊水を次ぐ私には、婚約者は相応しい夫となるのだろう。諦めでも無く、当然の事として認め、私はこの恋心を胸にしまおうと決めた。なのに……
君はずるい
そう決めた私の中に、無神経にもどんどん深く入り込んで来る
甘い言葉、優しい眼差し
君の一言一句、一挙一動がとても気になる。見つめられると、震えるぐらい恥ずかしい
そう、私は君を意識し過ぎるのだ。菊水である私が個人で在る事は許されないのに、君の側に居たいと思ってしまう
その悩みは集中力を欠けさせ、稽古や睡眠に支障を出す
弛んでいる。そんな事は母に言われなくても分かっている
だけど、どうしようもない。何故、心と言うものは思い通りにならないのだろう
ずっと悩み、無理をし、最後に私は倒れた。まるで電池が切れた様に
それは酷く醜態だが、幸いだったのは、倒れた場所が君と秋の家だった事だろう。いや、君達の家だったから私は安心してしまい、倒れたのかも知れない
「……後は私が看てるから、恭介は休んでいて」
窓から入る柔らかな光。それ以上に柔らかな声で私は目を覚ます
瞼をそっと開けると、見慣れない天井があった。此処は……秋の部屋だ
「……分かったよ秋姉。何かあったら言って」
寂しそうな声。胸が痛む
「……私、ジェルマットを買って来る。だから恭介」
「秋姉……。じゃあ、それまで俺が燕さんの側に居るよ」
「……ん」
秋は静かに部屋を出て行き、部屋には私と恭介の二人きりとなる
「……ありがとう」
恭介が呟いた。これは秋に対してだろう、何故だか直ぐに分かった
私は、わずかに瞳を動かす。それに気付いた恭介は、起こしてしまってごめんと、すまなそうに私の目の前に顔を持って来てくれる
そんな単純な行為がうれしくて、私は自然に囁いていた
君にしか、君だけにしか届かない様に、そっと
「……好きだよ、恭介」
多分、心から