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サッラ王国の王都カーリクスは王家のための街だ。
カーリクスは主に立法と司法の行政機関が集中しており、街の建物は良く言えば歴史があり、悪く言えば古くさくてぼろっちい。
王様が住むのは城ではなく、堀と森に囲まれた宮殿だった。
トゥルクでは全ての王族が王宮に集まって暮らしていたが、カーリクスには前王ごとに幾つもの離宮が建っている。
王と、王に認められた王族、例えば子供などは、認められた瞬間から不老不死となるため、前王や親族のための離宮があちこちにあるのだ。
だから街自体は大きくないものの、面積的にはかなり広い。
「ねぇ、どうして、ここにいるのかしら」
心底不思議そうな表情でティア姉は言う。
答えはもちろん、「リータにも分かりません」だった。
カーリクス王宮に来たリータ達は、玄関らしき建物で謁見の許可をもらおうと王族の証書を提示すると、いきなり内廷の部屋に案内された。
謁見の許可が下りるまでに数日かかると覚悟していたのに、ほんの数時間で許可が下りてしまった。
しかも、外朝での謁見かと思っていたのに、王の私邸である内廷に入れてもらえるなんて特別扱いにも程がある。
案内された部屋は豪華な調度品が各所に置いてあり、座るように勧められたL字型のソファーは座るのも躊躇するほど真っ白の毛がふさふさのふわふわだった。
ソファーに座っているのに、どうも場違いな気がして落ち着かない。
まだ立っている方が落ち着くかも知れなかった。
「こんにちは、良い天気ね」
凜とした張りのある声が響いてきた。
声の方を向くと一人の少女が近づいてきていた。
少女は立ち止まるとスカートを摘まんで会釈する。
「初めまして。私はエリン=ファガーストロムと申します。第一王女をさせて頂いておりますわ。ぜひエリンとお気軽にお呼びください。以後お見知りおきを」
親しみを憶える溌剌とした挨拶だった。
ぱっちりとした目は輝きをたたえ、少し大きめな口は笑みを浮かべて艶がある。
頭には二本の小さな角があり、少しくすんだ金色の長い髪を垂れ下がった大きなリボンでまとめているのが目を引いた。
不老になれる王族の年齢を見かけで判断することはできないと分かっているけれど、見た目は同い年くらいだった。
丁寧な自己紹介を受けてティア姉は立ち上がり挨拶を返す。
「こちらこそ初めまして。わたしはティア=レイステラ、現状ではトゥルク王国の第一王女……で良いのかしら。こっちはわたしの妹のリータ。訳があって帽子を外せませんが、無礼とは思わないでください。後は今回の旅の案内と護衛をしてくれている、アイリ、シルヴィ、ヤスカと申します」
「ティア様、どうぞお掛けになってくださいな。アイリ様達のお名前は存じております。彼の勇者クルト様のご従者だったとか。後ほどご活躍を伺えますかしら」
エリンはソファーに座ると人懐っこい笑みを浮かべた。
かと思うと、コロリと悲しそうな表情に変わる。
「この度は貴国の大変な災厄には心からお見舞い申し上げますわ。私達で出来る事でしたら最大限の援助を惜しまないようにと我が王より賜っております」
「いえ、わたし達は国の特使としてきたわけではありません」
「それでは、どのようなご用件でいらっしゃったのかしら」
エリンは不思議そうな表情になる。
「実は国王陛下にお願いがあるのですが、謁見は出来ませんでしょうか」
「申し訳ないのですが、我が王は公務が繁忙を極めておりまして、代理として私が承るよう申し使っております。何なりとおっしゃって下さいませ」
「そうですか……分かりました」
ティア姉が諦めると、エリンは再び人懐っこい笑みを浮べて砕けた感じに言う。
「さて、堅苦しい挨拶も済んだことですし、ここからは気楽に話しましょ。先ずはそちらのご用件をお聞きしましょうか」
ティア姉は緊張していたのか、息を吹き出すと笑顔になった。
「よかった。堅苦しいの苦手なのよね。わたし達はうちのクルト王子を探してるの。これが肖像画なんだけれど、これを模写して指名手配してくれないかしら。あ、そうそう、逃げると思うから捕まえておいてくれると嬉しいわ」
「居なくなったとは聞いていましたが、本当にお隠れになったのね。――失礼ですけれど、義務を放棄する様な方を探し出してどうするのかしら。いくら勇者様とはいえ王の資質に欠けると思うの。私にはこうして国のために行動しているティア様の方が王に相応しく思います」
確かに他国の王子に対して失礼な話だと思ったけれど、リータも同じ事を思っていたので、ティア姉がどう答えるのか興味があった。
「みなさんそう言うのですけど、わたしは王族から捨てられて村娘として育ってきたの。そんな人を誰も王だなんて認めないでしょう」
「あら、そんな事情がお有りだったのね。ごめんなさい、勝手なことを言って」
エリンは申し訳ないといってた様子で言った。
「分かりましたわ。勇者クルト様は最重要人物として見つけ次第確保いたしましょう。ただし、一つ条件があります」
どうしてヴァンターの王といい、王族というのは条件を付けてくるのだろう。
ティア姉が言ったとおりだ。
「今のサッラ王国は二つの州に分かれています。山の都と呼ばれるコッコラと、海の街と呼ばれるバーサです。主な産業や文化は州都の方にありまして、カーリクスは言わば王家の隠棲地です。ですので、私は二つの州都の知事にお目にかかって勇者捜索の依頼をお願いしなければいけないの。それに同行なさってくださいな」
特に難しい条件ではないけれど、不思議な条件だった。
「わざわざ姫様が行かなくても、特使を派遣すれば良いんじゃ」
ティア姉の言ったことは正論だと思う。別にエリンが行く必要は無いし、それにもし同行するのなら、こんなに怪しいメンバーが揃ったパーティーじゃなくて、正規の近衛隊に送ってもらった方が安全だろう。
「同行をするのは姫ではなく、エリンという名の女の子です。私は正体を隠して市井の生活を見て回りたいと思っていたの。ティア様達と共に行動すれば、誰も私が姫だとは思わないでしょ。これは千載一遇の機会なのよ」
目をキラキラ輝かせながらエリンは言うけれど、そう簡単なことではないと思う。
狐につままれたかの様な表情でティア姉はリータに聞いてきた。
「つまり、姫様は王宮を抜け出して、庶民の生活を知りたいって事であってる?」
「たぶん合ってると思います、ティア姉」
ティア姉は身を乗り出して言った。
「冗談じゃないわ。そんなことしたら、わたし達誘拐犯で指名手配じゃない。捕まったら絞首刑よ!」
「それなら大丈夫。私の国では斬首刑だわ」
「なら安心――じゃないわよ! 結果は変わらないじゃない!」
珍しくティア姉がテンパっている。
ここはリータが止めるしかない。
「ティア姉、少し落ち着きましょう」
「……そうね。つい慌ててしまったわ」
落ち着いたティア姉にエリンは追い討ちをかけた。
「本当に大丈夫よ。公務は体調不良でしばらく休みがとれるから。お父様はコムヴァにお出かけになっているから、ここ数週間会っていないもの。それに影武者も用意しております。まだ不安なら罪に問わないって証文も付けますわ」
「ん~~ん、あきらめてはもらえないのかしら」
やはりティア姉は乗り気ではないらしい。
それを感じ取ったのか、エリンは畳み掛けてきた。
指を一本立てると、
「私を連れて行くと良い事だらけですよ。一つは、検問所のフリーパスを差し上げます。検閲も通行税も免除ですから優先して通過できますわ」と言った。
次に指を二本立てる。
「二つは、すぐお兄様に会えます。普通に申請していたら、他国の王族なんて何日も待たされること必至です。ましてやトゥルクには魔王討伐と表して送った一万もの兵士を失った遺恨もありますから、良い感情を持っておられないでしょう。もしかしたら会えない可能性もありますわね」
魔王討伐でリーダー的な立場だったのはトゥルクでも、兵を失ったのは出兵した方の自己責任だと思う。
けれど逆恨みしていないとも限らないのは確かだ。
更に指を一本立てて三本になる。
「三つは、バーサからでしたら自分で帰ってこれますから帰りの心配は無用です」
最後に立てた指が四本になる。
「四つは、勇者様を見つけたら光る魔法の指輪を手配できます。さあ、どうですか」
これでもかと言った様子でエリンはティア姉を見つめる。
「そうねぇ、勇者がこの国に居る可能性はめちゃ低いんだけれど、今後のこともあるしなぁ。みんなはどう思う?」
今まで会話にも混ざらずに呑気にお茶を啜っていたヤスカ達に問いかける。
「俺は構わねぇぞ。王族なんてわがままなもんだからな」
「今更ひとり増えるくらい、わたしは構わん」
「アイリ姉さんが良いなら良いのです」
「リータもティア姉が良いなら」
どうやら進んで反対する者はいないらしい。
「分かったわ。でも、くれぐれも誘拐なんて事にだけはならないように注意してちょうだい。それと、外では姫様扱いなんてしないからね。お姫様って格好で来ないでよ。あと、荷物は最低限で」
ティア姉が言うと、エリンはにっこりと良い笑顔で返した。
「任せてちょうだい。ちょっと準備があるから、明日の六の鐘が鳴ったら、東側の裏角にある使用人用の扉で待っていてちょうだいね」
今更、面倒ごとが一つや二つ増えたところでどうにかなるだろうと思ってしまうのは、少しトラブルに慣れすぎな気がした。