第1章-3
しかし、予想に反してヴィヴィアンは難しそうな表情となる。その視線は康泰に向けられたまま。
「そりゃね、お前の信頼を得ているようであたしとしては嬉しいけれども…お相手は冥幻魔界第二位候補様よ?ある程度のものを作る事は可能でしょうけど、きっと安定した途端、砕ける可能性が高いわ」
出来うるならば、可愛い末弟の信頼を裏切りたくは無い。願いは叶えてやりたい。だが、無理な事もある。
「それでも構いません。寧ろ、ビビでなければコータ様が安定されるまでの装飾具を作れないでしょう」
どうか。
頭を下げるミオンに、ヴィヴィアンは頭を掻きながら深く息を吐き出した。
「まったく…分かったわよ」
「ビビ!」
嬉しそうな顔で目を輝かせたミオンに、ヴィヴィアンはストップを掛ける。
「その代わり、コータ様の血とお前の『欠片』を寄越しなさい。最低限、それが無ければさすがの私でも無理だわ」
「かけら…?」
ぽり、と揚げ菓子を砕いた康泰が首を傾げた。
「俺の血をやるのは構わないが、ミオンさんの…かけら?」
良い予感はしないと眉間に皺を寄せた康泰が述べれば、ヴィヴィアンは「そう、欠片」と口角を上げた。
「ビビ」
ミオンが咎めるように兄の名を呼ぶが、ヴィヴィアンは眉を跳ね上げて意に介さない。
「いずれ分かる事だわ。それに、持ち主となるべき対象が、装飾具の素材を知らないのはどうかと私は思うわよ?」
正論であるがゆえ、ミオンは言葉に窮してしまう。ヴィヴィアンは表情を歪めるミオンを一瞥しただけで康泰へと視線を戻した。
「『欠片』とは、その存在を構成する『核』の一部の事です」
「核…」
「人で言うところの…魂の事です。『欠片』を渡すと言う事は、その者の魂を削ぎ落とすと言う事。稀に削がれた部分が修復する事もありますが、私が見て来た中ではそんな現象が起きたのはただ一人」
「魂を、削ぐ…?あんた…弟になんちゅー条件を…」
「残念ながら、これでも譲歩した条件です」
責めるような眼差しを寄越す康泰からふいと視線を外し、ヴィヴィアンは少しばかり温くなった紅茶に口を付ける。
怪訝な表情となった康泰はミオンへと顔を向けた。
「ミオンさん、あんたがそんな事をする必要はない。ほら、安定って時間が経てばどうにかなるのが定石だろ?ほっときゃどうにかなる」
その問いに、ミオンは首を横に振る。
「コータ様は魂の改変を行ったのです…対策を講じなければ、安定するのは何百年も先。それに、『欠片』くらいならば何の支障もありません。あなたと言う存在を、わたくしの我侭で人の輪廻から外してしまった。これがせめてもの償いとなるのならば、あなたへの忠誠となるのならば、わたくしはわたくしの魂を捧げましょう」
「…そう言う事です、コータ様。さて、ミオン・ジェミル=フィニ。この交渉は成立か、否か?」
ヴィヴィアンが首を傾げれば、柔らかなブロンドがさらりと服の上を滑り落ちる。
「成立です」
そう宣言した瞬間、ミオンの胸元から淡い光を放つ雫型のサファイアが姿を現した。宝石は翳されたヴィヴィアンの手中へと収まり、ゆっくりと輝きを失った。
ヴィヴィアンは宝石を指先で摘み上げると眼前に翳して光に透かし見る。そして、至福とでも言うような満ちた笑みを浮かべた。
「ふふ、相変わらず美しい輝きだわ」
「それはどうも。コータ様、御手を失礼いたします」
いまだ納得して無い表情で差し出された手に、ミオンは苦笑を浮かべながら触れた。手の甲をするりと撫で、指先を包み込み、撫で下ろす。
「ビビ、これでよろしいですか?」
ミオンが手を開けば、不定形のルビーが数粒。康泰の血の結晶だ。
「些か少ない気も…」
ヴィヴィアンはふと言葉を留め、ミオンの手のひらに転がるルビーを見定めて瞬く。
「あら、まあ…恐ろしいほどの魔力が秘されているわね。うん、その量で問題は無いわ」
メイドのジェノがミオンに近付き、装飾が施された銀の器を差し出した。器はヴィヴィアンが作り上げた付加装飾具のひとつだ。
からからと音を立ててルビーが器に移されれば、器に付加されていた封印の術式が作動し蓋の役割を果たす。
「対価は確かに受け取ったわ。最優先で仕上げるから、そうね…七日後にまた来るわね」
「分かりました。お願いします」
「ええ、それじゃあね。では、コータ様、私は作業に入りますのでこれにて」
「…はい」
憮然とした表情のまま答えれば、ヴィヴィアンはくふくふと笑いを噛み殺しながら退室したのだった。
沈黙の中、康泰とミオンは温い紅茶に舌鼓を打つ。
「俺が何も知らないからと勝手に決めて…」
子供のようだと思いながらも、言わずにはいられない。
「ええ、勝手に決めました。何も知らないと言うのも理由のひとつではありますが、先に相談してしまえばコータ様は絶対に拒否するのが分かっておりましたから。先ほども申し上げましたでしょう?これは、わたくしの我侭なのです。コータ様が嘆く必要はありません」
平然と言ってのけるミオンに、康泰の眉間の皺は更に深くなる。それも仕方が無い事だとミオンは苦笑を浮かべた。
康泰は元人間だ。魔族と違って性根が優しい。優しすぎる。元から魔族であれば、主人の為に従僕が魂を差し出すなど当たり前だと鼻で笑っただろう。
優しさはこの冥幻魔界では弱さになり兼ねない。それでも、その優しさが好ましい。
「今回は許してください。今後、同様の事が起こりましたら必ず相談しますから」
「…分かった」
深く息を吐き出し、康泰は渋々とではあるが眉間から皺を消した。それに安堵しながら、ミオンはこれもどうぞと自分の食べていない焼き菓子を差し出す。ついでに空になったカップに紅茶も注ぎ足した。
ささやかなお茶会の後、精神的な疲れなのか顔色を悪くした康泰を慮り、シュノアとおこじょのリィが待つミオンの部屋へと引き上げるのだった。