序-3
「で、話を本筋に戻すとー…話の流れ的に、もしかして俺を迎えにきた、とか?」
「もしかしなくても、閣下を迎えに参りました」
さて、困った。
康泰は腕を組み、難しい表情でミオンの目をまっすぐに見つめた。
「…急ぎ?」
「できれば」
どうやってミオンの言う冥幻魔界に行くのかは分からない。しかし、はいそうですかと素直に頷くには康泰自身まだ若く、多感な時期である。まだ人生の多くを楽しんでいない。
右に左にと泳がしていた視線をちらりと動かし、ミオンを窺う。にこにこと害のなさそうな笑みを浮かべる人ならざる男。その男は、我が主の花嫁にと自分を故郷へ連れて行こうとしている。
「まあ、無理だな」
最終的な結論は当たり前と言えば当たり前のものだった。ミオンもそれをわかっていたのか、眉尻を下げて苦笑を滲ませる。
「ですよね…」
どうしたものかとミオンは少しばかり何かを考える。
「…わかりました…魔皇閣下に進言して参ります」
「…いいのか…?」
自分で断ったものの、目の前の男が何か罰を受けるのではないかと心配にはなる。しかし、ミオンは気にするなと笑った。
「魔皇閣下は伴侶はいらぬと申されているのです」
どこか寂しそうにミオンは呟いた。
「閣下は…自分は道具であると常々申しております。卑屈であったり、ご自身を卑下されたりしている訳ではないのです。ただ、事実として、自分は道具なのだと私に申されるのです」
「道具…」
繰り返した康泰に、ミオンは小さく頷いた。
「冥幻魔界を構築する為の道具であり、維持させる為の礎なのだ、と。その運命に愛するかも分からぬ伴侶を巻き込みたくはないのだ、と…」
俯いたミオンが脳裏に描くのは、仕えるべき主人である事など康泰もすぐに理解する。
「寧ろ、今、私がこうして皇妃閣下の御前にいる事こそ、閣下のご意向に背く行為。ですが…私は…」
言葉を区切ったミオンは顔を上げ、再び康泰の双眸をまっすぐに見つめた。
「私は、罰を受ける覚悟で…この身が滅ぼされる覚悟で、皇妃閣下のご尊顔を拝しております。例え貴方様に恨まれようと、私は…」
―ギリ…
強く噛み締めたのか、歯噛みする音が康泰の耳にも微かに聞こえた。
腹心、忠臣。そんな言葉が脳裏を過ぎる。これほどまでに思われる魔皇と言う人物が気になる事は気になる。
「うーん…」
唸りながら天井を仰ぎ、しばしの思考の後、がばりと起き上がってミオンの名を呼んだ。
「とりあえず、人の寿命は八十年そこそこ。それまで待って貰っても良いか?」
「え…?」
「俺の寿命が尽きるまで待っていてくれるなら、そっち行っても構わない。もしかしたら明日死ぬかもしれないし、百歳まで生きるかも知れないが…」
死んだ後なら、構わない。
そう提案すれば、ミオンは何を言われたのか分からないと言った表情できょとりとまばたいた。
「よい、の…ですか…?もし、そうしてしまうと…もう、この世界に生れ落ちるのは、難しいかと…」
困惑するミオンに、康泰は構わないと笑う。
「今の生を終えたら、次をその冥幻魔界でって言うだけだ。まあ、未来の俺が不満を持つかどうかは、今の俺に関係はないしな」
あ、でも、少しは悪びれといた方が良いのかな?
そう笑い続ける康泰に、ミオンは眉尻を下げて戸惑いを隠せない。
「なぜ…」
最もな質問だった。
康泰は僅かに逡巡し、曖昧な笑みを浮かべて見せた。
「んー…正直言って、何故と言われても困る」
眉間に皺を寄せ、まるで他人事のように不思議そうな表情で首を傾げる康泰に、ミオンの困惑は更に深まる。
「コスプレでもしてるのかっていう奇抜な格好をした不法侵入の男に帰宅を出迎えられて、突然、自分の主の嫁になれとか言われて、こうやって普通に会話なんかして?通報モンだな、普通」
なんでもない事のようにケラケラと笑う。
「確かに最初は警戒していたが、なんかもう見るからにあんたが必死と言うか…いや、見た目は冷静そのものなんだけど。きっと、無理に連れて行こう思えば出来るんだろう?」
その問いに、ミオンは一瞬躊躇いを見せたものの「はい…」と消え入りそうな声で肯定した。
「でも、それをせずにそっちの世界の事を説明して、俺に理解と納得を促して、俺の了承を得てから迎え入れようとしてくれた。こう…お人好しだなーと説明を受けながら思ってた訳だ、俺は」
「皇妃閣下…」
どこか感激したような面持ちで、ミオンは声を震わせた。その眦には微かに涙が滲んでいるようにも見える。
「まあ、とにかく、俺は俺で人間の生を全うしたいんだ。寿命を全うしたら人として連れて行って貰っても構わないし、同じ種族として魂を作り変えてもいい。そこはあんたの判断に任せる」
言い終えるのを待っていたのか、ミオンはその場に伏した。三つ指揃え、指の背に額を押し付ける勢いである。
「温情、感謝いたします…!」
そして、人にしては長く、冥幻魔界の住人にしては短い歳月が過ぎていく。
―七十年後。
康泰は妻に先立たれ、三人の子等の助けを受けながら、海が見える家で老いた愛犬との暮らしを満喫していた。
潮風が心地よい。
足元に伏せていた愛犬が、ひょいと顔を上げた。康泰の皺くちゃな手が優しくその頭を撫でる。
「ああ…久し振りだね…ミオンさん…」
穏やかな双眸が眇められ、目尻には生きた年数だけの皺が刻まれていた。
「はい、お久しゅうございます…皇妃閣下…っ」
今も昔も変わらぬ姿のミオンは、はらはらと再会の涙を零しながら康泰の足元に膝を付き、温かな手に己が手をそっと重ねた。
「長い間…心変わりのない自分に驚いたものだ…」
ふふ、と穏やかに微笑む翁は、いつかのときと変わらず美しいとミオンは更に涙した。
「ミオンさん…ひとつ、我儘を許してくれるかい…?」
「ええ…ええ…何なりとお申し付けください」
「ありがとう…この子も、共に連れて行っても良いかね…」
次に子供が来るのは三日後で、それまでの間に死してしまうだろうと康泰は目尻に涙を浮かべた。
「ひとりで逝かせるのは、しのびない…」
飼い主の勝手ではあるが、と眉尻を下げれば、愛犬は気にするなとでも言うように康泰の手の平を舐め上げた。
「もちろん、問題ございません」
康泰は再び礼を述べると、ゆっくりとその瞼を閉じた。
「私の人生は、とても、良いものだった…」
―そして、呼吸は、ゆるりと途絶えた。
ミオンは温かい光を放つ魂を二つ胸に抱き、こつりと石畳に降り立った。
とくとくと小さく脈打つその無垢な魂を、ガラス製の美しい瓶の中に優しい手つきでそっと入れる。二つの魂は、柔らかな光を放ちながら瓶の中で漂った。
真紅の双眸が、自室の窓の外に向けられる。
外は吹雪だ。雪と氷に覆われた、凍土の世界。
「もう、間もなく…」
その口元は笑みを浮かべ、瓶の中の魂を慈愛の眼差しで見つめていた。
序章、これにて終了です。
次回より、第1章が始まります。
タイトルは特に考えて無かったり…