[04話] 魔女の眼
複数回の呼び掛けに応答はなかった。
これ以上の無線使用は、コチラの位置情報を曝すことになりかねない。
発煙手榴弾が撒き散らした黒煙も、持って後1分ってトコだろう。
“つまりは時間切れだ”
強引に踏ん切りをつけた俺は、愛銃である大口径ライフルを担ぎ直す。
そのまま長縄に両脚を絡め、煙突に似た縦坑内を懸垂下降。
急降下の勢いに下肢の反動を加えて跳躍し、漆黒の切れ目 ―― 開閉扉の消失した向こう側へと戦闘靴を軟着陸させる。
薄暗いエレベーターホール……表示は《10th》。
この18階建ての高層建築物(元は有名な駅ビルらしく、なんと竣工は20世紀初頭の1913年)は3~17階までが同一構造。経年劣化による朽ち果て具合や、爆風で吹き飛んだドアや窓、床に散らばる瓦礫、酸性雨溜まりに群がる蛾など……どのフロアも驚くほど良く似ている。
俺は再び16階に戻って来たような既視感に戸惑いつつも、パワーアシストの恩恵を受けて疾走する。
回廊を半ばまで駆け、目についたのは化学発光塗料で施された目印。
ドアが失われた開口部から室内を覗き込み、低い姿勢で侵入を開始。比較的原形を留めた外壁まで辿り着いて、静かに呼吸を整える。
“此処だったはず……”
斜陽に照らされて埃が静かに舞う中、俺は壁際の瓦礫を脇へと押し退けた。
――現れたのは、幾分小振りなダッフルバッグ。
伊達に徒党を組まず、単独で《請負人》稼業を続けちゃいない。
16階に至る全フロアは探索済みで、さっきの長縄のような保険をいくつか仕掛けておいた。陣地変換に備えた、この第二拠点もそうだ。
塵芥で真っ白になったバッグの中身は、手榴弾の類や医療キット、予備弾倉や旧式の自動拳銃といった代物。《怪物》に対して一方的な遠距離射撃での駆除を想定していた俺が、今必要とする装備品の数々。
慌ただしくポーチやホルスターの中身を満たし、最後にバッグから手榴弾サイズの保護ケースを取り出す。中には直径5cm程度の球状デバイス ――360°カメラを収めた透明球体―― 通称《魔女の眼》が3基。
コイツらは、口の悪い連中から《覗き虫》とも呼ばれる偵察ドローンだ。
最適な位置まで器用に転がって行き、目立たず情報収集が可能。
先ずは定石通り不明勢力の戦力を見極めたいが、不用意に姿を晒してまた狙撃されてはかなわない。
俺は細心の注意を払いつつ、頭上の窓枠に《魔女の眼》の1基を押しやる。
収集された情報は、モニターに配信されるよう事前設定済み。
焦る心を抑えながら、外部視界に重なるサブウィンドウを注視して数秒――
Crunch ! 頭越しに予想もしない破壊音。
突如、残骸と呼ぶ他ない細片が部屋中に散らばった。
遠くから後追いする銃声と、視界で点滅する No-LINK の文字。
“《魔女の眼》に対する狙撃!?”
驚愕に顔を歪めて、俺は部屋に釘付けにされる前にと全力で駆け出す。
“狙撃手相手では持久戦に引きずり込まれる!”
そう意識が叫んだ途端、背部を襲う凄まじい衝撃と激痛。
背後からタックルされたかの様に転倒、床へと身体が叩きつけられる。
“嘘だろ……射撃間隔が短過ぎる……半自動式狙撃銃?”
霞んだ視野で、派手に点滅する警告群。
寝入る寸前の曖昧さが、ゆっくりと五感に覆い被る。
『 …This is Clarissa. I say again…』
――何処かで相棒の声が聞こえた気がした。
そんな幻聴も、次第に聞こえなくなっていく。
もう自分がどんな表情を浮かべているかすら分からない。
最後に感じたのは、自身の身体の冷たさだった……。