[38話] 魅入られし者 後篇
「……アンタ……《上位種》だ……」
ゴボゴボと血が溢れる音が言葉に混じるが、言わずにはいられなかった。
高度な知性を有し《怪物》を指揮する存在……接触はもちろん目撃事例すら殆ど無いが、実在を確信を持って語られる人類の敵。
左腕の断端部から垂れ落ちる血液……熱線映像での表示温度は10℃前後……周囲に漂う強烈な腐臭……しかも痛覚自体を知らぬがごとき振る舞い……。
「……化物……」
「あ?」 乱暴に豹変する男の口調。
「この私を《怪物》のお仲間呼ばわりか?」
「私から見れば、人間の方が余程醜悪で化物と呼ぶに相応しい」
男はそう吐き捨てると、周囲を威嚇するように怒声を張り上げた。
「今もしっかり聞き耳を立てているのだろう?」
「何処からか見ているのだろう?」
「このまま静観を決め込むなら、彼は脳漿を派手にぶち撒ける事になるぞ!!」
だが当然ながら、俺を含めて応える声はない。
「反応は無しか……」
「《ведьмы》に見捨てられたか? それとも端からハズレだったのか?」
“ロシア語? 《Witches》?”
情報端末の多言語サービスが、聞き慣れぬ単語を即時翻訳する。
「なぁ参考までに聞かせてくれないか? そこに転がる人工知能と呼ぶのを躊躇ってしまう玩具の……残骸」
「確か……Clarissaだったか? 個体名は18世紀の英国小説に登場する憐れな売女の主人公にあやかったのかね?」
あからさまな嘲笑を含んだ声。
しかし、あくまでそれは、ヒトでない存在の人真似……男が繰り広げる会話劇に何らかの意味や一片の真実があるのかすら定かでないのだ……そう気づいた途端、心底ゾッとする感覚が全身を包む。
「ソレは支給品ではないだろう? 何処で入手したのか教えてくれないか?」
《相棒》は大学を離れる際に、変わり者で通っていた助教授から餞別代わりに譲ってもらったA.Iだ。個体名はそれ以前からのモノ。けど……
「知るかよ?」
突きつけられていた銃口が下方にズレる。
――Crunch! Crunch! 銃声二発と腹部から背部に抜ける衝撃。
「無礼な口の利き方は……あまりオススメしない」
不本意にも聞こえる口ぶりで、男が大型拳銃を構え直すのが目に入る。
“あぁ……痛みが……”
「さて……ヒトは死に際に、神とか言う上位種に祈るのだろ? どうぞ祈り給え」
「あの祈りという儀式は私には理解不能でね……だからこそ趣がある」
銃口がヘルメットに直接押し当てられた。
「酷く損傷しているが、君の身体は素体として有効活用させてもらう。ジョナサン、君が新たな《正体不明の狙撃手》だ」
インカムに反響するのは、判決を告げるような感情に乏しい声。
俺は身体を捩らせ、男の戦闘靴へと半死人に相応しい動きで右腕を伸ばす ――それは確実な死が待ち構える中での途方もなく分の悪い賭け―― 男が拳銃を握った手で俺をぞんざいに払い除けようとした瞬間、死に体の演技をかなぐり捨て猛然と跳ね起きる。
Smash!
掬い上げる様にした左腕の軍用義手が、男の手首に嫌な音を立ててメリ込んだ。
大型拳銃が跳ね飛ぶのを横目に、体格の勝る相手めがけて渾身の体当たり。
動甲冑の装甲同士が衝突する不協和音と、拳銃の落下音。
俺と男は混然となって、コンクリート塊が散乱する床に転がり込む。
ここまで全てが一瞬の出来事。
互いに素早く起き上がり至近距離で対峙する中、男が抑揚に乏しい声を放つ。
「そんな身体でなぜ動ける?」
「ハァ……答える義理は無ェよ……ハァ」
NM《werewolf》――
投与した者に痛覚除去、止血、筋力増大、士気高揚をもたらし、兵士を死ぬまで戦わすための戦闘用ナノマシン。合衆国内戦の悪しき産物。現在では禁止薬物に指定され、請負人であっても所持・使用は重大な違反条項に該当する代物。
州軍時代に偶然入手し、《DAI.S》で鎮痛剤として偽装されていたNMは遺憾なく、その効力を発揮していた。
しかしそれは、相棒が健在なら必ず制止されていたであろう蛮行。
行動の全てが記録される《請負人》が薬物使用を糊塗できるワケもなく、帰還後に除籍処分が通達されるのは前例から言って間違いない。
加えて、戦時濫造品ゆえに副作用は不明、解毒剤に相当する回収剤も無いとなれば、正に最後の手段だった。
“すまない《相棒》……オマエの献身に応えれなかった俺を許してくれ……”
今すぐ、この場から逃げ出すことが可能だとしても、恐らく俺の身体は回収地点まで持たない。そして、元より《請負人》たる俺が果たすべき事は唯一つ。
“人類のためとか……そんな御大層な話じゃないんだ。担当官や開発課の連中……アパートの管理人や行きつけのデリの主人やダイナーの従業員……親しき隣人たちの日常を護るため……”
あらためて自分が演じるべき役割と終着点を受け入れた俺は、情報端末の向こうに意識を集中させる。
“《上位種》は刺し違えてでも……俺が倒す!”
男の得物は刀身が禍々しく映えるヒート・マチェット ――刃渡り50cm近い大型ナイフ―― センサースーツや人工筋肉を高熱で焼き切る対《動甲冑》格闘武器。
対する俺は丸腰。痛みが消失したとは言え、足先が欠損した劣悪なバランス感覚ではリーチ差をカバーできる自信は無い。
いきおい対策を練る暇もなく、男が高々と腕を振り上げ突進して来た。
マチェットが振り下ろされるのに合わせて、反応速度の鈍った義手を右手で掴んで頭上に持ち上げる。
Screech! 軍用義手の鋼材から甲高い金属音。
義手に深々と食い込んだ刀身が更に高熱を帯び、緑一色の暗視視界で陽炎に似た歪みが生じる。
“義手ごと両断する気か?”
そのまま体格を活かし男は俺を押し潰そうとする。ナノマシンの影響下にある身体の内部から次々と鳴る異音――筋繊維いや腱部の断裂か? 痛みは感じないが、鍔迫り合いの様相を呈する義手はヘルメット近くまで押し戻され、両膝が膂力に屈し始めていた。
「調子に乗るなよ……定命のヒト風情が」
頭上から降ってきた、全く息を切らしていない声。
あらためて相手が人外だと再認識させられる。
“……押し切られる前に!”
散発的に断裂音が鳴る全身の筋肉に発破をかけ、今一度、左腕の義手を多少なりとも押し返す。その状態で、義肢化する過程で増設された新たな神経経路 ―― 左肩と義手の接合部に切り離し信号を伝達。
圧縮空気の炸裂音と同時に義手を放り出し、足元へとしゃがみ込む。
支点と力点を失った義手に、男は勢い余って上半身を泳がした。
俺の頭上を流れていく、装甲の薄い脇腹部。
そこを狙って、超硬チタン合金のヘルメットで頭突きを繰り出す。
再びの不協和音と、頭蓋骨がカチ割られたかと思うほどの衝撃。
一瞬意識が飛んだ後に周囲を見渡せば、足元にはマチェットが刺さった義手、後方には男が転倒しており、前方数メートル先には残弾の尽きた愛銃が転がる。
俺は一瞬たりとも迷うことなく、不自由な脚で駆け出した。
途中我慢できずに振り返った先には、片腕で拳銃に這い寄ろうとする男の姿。
奇しくも男と同じ隻腕となった事に今更気づきつつ、愛銃まで辿り着いて銃身を鷲掴みにして踵を返す。
機銃掃射で凹凸に様変わりした床を這う男と、片脚と愛銃を引き摺った俺。
夢中で男の足元に追いついた俺は愛銃を肩まで担ぎ上げて――銃床を男の右膝へと叩き下ろした。
Thud! 重量物が落下する鈍い打音。
動甲冑の関節部は構造上どうしても装甲を薄くせざるを得ない。膝裏も手首同様、装甲を施すのが難しい箇所の一つ。
続く動作で愛銃を僅かに持ち上げ、ハンマー投げの要領で遠心力を乗せた13kg超の凶悪な鈍器をもう一度叩き下ろした。
Thud!
男の戦闘靴が不自然な角度を向く。
俺は狂ったかの様な勢いで、逃げようと藻掻く動甲冑を滅多打ちにする。
――左膝!!
――その次は右手首!!
――次は右肘!!
――そして頭部!!
何度も!! 何度も!! 何度も!! 何度も!! 何度も! 何度も!! 何度も! 何度も!! 何度も!! 何度も!
.50口径の大反動を受け止めてきた銃床が砕け、熟練の職人が削り出した銃身が歪に曲がり、二度と本来の用途に耐えぬ姿に愛銃が変わり果てても、俺は一心不乱にその作業を繰り返し続けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ハァ……ハァ……ハァっ……ゴボッ
暗い室内に反響するのは、肺損傷独特の甲高い呼吸音。
大きく肩を上下させるたびに、口から大量の血が零れる。
恐らく、センサースーツが管理するバイタルは血中酸素飽和度を筆頭にデタラメな数値を示しているに違いない。
“ナノマシンの効力も……終わりの時間……”
既に高揚感と万能感は去り、全身には倦怠感が重く伸し掛かりはじめている。
重さに耐えきれなくなって愛銃を足元に放り出すと、多くの関節を有り得ない方向に曲げた動甲冑のすぐ傍を歩む。
愛銃を何度も叩きつけたヘルメットは歪んで凹み、マスク部が半ば開いていた。
俺はソレに心動かされる事なく、瓦礫に埋もれた大型拳銃を拾い上げる。
公社のエンブレムが刻印された自動拳銃。きっとⅠ級《請負人》ミハイル・C・ヴィンスの装備だったのだろう……。
片手だけで弾倉をリリース、残弾は残り7+1発。
腰を使って弾倉を押し込むと、一切の躊躇なく動甲冑に向かって全弾撃ち込む。
Crunch! Crunch!Crunch! Crunch!Crunch!Crunch! Crunch!
拳銃を力無く投げ捨てた後は、銃弾を何発浴びても身動ぎ一つしない動甲冑に近づき、咳き込まない様ゆっくりと話しかけた。
「まだ生きてるんだろ?」
多数の打痕が刻まれた動甲冑から、歪んだ小声が漏れ出した。
「やはり、《ведьмы》は未だ……」
おもむろに男の戦闘靴を脇に抱えた俺は、引き摺るようにして歩き出す。
「ジョナサン……君が擱座させた《怪物》達は恐らく……本来の性能……の半分も出せていなかったハズ……」
男が話す内容が真実か否かなど、今となっては……どうでもいい。
一歩また一歩と足を進める度に、引き摺られた男の身体が床を跳ねる。この状況に奇妙な既視感を抱き、つい笑みの形を作った唇の端から血が零れ落ちた。
「取り引きをしようジョナサン……」
「今なら……瀕死の君の肉体を完全に……治療する」
「なんなら、失……われた左腕も元通……り再生すること……も可能だ」
視線の先には闇に沈んだ廃墟の街。外壁は重機関銃の掃射で完全に崩れ落ち、今や屋内外を隔てるモノは何も無い。
「ジョナサ……ン……君がクラリッサと……呼ぶ、あの玩具……」
「あれを……完全修復し……てやって」
「もう黙れ!!」
正真正銘の怒気が喉を震わす。
衝撃で全開となったヘルメットの中身は何も無かった。
「今の俺じゃ……アンタの息の根を止めれそうにない……だから……」
俺は死にかけている肉体に渾身の力を込めた半回転を強要し、高さ55mの闇空に向かって動甲冑を投げ出した。
――真っ逆さまに動甲冑が地上へと堕ちていく。
「これで相討ち……いや、人類側の判定勝ちだ……」
無線機は『こちら〈F-241673〉、現場への急行を求む 緊急事態発生』との内容でモールスを繰り返し発信している。
特殊事案に際してのみ発信が義務づけられている無線符丁を受け、おそらく数時間後には調査チームが乗り込んで来るに違いない。結果的に、謎めいた《上位種》の実態が多少なりとも解明される可能性だってある。
そこまで考えて、呼吸の回数が極端に少なくなっている自分に気づく。とにかく息苦しかった。
震える手で首元にある解除レバー3ヶ所を引き下げ、ヘルメットを脱ぎ捨てる。
剥き出しとなった顔面をひんやりとしたビル風が叩きつけ、肉眼には寒々とした夜空と薄雲と幾ばくかの星が映った。
俺は生理的欲求に従い、心地よい冷気を胸郭へと招き入れる。
濾過器を通さずに行う呼吸の危険性など、最早気にもならない。
その行為は、ささやかな量の酸素と二酸化炭素の交換にしかならなかったが、曖昧となった感覚器を覚醒させる役割を果たす――
インカムが装着された両耳が捉えたのは、羽虫が一斉に飛び立つような騒音。
たちまち廃墟中に響き渡るまで音量が増したかと思うと、騒音の発生源がゆっくりと夜空に姿を現す。
“マルチコプター型無人機!”
海豚じみた有機的なフォルムに、空力的に不利な二本の大型アンテナを張り出した全長3.5m級の機体。
“屋上階にカモフラージュしていた電子戦UAVか?”
『君が始末した身体にワタシはいない』
回転翼の騒音に負けない大音量の拡声器が、男の声をバラ撒き始めた。
『発信中の無線は、電波妨害で潰させてもらっている』
汎用機関銃4丁が連結されたウェポンステーションが、強風に揺れる機体とは別の意思決定器官を持つかのように旋回し、追尾照準が完了したのか俺へとピタリと安定化される。
『君は此処で骸を晒し、いずれただの土に還る』
『私側の逆転勝利だよ』
“そんな……” 絶望という言葉では足りない激情が身と心を揺さぶる。
反撃の手段は何一つ無く、今の身体は両膝で立ち続けるのがやっと。
男の言うとおり、待ち受けているのは3200発/分にも及ぶ集中砲火でズタズタに身を引き裂かれる最後。
“結局、相棒と俺の死に何の意味も持たせられなかった……”
それでも、いや、だからこそ、真っ直ぐに無人機を睨みつける。
死に怯えて目を瞑る。それは《請負人》としての最後の矜持が許さなかった。
『サヨウナラだ』
拡声器特有の耳障りなハウリング音を最後に声が途切れた。
直後、凄まじい騒音の中で聞こえる筈のない囁き声を俺は確かに耳にする。
――サセナい。
その言葉に呼応して、無数の小さな影が夜空に翔び立った。
正体は、数百いや数千の群れをなす《蛾》を模した極小無人機。
無人機目掛けて《蛾》が殺到し、瞬時に残骸と化して火花を散らす。
機体下面の4連装機関銃が発砲を開始するが、《蛾》は至る所にギッシリと群がり離れようとしない。
それらの光景は、多数のミツバチが凶暴なスズメバチを球状に取り囲んで蒸し殺す蜂球であるかの様。
明らかな制御不能に陥った無人機は発砲炎を撒き散らしながら、闇の中を何度もデタラメな楕円を描いて旋回する。急接近した機体が俺を揉みくちゃに吹き飛ばして数秒後――駅ビル全体を爆発音が震わせた。
アッという間の出来事だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ボンヤリと覚醒した意識が、仰向けで寝転がっている事に気づく。
“……静かだ……”
ふと頭上を見上げるとタバコ箱サイズの筐体……逆さまの《相棒》の姿……やれやれといった感情と共に微笑が浮かぶのを自覚する。
動甲冑を纏った右腕を伸ばすが、《相棒》まで指先が届かない。
今更だが驚くほど眠かった。途端に身体を動かすことが億劫になった俺は、目を閉じたまま《相棒》に語りかける。
「ほんの少しだけ眠ったら一緒に家に帰ろう……そしたら……クラリッサ……オマエがお気に入りの…… 」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
瓦礫にぐったりと背中を預けて天井を見つめる隻腕の男は、聞き取れぬ声量で何かを呟くと項垂れ、そのまま動かなくなる。
傷だらけの動甲冑から覗く男の顔もまた、血に塗れ傷だらけではあったが、その表情は満足げに微笑んでいる様にも見えた。
何処か遠くで構造材が崩落する音がする。
かつてデトロイト市と呼ばれていた廃墟は、静寂を常とする本来の姿を取り戻そうとしていた……。




