[37話] Jonathan・E・Travis
『轢かれる危険が最も多いのは、ちょうど一つの車を避けた時である』
『……19世紀の哲学者フリードリヒ・ニーチェが遺した言葉だ』
隊内無線に割り込んできた、《正体不明の狙撃手》を名乗る男の声。
そして、今日一日の最大値を易々と更新する激痛――
絶叫を上げまいと耐える俺の眼には、右太腿部に穿たれた真新しい弾痕が映る。
即座に弾痕を塞ぐよう押さえつけるが、溢れ出る液体はグローブの隙間から止まる様子がない。たちまち動甲冑内にまで濃密な血臭が漂い始めた。
“動脈損傷?”
外科手術による止血や大量輸液などのマトモな医療行為を期待できない環境 ――現状がまさにソレに当てはまる―― で出血性ショックに陥ったが最後、絶対に避けられない死が待っている。
手をこまねいている猶予は無い。
まずは銃弾が貫通したのか、体内に留まっているかの鑑別が必要。
俺は覚悟を決めると、無茶を承知で銃創に右指を突っ込む。
歯を噛み締め唇をキツく閉じていても、呻き声が漏れ出る凄まじい苦痛。
精一杯伸ばした指先に金属らしき異物が触れる。
“傷口は貫通していない……盲管銃創……止血できるか?”
血で滴るグローブを慌ただしくメディカルポーチに差し入れ、注射器に似た医療機器を取り出す。
苦痛の予感に身体が強張るのを感じながら、俺は目を瞑り息を整え、深々と銃創内に《充填器》を突き立てた。
そのまま悲鳴を噛み殺し、無針注射器と同じ構造のピストンを一気に押し込んで充填器を引き抜く。直後生じたのは、太腿内部に押し込まれた直径5mmの球形止血剤が数倍に急膨張する失神するほどの痛み。
ッフー、ッフー、ッフー、ッフー
満面に滴る脂汗と荒い鼻息で、どうにか我へと返った。
被弾から1分も経たぬ間に行った止血処置だったが、膝下には既に大きな血溜まりが拡がっている。
『Aren't you gonna say hello?(挨拶は返して欲しいな?)』
息つく暇もなく、一方的な無線通話は続く。
『君のことを、今日一日ずっと観察させてもらっていたよ』
『全く予想だにしなかった反撃で監視網を潰した事には本当に驚いた。しかも見事にカウンタースナイプを決め、怪物4体までをも屠る』
『強固な肉体に宿った鋼の闘志に対し、心の底から敬意を捧げよう』
錆びたような声に似つかぬ、何処か芝居めいた口調。
何故、次弾を撃ち込んで来ない? 俺が倒れ込んだことで射線が通らなくなったのか? それとも話すべき何かがあるというのか?
荒い息遣いのまま、俺は吐き捨てるように無線を返す。
「どうやって火災を逃れた? それとも手前は……二人目の狙撃手ってことか?」
『おやおや、狙撃手が複数の可能性は無かったのでは?』
挑発しているのか、台詞の後には控えめな笑い声。
コイツ……暗号化された衛星通信まで傍受していたのか? ハッタリでなく本当に監視を? 何のために?
湧き上がる疑問の中、傍らに転がった愛銃を手繰り寄せ、電子攻撃を受けた《F.C.U》を再起動。チャージングハンドルを半後退させ、装填済みの.50口径弾を確認する。
『 君にひとつ問いたいんだが……』
まだ話し足りないらしい男の声を無視して、外壁の亀裂から目を凝らす――暗視装置が映すのはモノクロに沈んだ廃墟の夜景。
何処かに潜んだ狙撃手へと繋がる痕跡は微塵も見当たらず、最良で有効視程800mとされる熱線暗視でも熱源体は確認できない。
『……今日一日で君が成し遂げた業務……いや、活躍と言い換えていい程の戦果。ソレは君の実力だけでもたらされたのかね?』
意味不明な質問に更なるダンマリを決め込んだ俺は、物言わなくなった相棒へと視線を向ける。
言うまでも無く救援の可能性はあり得ない……無線が届く範囲に回収車両は待機しているが、《請負人》が救援を求めることで回収班まで危険に晒すのは、避けるべき最低限の原則として不文律化されている。
いや……それ以前の問題として、他人の命を巻き添えにして自分が助かるなんて俺には無理だ。そんな強靭な精神は元より持ち合わせちゃいない……。
『 識別符号〈F-241673〉……本名、ジョナサン・E・トラヴィス』
「何ッ?」 完全に虚を突かれて、間の抜けた声が漏れ出る。
『西暦2100年7月6日生まれ、31歳』
『血液型 AB型、生誕地はイリノイ州 旧ロックフォード市外の難民キャンプ 』
『2109年 父親が建設技術者であったことから市民権を得て、家族と共に復興期のシカゴ市へと移住』
『2113年 母親が新型感染症に罹患、強制隔離後に医療施設にて死亡』
『2116年 父親が市拡張部の建設現場にて行方不明。以後シカゴ市の次世代人材育成プログラムに従い里親制度の下、高校を卒業』
『2119年 イリノイ大学シカゴ校に進学するが、諸事情が重なり自主退学』
『2122年 大学奨学金を得るためにイリノイ州軍への入隊を志願。機械化歩兵大隊に配属され、分隊選抜射手として精勤』
『2127年 州軍を5年満期除隊。最終階級は伍長。大学には復学せず、度々勧誘のあった《公社》シカゴ支部の専属《請負人》としてのキャリアをスタート。同じく州軍転向組であるリチャード・ヒルマン、フランシス・オニールとチームを組み、新人ながら手堅く実績を積み上げ短期間で階位Ⅳ級に昇格』
『2128年6月。旧ウィスコンシン州ポイントビーチ原子力発電所での業務遂行中に、チームの二人がKIA。本人も左腕の大部分と顔面の4割を喪失するという瀕死の重傷を負うが、奇跡的にも他のチームによって救出。複数回の手術とリハビリを経て復帰するも、深刻なPTSDを発症。以後1年以上を精神科治療に費やす』
『PTSD克服後は単独での業務を好み、復帰後の実績を以て階位Ⅲ級に昇格』
『認定《怪物》駆除数は共同87、単独192。その遠射能力と外見に似合わぬタフネス振りはⅢ級《請負人》でも抜きん出た存在であり、良くも悪くも目立つ存在だと言える。シカゴ支部内ではそれなりに良好な対人関係を構築しており、賞罰の対象となる問題行動も特に無し。特記事項として、精神科医による定期的なカウンセリングが義務付けられている事が挙げられる……』
さっきまでの芝居がかった雰囲気とは別物の、軍人にありがちな感情を削ぎ落とした画一的な口調。
だが次に口を聞いた時、男の口調は揶揄する響きが混じったモノにまた変わる。
『なかなか見所のある経歴ではあるが……はたして果たして……階位Ⅲ級程度が、たった独りで《X-DH02-X》と呼ばれる怪物を倒せるものかね?』
微妙な言い回しで、再度突きつけられた質問。
しかし、答えるべき俺は混乱の極みにあった。
《公社》の個人情報に侵入? 有り得ない! BクラスA.Iが束になっても敵わない、あの難攻不落のセキュリティを突破するなんて!
『質問をしているのは私だよ? ジョナサン』
『さて、「沈黙は金、雄弁は銀」は誰の言葉だったか?』
『君が本物かどうかは、重機関銃の掃射で再び確かめさせてもらおう!』
そう言い放つと、男は実に愉しそうに哄い出した。
聞く者が耳を塞ぎたくなる哄い声が、インカムにいつまでも響く。
“コイツ!……イカレてるのか?”
男の宣告通り、何発もの曳光弾がコチラに向かって距離を詰めるのが見え、連続する発砲音が追い掛けてくる。
おそらく初弾着弾まで残り1秒も無い。
咄嗟に相棒に覆い被さった俺は、二脚を展開させた愛銃を迫る曳光弾に向けて配置する。右眼を覆った《網膜投影器》から[ FCU fully automatic Mode Start ]の文字が消え去るのと同時に、インカムを着弾の轟音が埋め尽くした。
――外壁を穿つ直撃弾、飛び交うコンクリ片
――着弾火花のスコール
――無秩序な破壊を繰り返す跳弾
――容赦無く蹂躙されていく室内
――崩れ落ちる分厚い外壁
――巻き上がる朦々とした塵埃
破壊の限りが尽くされるのとは無関係に、長距離射撃に特化された《F.C.U》が明瞭に闇空を暴き出す。
――廃墟の街並みに滑る十字線
――遠くに浮かぶ、半壊した中層ビルの屋上
――明滅する発砲炎
“アイツが……二人目の狙撃手!”
奇跡的にも、未だ銃身に歪みは無し。
フルオート制御で動作する《F.C.U》が測距用レーザーを照射。
正確無比に計測された直線射程は1263m、俯角1°未満。
各種狙撃パラメーターが立て続けに自動入力され、予測される-9.9mの弾道降下に合わせて十字線が8目盛り近く下降。
レーザー風速計のリアルタイム解析を受けて、十字線に横補正が施される。
最良の状態であっても、対人標的への必中が怪しい1400yd級の遠距離射撃。
反応が鈍い左腕の義手を絡めてストックを固定、照準を保持。
胸郭の激痛を沈み込ませ、一定リズムの浅い呼吸をキープ。
だが今頃になって、右脚全体がバケツをぶちまけた様に濡れているのに気づく。
“出血が過ぎたか……”
“この身体でパワーアシスト無しに、発砲を制御しきれるのか?”
精神の脆弱な部分が綻びはじめ、次第に視野全体が滲み出した。
ソレに抗うように右眼を見開き、照準だけに感覚を集中させる。
“諦めれば終わり。どんな悪条件だとしても……反撃の手段は愛銃だけだ”
予想弾道上で変動する風量を反映し、左右に揺れ動く十字線。
その十字線と標的とが重なる瞬間 ―――― 今!!
俺はソッとトリガーを引き絞った。
DOW! 衝撃波を伴った強烈な反動。
マズルジャンプで両腕の保持から逃れた愛銃が、派手に動甲冑と激突。
真っ白に映った発砲炎が意識までも侵食していく……。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
“寒い……”
少しの間、気を失っていたらしい。明らかに体温が下がっていた。
周囲をぼんやりと窺えば、機銃掃射で変わり果てた室内。
辺り一帯は嘘のような静寂。
大きなヒビ割れの走ったモニターの中で愛銃は背後に転がり、左掌の指全てが失われている。
“二人目の狙撃手はどうなった……?”
観測手不在の今、命中したか否かを知る術は無い。
それでも混濁から抜け出した意識が、機銃掃射が止んでいるのに気づく。
「やったのか?」
自然と安堵の言葉が漏れる。
――しかし無線から溢れ出したのは、聞き覚えのある哄い声。
『ククッ、ハハ、ハハハッ』
『最高のショーだ! たまらない、たまらないよ』
『今、君はこう思っているだろう「糞! 外してしまった! このおしゃべり野郎にキチンと命中させておけば!」とね』
男の台詞から感じるのは、今すぐ黙らせてやりたいほどの悪意。
『だとするなら……とんでもない!』
『歓喜したまえ! 君の放った銃弾は《二人目の狙撃手》を正確に撃ち抜いた。今や彼は心肺停止状態だよ』
『おめでとう! これで君は三度の狙撃と機銃掃射から生還したことになる』
男の話に呆然とする俺は、這いつくばったままの身体を強張らせる。
回廊側からコチラをジッと見ている存在に気づいたからだ。
何処からともなく湧いて出た正体不明の人物 ――灰色を基調とした都市迷彩が施された動甲冑―― が、ゆっくりと口を開く。
「ジョナサン、どうやら君は本物のようだ」




