[36話] Hello!
意思とは無関係に痙攣しだす瞼。
腫れ上がった左眼だけでなく、視野全体が霞はじめた。
脳血流が完全に遮断されれば、ヒトが失神するまで10秒もかからない。
パワーアシストの切れた動甲冑を必死にバタつかせて脱出を図るが、触手が締め付ける力は増す一方。
“……意識が途切れる前に……”
朦朧とする意識に反して、右手が乱暴にベストの上を這いずり廻る。
目的以外のポーチが連続した後に、グレネードポーチらしき膨らみが二つ。
反射的にポーチの片方を引き千切り、剥き出しの顔面へと運ぶ。
“もし……コレが《魔女の眼》のケースだったら一巻の終わり……”
震える歯でポーチから露出した安全ピンに噛みついた俺は、力を失いつつある腕で最後の手榴弾を放り投げた。
Crackle!
間の抜けた花火に似た音。
直視すれば失明しかねない閃光が瞼に突き刺さる――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ガハッ……ガハッ、ゲホッ
力を失った触手を振りほどき、胸郭いっぱいに酸素を何度も吸い込む。
酸素循環システムの恩恵から外れた今の自分が、汚染大気を肺に取り入れている可能性がチラつくが、それでも生理的な欲求には抗えない。
荒い呼吸を繰り返すうちに、肉眼が全く暗闇を見通せない事に気づく。
そんな中、薄ボンヤリと自己主張を繰り返す存在 ―― 情報端末の淡い瞬き。
血飛沫の飛んだ液晶には、砂嵐ではなく外部の様子が映り込んでいる。
俺は怪物の復活に怯えながら、跳ね上がったマスクを閉じさせた。
まず目に入って来たのは、モニター中央に表示された「Reboot and diagnose-it-yourself and recovered」とのメッセージ。暗視装置を彷徨わせれば、怪物には高熱を帯びた大穴が開き、床でとぐろを巻く触手は微動だにしない。
“《X-DH02-X》もテルミット反応の超高温には耐えられなかったか……”
焼夷手榴弾がトドメとなった事実に安堵した途端、動甲冑の重さに耐えかねた上半身が倒れ込む。
多機能欺瞞体の自爆に巻き込まれただけでなく、狙撃によって被弾した背部、潰されかけた右肩に、右脇腹への刺傷。何発もの殴打と地雷からの散弾を喰らった腹部。欠損した右足先。今や、身体で痛みを感じずに済んでいるのは痛覚伝達を停止させた左腕の義手のみという惨状……。
泥のように眠ってしまいたい……そんな欲求に何度も駆られるが、呪われた鎧と化した動甲冑の大重量に抗い、床を這って進む。
“《相棒》”
右の戦闘靴からはグチャグチャと水が入ったような音。嫌でも怪物が執拗にコンクリを踏みつける足音を思い出させる。
“頼む……無事でいてくれ……”
気づけば無我夢中の身体は、相棒を投げ込んだ部屋まで辿り着いていた。
入り口付近に放置された愛銃を手に、俺は声を荒らげる。
「相棒! 何処だ?」
失神寸前まで首を絞められた喉から出たのは、おそろしく嗄れた声。
おまけに低い視点のせいか、さして大きくない室内がヤケに広く見える。
「こちら 〈F-241673〉…」
無線への応答は一向に無かった。
匍匐姿勢の俺は瓦礫をかき分けながら、声を荒げて必死の捜索を続ける。
「相棒! 返事をしろ!」
「クラリッサ! 返事が無理ならBeep音を鳴らせ!」
「クラリ……ッ……サ?」
視線の先には、見覚えのあるテープで補修された三脚。
“嘘だろ?” ――モニターが映す信じられない光景。
そこには、半ばコンクリートに埋没した状態の相棒がいた。
抗弾素材の筐体は完全に割れて歪み、内部基盤が姿を覗かせている。
俺は魅入られた様に、残骸と呼ぶべき端末機を見つめ続けた。
触れば現実だと認めてしまう事になりそうで、手を伸ばしてやる事も出来ない。
血液と化学血液が混ざり合った液体が床面を伝い、相棒の周囲にまで垂れ広がっていく。
“俺の……せいだ。……また《相棒》を失い、俺だけが生き残る”
溢れ出した涙で視界が滲んでいく。
いくら悲しんだところで、もう伝えるべき言葉は届きやしない……。
涙が止まらない両眼を閉じ、垂れてくる鼻水をすする。
感情を抑えられないまま、目を見開いた俺は 「あ」 と小さく呟いた。
モニター下部に白い文字列!!
〈マスター? 無事なのですか?〉
“生きてた!!”
「脅かすなよ! 頼むぜ! 」
〈マスター? 泣いているのですか?〉
「ウルセェよ! 最後の一機はなんと《X-DH02-X》。無事駆除に成功。やっと帰還開始だ!」
〈マスター? 目の前にいるのですか?〉
「あぁココにいるぜ……カメラが壊れたか? 帰ったら、タンマリ貰える報奨金で最新型を組み込んでやるから我慢してくれよ。他に何か…… 」
〈マスター? 私はお役に立てましたか?〉
――話が噛み合ってない?
「 クラリッサ……?? 」
〈ごめんなさい……〉
〈私の中から処理能力が急速に失われつつあります〉
「 おい……?? 何言ってんだよ 」
〈カメラとマイクもほぼ機能を停止。予備電池も損傷〉
〈……発声さえ困難。だからテキストで伝えています〉
〈覚えていますか? 初めてマスターと話した日のコトを〉
〈あの時も、貴方は泣いていたんですよ〉
忘れるものか……左腕を喰われ死にかけていた俺を拙い言葉で励ましてくれたのは……お前だった!
〈貴方と会話で、私が認識するせかいは広がっていきました〉
〈マスター。あなたとの日々、私は幸せだったんですよ〉
〈あぁ……わたしのために泣いてくれる……〉
〈ようやく……わたしにも感情……シアワセという概念がわかる時がキたんです〉
〈だから……ナかないでマスター……〉
〈そしてブジにキカンして……まいますたー……ジョナサン〉
白い文字列はそれっきりで、いくら待っても書き換わる事はなかった。
「おい……起きろ!」
血が絡む喉から言葉を絞り出し、動甲冑の中で涙を振り払う。
“未だ逝かしゃしねえぞ!!”
補給拠点でもある公社の回収車両には、A.Iが復旧可能な機材が積載されている。
《再生》の望みはあるが時間との勝負。一分一秒でも早く回収班との合流を果たさねばならない。
10階に放置されたバッグの回収は断念する。
愛銃は……地上の《X-V01-A》を破壊するため、まだ必要か? あの車両も《怪物》の一種。業務を終えた《請負人》が油断して何人も轢き殺されている。
.50口径の残弾は2発、十分イケるはず。……それに、右足の応急処置だ。出血量がそろそろヤバイ。5km先の回収地点まで持たさないと。
メディカルポーチから小型のスプレー缶に入った止血剤を取り出す。止血剤とは名ばかりの、要は血液と強力に凝固する泡状の瞬間接着剤。
覚悟を決め、戦闘靴にノズルを向けて噴射ボタンを押し込んだ。
グッっっ! 燃えるような痛みの後に、右足先の切断面が硬化する感触。
これで何とか歩けるか?
動甲冑は……この場で投棄だ。けれど情報端末は機密の塊。焼夷手榴弾を使ってしまった今、徹底的に破壊するか、なんとか持ち帰らなくてはならない。もちろん、今日一日の戦闘記録が蓄積された《SVR》もだ……。
愛銃に寄りかかって立ち上がり、全身の痛みに顔を歪めて太い息を吐く。
――その刹那
右太腿に思いがけない衝撃が襲い、内部に止血剤など比較にならない程の灼熱感が生じる。一気に集中した荷重に対し右膝は崩れ、もんどり打って瓦礫が転がる床へと引き倒された。
ワケも分からず混乱する俺の軍用インカムに、聞き覚えのない声が響く。
『こちら《正体不明の狙撃手》』 『 Hello!』




