[33話] 正真正銘の怪物
脂汗が目尻に滲み、何度瞬きしても塩気の刺す痛みは去ろうとしない。
思う存分目を擦りたいが、状況はソレを許してくれそうになかった。
暗視装置が映すのは――突如出現した《怪物》の姿。
装甲部には複数の弾痕。グシャグシャに折れ曲がった片脚で胴部を傾がせ、回廊の壁に衝突を繰り返しながら近づいて来る。
“コイツは……ビル外壁から落下した個体……”
手負いの怪物が発する殺気は尋常でなく、その執念じみた行動に薄ら寒さを感じずにはいられない。
“接近される前に仕留める!”
レーザーサイトの輝点が、体高1.5mに満たない怪物の正中線に重なる。
この射程なら、FMJ弾でも貫通力は必要十分。
片膝をついた膝射で即席の銃座と化した俺は、慎重にトリガーを引き絞る。
Dow!
周囲を圧する発砲音が、回廊という半閉鎖空間で反響。
怪物が後方に吹き飛び、次の瞬間には床に積もった塵埃が視界を覆い隠した。
――命中!
胴部正中を.50口径弾が貫通すれば、《X-DH02-A》は機能を停止する。
経験上それは間違いない事実だったが《請負人》としての習慣に従い、熱源体にレーザーサイトを這わせたまま、ゆっくりと数を数える。
“1、2、3……28、29、30” ――熱源体は完全に沈黙。
“全く脅かせやがって!”
発砲直後で熱を帯びた銃身を下ろした俺は、ようやく安堵の溜息をついた。
もしも怪物が無傷だったなら今頃……頭をかすめたロクでもない妄想を振り払い、終わったことを相棒に告げるべく口を開きかけた途端――
熱源体がブルッと輪郭を震わせ、片手片脚の不格好な動きで立ち上がった。
“嘘だろ……正中線を外した? この距離で?”
膝射姿勢にある背筋に寒いモノが走る。
“とにかく次弾を叩き込むしかない!”
薄れゆく塵埃を割って、再び迫りだした怪物。
その上下左右に絶えず揺れ動く胴部への発砲タイミングを見極める。
「頼むぜ……」 祈りにも似た呟きと同時に、俺はトリガーを引き絞った。
Dow!
胴部装甲に着弾した証である火花が飛び散る。
盛大に舞い上がった塵埃でIRレーザーが減衰を繰り返す中、熱源体が膝から勢いよく崩れ落ちて停止。
回廊に張り詰めていた圧迫感が、急速に緩んでいく。
「やったか……?」 カラカラに渇いた喉から掠れた声が漏れた。
これで残弾は計3発。もうマガジンポーチに予備弾倉は残っていない。
「だが今度こそ……業務完了」
そう小声で呟くと、強張るほどの力で握り込んでいた手指を曲げ伸ばしさせ、汗が滲んだ目を思う存分瞬かせる。
終わったという安堵よりも、こうも尋常ならざる事態が続く今日一日への怨嗟の方がデカい。
「クラリッサ! 今度こそ終わ……
「GYYYYYYYYYYYYyyyyyyyyYYYYYYYYYyyyyyyrrrrrRRRRRRRR!!!!」
16階のフロア全体に響き渡る機械音声の絶叫。
完全に虚を衝かれて俺は酷く狼狽しつつも、周囲を見回す。
――怪物は擱座した姿勢のままでいた。
しかし、胴部に穿たれた弾痕だけでなく、酷く折れ曲がり人工筋肉が露出する右脚からも粘性の高い泡が噴き出すのを微光暗視が捉える。
余りに異様な光景。慌ただしく銃口を突きつけるが理解が追いつかない。
初弾命中時の楽観が消え去ったのを感じながら、追撃が必要との結論だけが強く頭に浮かぶ。
怪物が左右の脚で、ゆらりと立ち上がった。
“まさか!?” 全力で逃げ出したくなる衝動に唇を噛み締めて耐え、中途半端な膝射でトリガーを引く。
Dow!
10mを切る至近距離で放たれた銃弾は三度胴部を貫通したが、怪物は着弾で姿勢を崩した後に平然と前進を再開する。
苛立ちと焦り。脳髄が沸騰するかのような焦燥感の中で、元の外観とはかけ離れた右脚の多重関節を揺らして怪物が停止。
何を思ったのか、ヒトで言えば左掌に相当する部位を俺へと向けた。
――刹那、モニターに砂嵐が走る。
ノイズは指数関数的に激しさを増し、そのまま視界を占拠するだけでなく、低高音入り混じった大音量の雑音までがインカムから溢れ出した。
まさか……指向性電子攻撃!?
違う! コイツは《X-DH02-A》なんかじゃない!
《X-DH02-X》 ―― 通称 HobGOBLIN。
俺が知る限り、コイツはそう呼ばれる正真正銘の怪物だった。




