[32話] 撤収
《多機能欺瞞体》を自爆させた16階の一室は、今や部屋としての体裁をなしていない。俺から僅かに距離を空けて床の大部分が消失し、ワンフロア下の光景が広がっていた。
散乱する千切れた四肢……断面からは化学血液を漏らし痙攣する人工筋肉と、曲がった金属骨格が覗く。そして、床面だった分厚い鉄筋コンクリートに埋もれたまま炎を上げる残骸……。
焼夷徹甲弾が装甲を衝き破り、着弾衝撃で発火した焼夷剤が《怪物》を内側から焼き尽くそうとしていた。
“……また怪物共を屠り……また生き残った”
眼下で燃え盛る怪物と1km先のビル火災……対となる陰鬱とした炎。
“終わったんだ……”
崩落を免れた悪運に複雑な感慨を抱くが、いつまでもこうして呆けているワケにはいかない。
耳障りな電波雑音が聞こえ始めたのを契機に、ノロノロとした動作で重い尻を上げる――途端、酷い悪寒が駆け巡り、朝食すら摂っていない胃が悲鳴を上げた。
もたつく手で動甲冑を跳ね上げ、一も二もなく盛大に吐瀉物をぶち撒ける。
冷却ファンの騒音を顔面に浴びて吐くだけ吐いた後に、精液と揶揄される怪物の《白い化学血液》が焦げる悪臭を嗅ぎ取ってしまい、さらなる嘔吐感で胃が裏返る勢いで吐き続けた。
呻き声と共に吐き出される吐瀉物からは、濃厚な血の匂い。
“ッ……爆発で内臓を……ヤッちまったか……?”
満足に程遠い呼吸のまま、空薬莢が散らばる床から顔を持ち上げようとして、吐瀉物以外に周囲を汚す存在に気づく。
湯気を立てる低粘性の液体が、両膝をつく身体の下から広がろうとしていた。
戸惑いつつも情報端末に視線を落とせば、化学血液の大量漏出を意味する警告が点滅している。漏出箇所多数につき液残量は早くも3/4程度、人工筋肉の機能閉鎖では止血が追いつかず応急処置自体が不可能……おそらく残り1時間足らずで、動甲冑は鈍重きわまりない只の対NBC防護服に変わり果てる。
その事実に、涙と鼻水で汚れた頬が小さく痙攣した。
嘔吐した姿勢で、外壁の亀裂から廃墟の街を見据える。
“回収刻限は2000、そして現在時刻は1823。行かないと……”
生臭く粘つく口を心行くまで濯ぎたいという欲求を抑え込み、ベットリと濡れたグローブで動甲冑を乱暴に閉じる。
安全装置を掛けた愛銃を杖代わりに立ち上がった俺は、よろめきながら《相棒》の元へ歩きだした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
普段の倍近い時間を掛け、相棒を避難させた部屋に足を踏み入れる。
一方その相棒はといえば、動甲冑の目で戦闘を覗いていた事から分かる通り、休眠せずにいるのは間違いなかった。
「Ms.Clarissa、こちら 〈F-241673〉。寝てない悪いA.Iは誰だ?」
動甲冑の下で浮かんだ曖昧な笑みを隠して、俺は無線口調で話しかける。
「My Master!! △☓□▽◆☆▲◇!!」
相棒が盛んに喋りかけて来るが、珍しく早口な上に連射の耳鳴りが聞き取りの邪魔をする。
「悪ぃ、上手く聞こえない」
耳を指し示すジェスチャーを交えて口を挟むと同時に、視界を白いテキストが埋め尽くした。まるで奔流のような文字列のスクロールに目が追いつかない。
「落ち着けって! どうした?」
やっと勢いの衰えた文字列を判読すれば、〈マスターが無事に生きていて本当に良かった〉のメッセージで埋め尽くされている。
そこに、新たな文字列が表示された。
〈もうマスターには会えないんだって!! 私は独りぼっちになるって!!〉
不格好な補修がなされた三脚の前に跪き、タバコ箱程の大きさでしかない筐体を覗き込む。
「約束したろ? 俺は約束を守る男なんだって」
さも心外そうなおどけた口調で応える。多少、良心が痛むが結果オーライだ。
「業務完了。一緒に家に帰るぞ! 」
湿っぽい雰囲気を締め括るように、この場で交わした約束を俺は再び口にする。
「回収班と合流する。《相棒》、報告があれば頼む」
〈はい、マスター!〉
〈先ずは、謎の爆発音により私のソナー機能が一時的にダウン中です〉
〈爆発音以降、動甲冑とのリンクに断続的な接続エラーが頻発。通信系の装置故障が強く疑われます〉
〈加えて電波状況が徐々に悪化しつつあります。原因は特定できませんが、近距離での隊内無線にも相当の減衰が見られるため注意が必要かと〉
電波障害は、おそらく北米全土で頻発する《磁気嵐》の所為か? 謎の爆発音や動甲冑の故障原因は言わずもがな……。
「了解だ……」
報告から現状に当たりをつけて、転がったポーチ類をタクティカルベストに次々差し込む。
「ところで、あと何秒なんだ?」
増加装甲は投棄することに決めた俺は、咎めるような声で深睡までの残時間を問いかけた。
再度確認した異常発熱は進行している。このまま急速に増悪する可能性もゼロでないため、さっさと主電池を物理遮断するに越したことはない。
〈残り173秒です!!〉 間髪入れず流れたのは、ご機嫌なBeep音。
“駄目だコイツ、絶対言うこと聞く気無ぇわ……”
思わず苦笑が漏れるが、愛銃のキャリングハンドルを右手に、三脚を左手に掴ませて立ち上がる。
「分かったよ……残り時間いっぱい、撤収サポート頼めるか?」
〈承りました!!〉の文字が点滅。
血で凝固した口角が自然と緩む。
ようやく気持ちに余裕が生まれた俺は、ビルからの撤収プランを検討し始めた。
残る敵性勢力は……地上のトランスポーターのみ。よってビル内は安全圏と判断してもよいだろう。
爆圧に曝された身体と両手が塞がっている事を考慮すれば、エレベーターに垂らした長縄を使っての懸垂下降は半自殺行為。となれば、地階への移動手段は《西側階段》《東側非常階段》の二択だが、非常階段の脆さは思わぬトラブルを招きかねない……消去法で残るのは《西側階段》。
それに、機銃掃射でムチャクチャにされた16階はともかく、10階の物資は回収すべきか?
呆れるほど大雑把なプランだが、長居は無用。
ギシギシと軋む身体に鞭を打って移動を開始する。
「帰還したら真っ先に、俺もお前も医者に診てもらわないとな」
そんな雑談を口にして回廊へと踏み出したタイミングで、何か妙な音が聞こえた気がした。
――強いて例えるなら、サイクルの遅い削岩機じみた連続音。
弛緩していた表情が強張るのを自覚しながら、元いた部屋へと相棒を滑らす様にして投げ込む。相棒が抗議のBeep音を上げて遠ざかって行くが、相手にしている余裕など無かった。
よりによって、音の発生源は《西側階段》。
階段特有の反響を伴い、正体不明の打音が16階の回廊全体にまで響き出した。
俺は回廊に右半身だけを曝して膝射姿勢を取り、愛銃のセレクターレバーをSEMIに切り替えて、IRレーザーサイトを再照射させる。
残弾は弾倉内の通常弾4発と装填済み1発の計5発。万全とは言い難いが、これで保険の準備は整った。
ジッと息を押し殺す中、打音が唐突に止む。
軍用インカムに耳を澄ますが、聞こえるのは強制冷却器からの騒音だけ。
そのまま5秒、10秒……と時間だけが経過していく。
“一体何だってんだ?”
俺は小さく舌打ちし、冷却完了までマトモにパワーアシストが働かない動甲冑の両腕を降ろさせた――次の瞬間
「 GRRRRRRRRrrrrrrrrrrYYYYYYyyyyyy!!! 」
聞く者が耳を塞ぎたくなる様な咆哮に、視界が揺らぐ感覚。
背中と首筋に脂汗が吹き出し、血で粘つく口腔内がカラカラに渇いていく。
“こういうのは……映画の中だけにしてくれ”
だが願いは空しく、グシャグシャに潰れ折れ曲がった右手脚を引き摺った《怪物》が姿を現す――。
俄然騒がしさを増した回廊。俺の口から、精一杯の虚勢を張った呟きが零れる。
「《相棒》……招かざるお客さんだ」




