[29話] Over-Boost
“……もう駄目だ”
精神の平衡が崩れ、思考を恐怖が埋め尽くそうとしている。
感覚の消えた両手は脳からの指示を拒否し、小刻みに銃口を震わす。
“駄目だ。もう助からない……”
予想されていた結末を受け入れた方が楽だという諦観。
――そこに突如として、機械音声が割り込んだ。
『My master! Shoot right now !!(マスター 撃って!!)』
恐慌状態に陥っていた俺は、《相棒》の叫び声で我へと返る。
しかも気づけば、浮いた右足先にまで《怪物》の金属爪が迫っていた。
危うく片膝を抱え込み、折れよとばかりの強引さで引き金を引き絞る。
Dow! ロクに照準を定めないままの発砲。
不安定な体勢で大反動を受けとめた身体が、ゆっくり背中から倒れていく――
“ヤバイ……これで完全に攻守が入れ替わった……”
接近されたが最後、全長1.5m近い愛銃は鈍器にしかならない。
『My master! Get away now !!(逃げて!!)』 インカムに再びの悲鳴。
“逃げるって何処へ?” “このまま嬲り殺しにされるのか?”
“ったく、何でお前はスリープに入ってないんだ?”
“拳銃でどうにかなる相手じゃない!” “動甲冑のカメラと同期していたのか?”
“倒すべき《怪物》は三体” “落下から愛銃を庇わないと……”
雑多な思いが走馬灯のように駆け巡った挙げ句、衝突音と共に室内側へと落下。
夢中で起き上がろうと彷徨わせた左手が、偶然何かを掴み取った。
!! ――ダミーバルーンの残骸?
次の瞬間、一発勝負の反撃プランが頭をよぎる。
発作的に覚悟を決めた俺が口にするのは、相棒への応答ではなく、短いラテン語の格言。
「Nuncaut numquam」
誤動作を防ぐための暗証コードを一字一句違えず唱えたことで、ジェネラル・ダイナミクス社製 動甲冑 [Allison Model.2129]が出力6割増の《オーバーブースト》状態に移行する。
全身に配置された人工筋肉が装着者の意志に関係なく、異音を立てて急膨張。情報端末の外枠部が警戒色で点滅し、一際大きく表示された稼働限界のカウントダウンは 00:18:00 からスタートを切った――
愛銃を抱えて予備動作無しで跳ね起きる動甲冑。
そのまま《オーバーブースト》の殺人的な加速に身を委ねた俺は、ラバー材質のダミーバルーンを引き摺りながらの遁走を開始する。
体感的には普段の倍以上のパワーアシスト。後日酷い筋肉痛に苦しむ事になるが、そんな悩みは生き残れたらの話だ。
突如、背後から途方もないプレッシャー。
振り返るまでもなく後方警戒カメラに映るのは、ビル内部に侵入を果たした怪物の姿。更に続く二体が窓枠に爪を喰い込ませて雪崩れ込もうとしている。
「来やがれ《怪物共》!」
そう叫んだ俺は左手のダミーバルーンを振り解き、動甲冑を一層加速させる。
後方カメラでは怪物三体が大型の肉食獣のような動きで俺を猛追。
状況は壮絶な鬼ごっこに似た様相を呈する。
アッと言う間に一塊となった怪物共が部屋の中央部へと差し掛かった。
“今だ!”
回廊まで辿り着けていない俺自身も確実に巻き込まれるが、このタイミングを逃すワケにはいかない。一瞬の躊躇も許されない中、俺はダミーバルーンと繋がる《多機能欺瞞体》に最大威力で自爆するよう命令を送信する。
“南無三!”
短く心中で叫び終わると同時に、走る背後から閃光と爆音が襲いかかった――。




