[26話] 嘘
“おっと! 戦果で悦に入れば死神は囁くってな”
放心状態で廃墟を眺めていた俺は伏射姿勢を解くと、安全装置を掛けた《愛銃》と有線接続された《相棒》を掴んで、陣地変換を図る。
信管設定がシビアなエアバースト弾ゆえに連続射撃を行ったが、大口径ライフルの発砲はとにかく目立つため、射つ毎に移動するのが原則なのだ。
移動先は炎上するビルを監視できる場所が第一条件――標的を間違いなく無力化できたかの判断には今暫くの時間が必要。爆炎に包まれた《正体不明の狙撃手》が無事だとは到底思えないが、用心するに越したことはないだろう。
背中を丸めた姿勢で、俺は回廊へ駆け出す。
相棒がアレコレ話しかけて来るが、轟音をカットする聴力保護が働いてなおエコーがかかった耳では上手く聞き取れない。
仕方なしに足を止め、有線通信に向かって声を張り上げる。
「耳をヤラレてる。大きな声でもう一度頼む!」
気を利かしたらしい再通信は、音声ではなく文字。
――ガソリンエンジン音が途絶しました
その意味を脳が理解した途端、全身を戦慄が駆け抜けた。
冷や汗が一気に噴き出す中、やっとの思いで呻き声を絞り出す。
「《魔女の眼》を落とせ、今すぐにだ!」
荒い息遣いで《魔女の眼》と視覚を共有させれば、地上56mから自由落下する360°カメラの映像。
地面に激突するまでの14秒間に、ビル外壁に爪を立てる《怪物》の姿を捉えて、2基目の《魔女の眼》は役目を終えた。
“最悪だ!”
No-LINK の文字を睨みながら、声にならない悲鳴を呑み込む。
公社の教本に従うなら、《X-DH02-A》の対人探知範囲は球半径100m。
つまり、高さ70mの駅ビル内唯一の人間である俺は完全補足済み。そう考えるのが妥当であろう。
纏まらない頭に浮かんだ数少ない戦術行動を実施すべく、俺は回廊を挟んだ一室へと飛び込んだ。
ダクトテープが巻かれた三脚を自立させて、正面からゆっくり話しかける。
「《正体不明の狙撃手》を倒せたのは間違いなく、お前のおかげ……」
「だが、これから《怪物》との近接戦闘が想定される以上、此処でお留守番だ」
「ここまでだ《相棒》……このまま休眠に入れ」
〈断固お断りします!〉
〈まだ15分は経過していません。私にも支援できるコトがあるハズです〉
〈どうか……〉
モニターに次々と表示されるメッセージ。
「……頑固な奴だ……お前は。ホント誰に似たんだか?」
大袈裟に肩を竦めてみせるが、口調を改めて正直な気持ちを口にする。
「ありがとう、その気持ちだけ充分だ。感謝してるぜ、クラリッサ」
俺は少しでも身軽にと、不要なポーチ類、臑部と前腕部に装着された増加装甲を次々に投げ捨ていく。
だが、最後に残った左腕の増加装甲を取り外す段になって、盛んにフォーカス音を立てるカメラと視線が合ってしまった。
閉鎖空間であるビル内に逃げ場は無し、バリケードを築き籠城戦に持ち込もうにも、水や食料や予備弾薬といった物資は機銃掃射で残骸に成り果てた。
《怪物》の対人センサーを欺瞞する手法は未だ確立されておらず、上手くビル外に脱出できたとしても体力差から最終的には追いつかれてしまう。
元より《怪物》相手の白兵戦自体が自殺行為。
それらに加えて相手は4体……これで生還を期待できる奴は楽観主義者ではなく、ただの大馬鹿野郎だ。遂に進退窮まったか――
『…My master?』
知らず震え始めた指か、センサースーツによって心拍数の上昇に気づかれたのか、疑問形で声がかかる。
結局、震える指で外せなかった増加装甲は装着したままに決め、不安や恐怖や未練といった感情に踏ん切りをつけるべく、開いた左掌を思い切り握り締める。
パワーアシストを受けた拳からは、ギュリッと思いのほか大きな音が鳴った。
そのまま跪いた俺は、相棒に接続された通信ケーブルに手をかける。
「《相棒》、一緒に家に帰るぞ」
『…Promise me.(約束です)』
「あぁ、約束だ」
淀みなく答えて、ケーブルを引き抜く。
“全く……A.I相手に嘘をつくのに良心の呵責を感じるワケがない……今の今までそう思ってたんだが”
精一杯の虚勢が浮かんだ素顔ではなく、動甲冑越しの会話だったことを短く感謝し、暗視装置に火を入れる。
既にビル内部は、暗闇と言って差し支えない状況。
単色の暗視映像はいつもに増して寒々としており、待ち構える悲劇的な未来を否が応でも想像させるモノだった。
俺にもしもの場合、ユーティリティーポーチ内の救難無線標識が明日より2週間に亘って遭難信号を発信する。
遭難者や救助隊といった人肉目当ての《怪物》を呼び寄せるため廃れてしまった装備だが、A.Iである相棒にソレは問題にならない。きっと、公社の調査チームによって相棒は無事回収されるだろう。
立ち上がって踵を返す。もう振り返ることもない。
“タダで殺られると思うなよ!!”
膨れ上がった闘争心に凶相が浮かぶのを自覚する――俺は愛銃を片手に、新たな鉄火場へと走り出した。




