[24話] 982m 中編
「狙撃手の最大の敵は狙撃手」
この格言は狙撃兵という兵科の出現から200年近くが経過した今も廃れる事なく、《カウンタースナイプ》は敵狙撃手を排除するための戦術オプションとして確立している。
そのカウンタースナイプの真っ最中に愚痴るのもどうかと思うが…….50口径対物ライフルを原型とする俺の愛銃は、長距離対人狙撃に最適な火器ではなく、むしろ不向きとすら言える。
確かにカタログスペック上の有効射程は2000m超とされるが、それはヒトよりも大きな車両等に対しての話。世間一般のイメージと違い、対物ライフルの命中精度は然程高くないのだ。
実データを挙げるなら、長距離狙撃弾.338ラプアマグナムを使用する狙撃銃の命中精度は0.8MOA(1500mで着弾円直径355mm)程度。
対して、一般的な対物ライフルは2.5MOA(1500mで着弾円直径1092mm)程度と大きく劣る。
つまり1500m先をどれだけ慎重に狙い撃っても、人体で最大表面積を持つ胴部でさえ命中しない可能性が大……これが対物ライフルの限界であり現実。
そういった事情は、徹底改修により命中精度が1.5MOA(1500mで着弾円直径656mm)まで引き上げられた俺の愛銃であっても基本変わらない。982m先と言えども頭部狙撃は望むべくもなく、運が悪けりゃ標的の胴部を外す事だって有り得る。それ故に《試作弾薬》を……
――そこまで考えた俺の耳に、控え目ながら耳障りな通知音。
直後、十字線が6階の標的から4階まで下降、点滅から点灯に切り変わった。
十字線の自動補正 ―― 《F.C.U》が重力だけでなく、気温と湿度と高度によって決定される大気密度、弾頭の偏流、コリオリ力といった影響因子を含めた弾道計算を終えたらしい。
その正確無比な計算結果によれば、着弾落差は-495cm(≒5目盛り)。
つまり982m先に命中させるには、5m近く上方を狙わなければならない(=予め十字線を5m分下げて再照準を行えばよい)。
記憶にある愛銃の弾道曲線表から手早く概算値を求め、自動補正との間に大きな差異がないことを確認。《試作弾薬》制御アプリに一瞥を投げ、引き量の長いチャージングハンドルをゆっくり確実に後退させる。
引ききったハンドルは開放されると前進し、ガシャ! と重い金属音を立てた。
“初弾装填完了”
俺は大きくズレた狙点を再び標的に重ね、意識的な瞬きをニ回繰り返す。
目を離せない状況だからこそ、眼球が乾燥しないよう配慮しなくてはならない。
若干滲んだ視野が潤いを取り戻し、重機関銃の背後に立つ標的が何かを操作している様子を捉えた。
“屋内に逃げ込まれると厄介だ……その前に”
トロ火にも似た小さな焦燥感。
俺は綻びを繕うように一度だけ深呼吸を行い、相棒へと問いかける。
「風速は?」
狙撃において最大の影響因子である風速と風向きを測定するのは《観測手》の役割。風速計が手元に無い今、《魔女の眼》から測定子を伸ばして得られたデータを相棒が返す。
『…Winds 12 mph…W to E.(風速12マイル 西から東方向)』
“西から東……つまり向かって右から左に風速12マイル(19.3km/h)”
やはり高層階だけに結構な風が吹いており、このままだと着弾点は左へ逸れる。
命中させるには横方向の照準修正が不可欠だが、そのためには標的近くの風速も知る必要がある。1km近い長射程ともなれば、銃弾が到達するまでに複数の風の影響を受ける可能性まで考慮しないと、到底命中は期待できないからだ。
薄暮も終わりかけの時間、六階建てのビルに絡まった蔦や葉の揺れるのが辛うじて視認できる。
「見えるか? 《相棒》」
『…Could you…please be quiet?(お静かに願えますか)』
“……はい。了解……”
そのまま口を噤んだ俺は、《相棒》を信じて十字線に意識を戻す。
10秒近い沈黙が続いての応答。
『…Winds around the target, 4 mph…E to W.(標的付近の風速4マイル 東から西方向)』
空気中の埃の動きを三次元的に解析するレーザー風速計は、測距計と同様の理由で封止中。風速計の恩恵が及ばない以上、植物の揺れや砂埃といった自然現象から風量を類推する他ない。
慎重な性格の相棒が短い時間で、さぞ悩んだであろう事は察しがつく。
しかも、駅ビルとは真逆に風が吹いているらしい。
可能ならば中間点のデータも知りたいが、現状では諦めるしかないだろう。
着弾点がズレる可能性は避けられないが、極端な話どれだけ綿密に測定を行っても、発砲した途端に突風が吹くことだってあり得るのだ。
『…Windage is Right 0.9Mils.(風による補正量 右に0.9ミル) 』
右へ0.9目盛り――発射点と標的付近の合成風力から、相棒が導き出した風に対する修正量。
風は刻々と変化するため、即応できるよう横方向に十字線をズラして照準修正。
呼吸と心拍に乱れがないか最終確認しつつ、左掌を銃床下部に巻き込んだ三点保持で発砲時の大反動に備える。
あくまで上半身の筋肉をリラックスさせたまま、母指で安全装置をソッと下げ、レバーのカチリという音と共に愛銃は発砲可能状態へ。
緩慢とも言える動きで、人差し指を引き金に添わせる。
――これで全ての準備が整った。
俺は今から《正体不明の狙撃手》の無力化、言い換えれば殺人そのものを行う。
罪深さを感じるかと聞かれれば、答えは否だ。
互いに武器を持った者同士が既に交戦中。殺るか殺られるかの選択肢ならば、行使可能な暴力を振るうのに何の問題があろうか?
“ヒトは皆、殺戮に長けた類人猿の末裔……”
州軍時代に培われた価値観は、生物にとって最大の禁忌とされる同族殺しに何ら躊躇を示すことはない。
「いつでも……」
小声でそう呟き、相棒からの射撃号令を静かに持つ。
もちろん左眼は突発事態に対処できるよう、瞑らず開いたままだ。
『…Fire…Fire…Fire…』
少しの時間を置いて、インカムに無機質な機械音声が響いた。




