[24話] 982m 前編
久々の狙撃を行うに相応しい状態へと、肉体と精神を馴染ませていく。
その手順は既に始まっていた――
両脚を大きく開いて、身体の重心は臍の辺り。愛銃のゴツい銃床を右肩に押し付け、銃把を右掌で握り込むが、親指だけは添える程度。
そのまま上半身の緊張を最小限に抑え、呼吸は深過ぎず浅すぎないストロークを維持しリズムを一定に保つ。荒い呼吸や緊張による心拍動悸の影響は、遠距離射撃において無視できず、真っ先に除外すべき要因だからだ。
《R.P.D》の恩恵を受け、覗き込むという行為に縛られる事なく右視野をx80倍に最大ズームさせた俺は、視野径4.3mの限られた範囲に目を凝らす。
目測で1km先――ダミーバルーンを餌に捕捉した《正体不明の狙撃手》は、三脚に据え付けられた重機関銃(それも大型照準器が装着された狙撃仕様)のグリップハンドルを握ったまま離れようとしない。
如何にも撃つ気マンマンといった風情。
“一体どれだけの予備弾薬を用意してやがる……”
余りなまでの物量差。万が一、居場所がバレての撃ち合いになったら勝ち筋は無いに等しい。
“標的が着込んでいるのは……黒ずくめの動甲冑?”
薄暮時間も終わろうとする中では、細部の識別は困難。それでも重機関銃と比較した体格は、ガッシリとした成人男性を思わせる。
いっそ《F.C.U》を暗視モードに切り替えて……とも考えるが、暗視装置のモノクロ視野で立体感を喪失する可能性を思えば、躊躇せざるを得ない。
どうにも判断の難しい状況。
結局、俺は光量の足りない中での監視を続行する。
“《観測手》は何処だ?”
《正体不明の狙撃手》が陣取るのは最上階6階の角部屋。
屋上を含めた上下左右を十字線でなぞるが、狙撃手とペアを組む《観測手》の姿が見えない。
“やはり一人? 例の《蛾》に肩代わりさせているのか?”
さらに奇妙なのが、狙撃手自身と銃器を曝け出している点だ。
通常、長期間潜伏するのであれば、スナイパーシェイド(外からは暗色、反対側からは透けて見える欺瞞シート)を吊して、屋内から狙撃可能、外部からは視認困難な拠点を構築するのが定石のはずだが……。
次々と浮かぶ疑問。しかも正解が提示されないため、視覚情報だけを頼りに手早く合理的な解釈を行う必要がある。
《正体不明の狙撃手》の精密射撃能力は本物……しかし現状を見るに、ヤツはスナイパースクールで偵察・監視・追跡・偽装・敵地浸透といった様々な技術を修得した11B-B4ではなく、俺と同じく《マークスマン》 ―― 遠射に秀でた11Bの可能性が高いか?
“いや……スナイパースクールから脱落した経歴の持ち主なのかも……”
各階層をつぶさに観察するが第三者の気配は皆無。動甲冑と重機関銃を除けば、明確な熱源反応も無し。《観測手》どころか、機関銃の運用を補助する《弾薬手》すら不在。
そうした事実が、狙撃手は単独であろうという予想を確信に変える。
“これ以上の監視は不要”
右視野をx45倍(1km先での視直径23.5m)までズームアウト。
高すぎるスコープ倍率は標的周囲の変化を見落とす原因になる上、再照準に手間取るため推奨されない。反動の大きい大口径ライフルの場合は特にだ。
「《相棒》、準備はいいか?」
『…Yes、Master!』
最大ズームに比べて1/6サイズまで縮んだ動甲冑に狙点を重ねつつ、《観測手》である相棒と精密射撃に必要な諸元を相互確認しあう。
「距離は?」 『…982 Meters』
《F.C.U》から赤外線レーザー測距計を立ち上げれば精密射程を実測可能だが、標的が赤外線域の可視化デバイス(暗視装置等)を作動させていれば、コチラの位置や射撃意図が完全に露見したテレフォンパンチとなり得る。
そのため測距計は用いず、市街図と航空写真から算出した距離を使用。
「現在地の高度は?」 『…55.8 Meters』
「地表標高は?」 『…181 Meters…』
標的までの水平射程(982m)、ビル16階の高度(地表から55.8m)、地表標高(181m)の各パラメータを順次入力。
駅ビル16階から982m先のビルの6階を狙うため、僅かに俯角気味の撃ち下ろし角-2°……三角関数で算出される高低差は-36.3m。
加えて、このデトロイト市はセントクレア湖の近くに位置し標高が低いため、空気抵抗も弾道に影響を与える因子。
検知された気温、湿度、気圧、緯度経度といったパラメータの自動入力を以て、インテリジェンス型照準器《F.C.U》による弾道計算が開始される――
息を潜めて982m先を狙う俺の右視界で、十字線が仄暗く点滅し始めた。




