Prologue - Wisconsin 2128
June 4th, 2128 東部標準時(UTC-5) 11:24am
『…ザッ………撤…だ……』
遮蔽コンクリートのせいか、電波状態はすこぶる悪い。
俺は耳障りな雑音に顔をしかめる。
視界に映るのは、向かって右手に碧い水をたたえるミシガン湖、真正面には調査対象である原子炉建屋の威容。空爆の痕跡が痛々しく残る、廃墟特有の静寂さが支配する空間 ―― 旧ウィスコンシン州 ポイントビーチ原子力発電所。
その敷地内で撤退路を確保する俺の耳に、悲鳴とも歓声ともつかない無線が飛び込んで来たのだ。
定時連絡には早過ぎる。考えられるのはイレギュラーの発生。
ひょっとすると首尾よく核燃料の所在を掴んだのでは? と淡い期待を抱くが、建屋に穿たれた侵入孔から調査チームの三人が次々這い出してきた。
おまけに調査チームに続くのは、汎用機関銃を抱えた機関銃手だけ。もう一人の相棒である擲弾手の姿が見えない。
必死でコチラに走り寄る小集団が、たちまち大きさを増す。
「どうした? 何があった?!」 と叫ぶ俺に対し、無線を返すのが億劫なほど息が上がっているのだろう、殿を走る機関銃手が大きく首を振り敵の出現を意味するハンドサインを返した。
“まさか建屋にも《怪物》が?”
事前偵察によれば、怪物は湖畔を徘徊する二体だけだった筈。完全に想定外だ。
すかさず愛銃構えて応戦体勢を取るが、照準器が示す射程243m先 ―― 侵入孔に新たな動きが無いまま四人が雪崩れ込んで来る。
揃って肥満気味の調査チームは倒れ込み、息も絶え絶えの様子。
だが、俺はそれに構わず怒声を浴びせる。
「止まるな! 走れ!」
のろのろと顔を上げる、調査チームの面々。
「3km先の回収車両まで、湖岸道路を南に向かって一目散に逃げろ!」
「喰われて死にたいか!! 走れ!!」
簡易防護服姿の三人が転げるような勢いで走り去って行く。その姿は滑稽に映るが、彼らを笑うことは出来ない。誰だって命惜しさに逃げ出す状況。
しかし、俺達《請負人》に撤退は許されない。
遅滞戦闘 ―― 彼らが無事に逃げ出すまでの時間を稼がなくては!
『《怪物》は5体!』
無理やり息を整えたらしい機関銃手のダミ声がインカムに響く。
『囲まれたと思ったらアッという間だ……擲弾手は……喰われた』
薄々予想していたとは言え、相棒が死んだという事実は到底受け入れがたい。
それでもチーム内の最大火力たる40mmグレネードランチャーが喪失した事実に、口腔が一気に渇き出す。
『敵討ちと言いたいところだが、10分だ! 10分稼いだら一目散に逃げるぞ!』
そう言い放った機関銃手が距離を開け、コンクリート塊を掩体にした伏射姿勢で陣取った。
”成人男性のランニングペースが1kmにつき5分……妥当な線か?”
「了解!」 と、カラカラに乾いた舌で短く返信。
歪にそそり立つH鋼を背にして、ありったけの予備弾倉を地面に並べ終わった途端、汎用機関銃の軽快な連射音。
BRA! TA! TA! TA! TA! TA! TA! TA!
6.8mmCC弾 の火線が侵入孔から這い出した怪物を捉え、その行き足が鈍る。
Clack!
引き金を引くと同時に愛銃が轟音と火を噴き、マズルエナジー3,500Jの7.62mmNATO弾が怪物の装甲化されていない脚部を砕いた。
派手に転倒した怪物を無視し、次に連射を浴びる怪物に照準を合わせて、またも膝撃ち。都合2体の怪物が敷地内に転がる。
汎用機関銃の発射速度は心強いが、それだけに弾薬消費も早く、また6.8mm弾の威力不足から《怪物》への致命傷には成り得ない。そして、致命傷を与えられないのは俺の愛銃も同じ。
機関銃手が予備を含めて100発ベルト3本、俺が20連弾倉7本を撃ち切れば全てが終わりだ。
!! ――侵入孔から6体目の怪物!!
『ミシガン湖の底に、ヤツらの神殿があるのかもな』
止まない連射音に混じって、機関銃手から苦し紛れの軽口。
「全然、笑えねぇよ」
俺は冷静さを装ってマイクに吐き捨てると、意識を再び射撃に集中させる。
Clack!
発砲音に合わせて勢いよく排莢された空薬莢が、視野の片隅を舞う。
――まだ1分も経っていない。
全身にうっすらと藻を纏った《怪物》の数は、なおも増え続けた……。