数字にとりつかれた僕たちがたどり着く場所とは
僕たちは数字にとりつかれて生活している。
偏差値、年収、貯金残高、SNSのフォロワー数、年齢、身長、体重、血圧etc。
数字は、単純で明白だから。
偏差値が高い学生は、自分より偏差値が低い学生を心のどこかで見下し、自分よりさらに偏差値が高い学生に劣等感を抱く。
SNSの「いいね」の数が毎回100件を超える人は、毎回2~3件しかつかない人を(以下同上)
年収が1000万円の人は、どこかで年収200万円の人を(以下同上)。
20代前半の女性は、どこかで30代以上の女性を(以下同上)。
数字にとりつかれた僕らは、より良い数字を求めることだけに執着し、疲れ果ててしまう。
数字は単純で明白であるがゆえに、自分の数字と他者の数字を容易に比較でき、優劣がはっきりとする。
自分の数字を高めることで、周囲と比較したときに自己の優越を実感し、安心できる。
しかし、数字は単純で明白であるが、単なる数字に過ぎない。
他者との数字の比較に基づく安心や満足感は虚構に過ぎない。
最終的に、数字にとりつかれた僕たちがたどり着く場所とは、はりぼての虚構である。
逆に数値化できないものは、なんだろうか。ざっくりと考えてみた。
①周囲からの愛情(家族や友人からどれだけの愛情を注がれてきたか、注がれているか)
②人生経験(旅行の経験、困難に立ち向かい克服した経験、達成感を感じた経験、おいしいものを食べた経験、好きな人に好きと言ってもらえた経験)
③人との繋がり(一部SNSで数値化されているが、筆者はSNS上の友達数は基本的に虚構であるものと考える。)
これらのものを大切にしていけば、数字に疲れ果てたときにいきなり自殺するとか、新興宗教にのめりこむとか極端な方向にいかないはずである。
今の時代、数字に背を向けてしまったら、社会では生きていけない。
さりとて、数字のみに執着して生きていっても死ぬときに残るのは数字だけ。
さて、僕たちはどのようにこの時代を生きていこうか。