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僕の先生の話  作者: 廣田 廉
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学校

 先生は、周りの目を気にしない人だった。だから平気で着物や下駄なんかを履いて歩けるのだろうけれども、とにかくそういった人だった。

 先生にそのことを聞いたら、「だってばかばかしいんだもの」と答えが返ってきた。

「いちいちそんなの気にしてたら生きていけないじゃないか。こんな出る釘は打たれるような国でも、ある程度は出る釘になっといたほうが楽しく暮らせるし、ストレスなんかが溜まって過労死するようなこともないわけであってだね。君だってそうだろう。君が学校に行かないのだって、ストレスを溜めないためだろう。でも俺はそりゃあ違うと思うのさ。例え学校で踏みにじられても、それでも『僕は僕なんだ』って言ってる方がよほど楽だし、ストレスも溜まらない。逆にずっと家に籠っててご覧、そのことばかりが頭をよぎって、夜も眠れやしない。学校に行くのは辛いけど、かと言って家にいるのも辛いわけだよ。そんなとき俺だったら、きっと学校に行くんだと思うよ。学校へ行って、いじめてくる奴らの言い分をきちんと聞いてやるのさ。それでもって、確かになあ、と思う部分があるならできる限り改善すればいいし、逆に根拠もない、とんでもない言い分だったら『こいつらはその程度の人間なんだ』って見下してやったらいい」

「でも見下すなんて、奴らと同等の行いじゃあないですか。僕はそんな人間にはなりたくない。僕みたいな人間を、増やしたくない」

 僕の声は、微かに濡れていた。先生は、優しい顔をしていた。

「君は些か優しすぎる。それが君の長所でもあり、短所でもあるんだねえ。でもね、それでも、君のその優しさは強さを持ち合わせてはいない。強さというのは、大事なものを守ることが出来ることだ」

 がっしりと、細い指で僕の肩を掴む。

「君は大事だ、大事なんだよ。誰が何と言おうと、この俺が君を必要としている。だから君は、君のことを大事に守って。守るために、見下すのさ」

 先生は、大袈裟なほどに必死な様子で、終始僕を揺さぶっていた。僕の涙線は、遂に決壊した。こんな自分を面と向かって必要だと、臆面もなく言ってくれた人がいることを、どうしようもなく嬉しく思ったのだ。

「君が行きたくないならまだ行かなくてもいい。でも、強さは必要なことだ。弱肉強食のこの世界では、そのままだときっと君はいつか食べられてしまう。だから、学校へ行くのは、勉強をするためでもなく、友達を作って馴れ合うためでもなく、強くなるためだけに行けばいい。そのために、そのためだけにでいいんだ」

 成る程、と鱗の落ちる気分がした。次の瞬間、僕は僕でもびっくりするくらいすんなりと言葉を発していた。

「学校、行きます」

 湿った声ではあったが、確かに僕ははっきりと放っていた。すると先生は、必死に歪めた顔を優しく緩めた。

 「非常によろしい」

 

 次の日、朝から学校へ向かった。通学路を吹き抜ける風、ビル街の上に見上げた空さえも、僕の気持ちを重くした。今から行くのは学校じゃない、いじめの巣窟だ。そう考えて、身がぎゅうっと縮こまる。やけに緊張しながら、自転車をぎこちなく漕ぐ僕を、道行く誰もが不思議な面持ちで見ていた。

 教室の扉を開けると、教室にいたほぼ全員の目が僕を向いた。空気が瞬時に凍る。僕は平静を装いたかったから、誰のことも気にすることのないふりをして、机についた。荷物の整理を始める。電子辞書を鞄から出して机に置こうとしたとき、どんと女性の手が僕の机を突いた。

「ちょっと、もう学校来るなって言ったじゃん。何で来てくれてるの、根暗眼鏡君」

 いじめの主格、北條だった。クラスでの集団無視を先導し、僕に何かと嫌がらせをしてくる張本人だ。ある日は机に「キモイ」「死ね」などと落書きがしてあったり、ひとたび声をかけると「菌が伝染る」と突き飛ばされたり、散々であった。

「ねえ、聞いてるの。だから、キモい病原菌はとっとと帰ってって言ってるの。ここまで言わなきゃわからない?」

 悔しかった。何故僕がここまで言われなくてはならないのか。今までは、「どうせ僕は」と半ば諦めかけた気持ちであったが、今日は違った。先生は、僕のことを必要だと言ってくれた。大事な人を、大事な僕を、こんなに貶めてくれるとは、やってくれるじゃあないか。僕の心は怒りに燃えていた。

「ねえ、聞こえないの。おかしいなあ、耳はちゃんと付いてるのに」

 歯を食いしばって何も言わない僕に、彼女は更に苛立っているようだった。指で机をとんとんと叩いている。

「ねえ、ねえ、ねえ」

 顔を覗き込まれた、その時だった。僕の右手に強い衝撃が走った。びっくりしてふと前を見ると、薙がれた机と机の間に、驚いたような顔で倒れている北條の姿があった。僕は、初めて人を殴った。

「痛い! ちょっと、何してくれてるのよ」

「黙れ!」

 口が勝手に動いたかのようだった。だかしかし、それは確かに僕の声だった。

「何で僕がここまで言われないといけないんだ。僕はあなたに何か悪いことでもしたのか、いや違う。僕は教室の片隅で静かにいつも本を読んでいるだけだった。なのにあなたは何だ。僕を汚らわしい存在だとよくもここまで貶めてくれたものだな。ひどい話だ。それは確かに僕は根暗かもしれない。でもそれで僕がいじめられていい理由になるのか」

 「へ、屁理屈こねないでよ」

 「これは屁理屈なんかじゃあない、綺麗事でもない。あなた方がしたことがどういうことがどんなにひどいものだったのかということについての正論だ。そこのあなたも、そっちのあなたもよく聞いておけ、あなた方も共犯者だ」

 目を剥いて、必死に、指を周りに向けてみせる。生徒の一人が、ひっ、と声を上げて教室を出ていった。きっとこの自体を収めるために教師を呼びに走ったのだろう。だがそんなことは今関係ない。教師がこの場に駆けつけようと何があろうと、僕は僕の正義を叫び続ける、やめはしない、とそのとき心に誓っていた。

 「いじめは格好の悪いことだと、聞いたことはあるか。それが何故かを教えてやろう。いいか、人というのは誰かに必ず必要とされている生き物なのだ。自分では気がつかなくても、周りの人が気づいていなくても、必ずそうだ。誰かに大事にされているもの、それは神聖に匹敵する物だ。それを貶すという行為だからだ。そうだろう、よく考えてみろ、人の大事にしているものは、例えどんながらくただろうと誰も正面切って貶めはしない。そういうことなんだよ、貴様らがしているのは、そういうことなのだ」

 最後の方は呼ばれてきた教師陣の「黙りなさい」の応酬で掻き消されていたが、それでも僕は叫んでいた。無理矢理職員室へ運ばれ、親も呼ばれる事態となった。しかし、僕はこのことを反省すべきとも恥ずべきとも考えなかった。先生に、このことを話したらどういうだろうと、そのことばかりが気になっていた。

 家に帰って学校指定の鞄を投げ捨て、先生の家に向かった。全てを話したあと、先生は僕の頭に手をのせて言った。

 「百点満点、花丸だ」

 その後学校での僕に対するいじめは鳴りをひそめた。


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