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ニコルの髪の話

 ある日、ニコル先生とお昼休みの時間が重なり、俺は食堂で一緒にランチすることになった。

「なんか、マサヤと昼飯食べるの久しぶりだな。あんまり昼休みの時間かぶんないし」

「そういえばそうですね。ニコル先生遅いこと多いみたいですし」

 向かい合わせに座り、先生はナポリタン、俺はコロッケ定食を食べている。

 先生の髪は長い。兵器の能力があった頃の由季とまではいかないが、それでも一般的な男性の髪の長さよりだいぶ長めだ。

「先生、すごい今さらな質問なんですけど、なんで髪長いんですか?」

「んふぇ?」

 ナポリタンを口に含んだまま、先生は返事をする。

「あっ、すみません。変なタイミングで聞いてしまって……」

 先生は口の中のものを飲み込んでから俺に言う。

「本当に今さらだな……。まあ、成人男性がわざわざ髪を伸ばしてたら気になるよな。それはわかる」

 ニコル先生は俺と出会ってから一度も髪を切ったところを見たことがない。だから、今はもう背中の真ん中辺りの長さだ。

「どこまで聞きたい? 理由だけ? それともきっかけから?」

「伸ばし始めるきっかけがあったんですか?」

「お、きっかけからだな?」

 理由だけ聞いたところで、きっとふーんで終わってしまうだろう。なら、気になることは聞いておきたい。それが俺だ。

「ちょっとだけ長くなるんだけどな、あれは18歳の冬、俺が受験に失敗したときの話だ……」




~ニコル・18歳。冬~

 大学入試が数日後に迫ったある日、ニコル少年は体に異変を感じていた。

 彼は自室で受験勉強に勤しんでいた。しかし、数日前から吐き気と腹痛に襲われ、あまりのタイミングの悪さに家族に言い出せずにいた。

「ニコルー? 塾の時間でしょ? 行かないのー?」

 階下から母親の声。しかしそれどころではない。あまりの激痛に動けないし、なんだか熱も出ているような気がする。冷や汗が止まらない。

 机に突っ伏し、痛みに耐える。

 しびれを切らした母親が、様子を見に部屋へやってきた。

「ニコル、いい加減にしなさい! 遅刻するでしょ!」

「うう……」

「ニコル? どうしたのあんた……」

「気持ち悪い……腹痛い……」

「えっ!?」

 あまりの顔色の悪さに母親は驚き、額に触る。

「熱あるじゃない!? いつから!?」

「わかんね……」

「ニコル! 病院行くよ! 動ける!?」

「無理……」

 そんなこんなで、ニコル少年は救急車で病院に運ばれることとなった。



 病院に運び込まれ、下った診断は急性虫垂炎。一般的な呼び方で言うと盲腸だ。即入院、即手術。もちろん一定期間安静にしなければならないので、数日後に控えていた大学入試は受けられない。

 手術を受け、目を覚ましたニコル少年は一浪を確信し絶望していた。


 入院して数日後、本来なら入試を受けていたその日。ニコル少年は立ち直れずはずもなくベッドに突っ伏していた。

「俺はどうしたらよかったんだ……」

 まさか腹痛ごときで入院する羽目になるなんて。我慢したのが悪かったのか? 腹痛がまだ軽いうちに病院に行っていたら?

 いろんなことが頭を巡るが全て後の祭りだ。

「仕方ないじゃない、学費のことなら心配しなくていいから、来年またチャレンジしなさい」

 お見舞いに来ていた母親はそういうけれど、そう簡単に切り替えられるものでもない。

「来年はウィンくんもいるじゃない。あの子今真面目に勉強してるって話だし、一緒に勉強したら?」

「……なんで今ここでウィンのことが出てくるんだよ……俺は俺だろ……ほっといてくれよ……!!」

「……ごめんなさい、当事者が一番辛いよね……。母さんまた明日来るから、何かあったらすぐ連絡しなさいね」

 傷心の彼を気づかって母親はそそくさと帰っていった。

 母親が帰ったことで余計に空しくなってくる。あまりの空しさに耐えられなくなった彼は部屋を出た。


 談話室に行くと、ニット帽をかぶった同世代であろう少女がぼんやりとテレビを見ていた。

「あれ、君見たことないね」

 ニット帽の彼女はニコル少年の気配に気付き、話しかけてくる。

「え? あ、俺のこと?」

「うん、だってここには君と私しかいないから。で、君はなんで入院してるの?」

「俺は、腹痛くなって病院来たらすぐ手術された。虫垂炎だって」

「そっか。じゃあすぐ退院するんだ」

「そういうお前はなんで入院してるんだよ。俺だけ言ってるのなんか不公平じゃんか」

 ニコル少年はニット帽の彼女の横のソファに座り、問いただすかのように尋ねた。

「私は白血病」

「は……」

 思いの外重病でニコル少年は固まってしまう。

「あ、でももうすぐ退院は出来るんだ。寛解ってやつ」

「そ、そうなのか……」

「ねえ、君。いい髪色だね。この辺じゃ珍しいって言われるでしょ」

 ニット帽の彼女は唐突に言った。ニコル少年の暗めの金髪を見ているらしい。

「え、そ、そうか? あ、でも確かに珍しいとは言われるかも。親戚以外見たことないし」

 ニコル少年はそこまで言って気づいた。白血病でニット帽を被っている目の前の彼女。ニット帽を被っているのには理由がある。

「お前、その帽子……」

「そう、お察しの通り。副作用で抜けちゃったんだ。生えてきてはいるけど、このままじゃ、ちょっとね」

 帽子を取った彼女の髪の長さは五分刈り程度だ。それはまるで野球少年のような。

「……なんか、名前も知らんし、すごいデリケートなことだと思うんだけど……そんなの見せちゃっていいのか?」

「名前を知らないからいいんじゃない。君はすぐに退院する。名前も知らない重病の女の子が突然ハゲ頭見せてきたらきっと忘れないでしょ?」

 そして彼女は帽子をかぶり直した。

「ま、まあ……そうだけど……」

「強引に話しかけちゃったから、お詫びに君の話も聞いてあげるよ。なんでも話してみて」

 そう。ニコル少年は傷心状態だった。ニット帽の彼女に思いの丈をぶつけるのもいいかもしれない。

「……今日、大学入試だったんだ」

「……なるほど、君は受験生だったんだ」

「何日か前から腹痛くて、でも試験直前だし、言うに言い出せなくて、この様だ……母親にも八つ当たりしちゃって、いたたまれなくなっちゃったんだ」

「君は、来年もまた受験するの?」

「そのつもりだけど……親も気にするなって言ってくれてるし」

「……君は何のために大学に行くの? やりたいことはある?」

「うちの家系、病気する人が多くてさ、一応医者を目指してるんだ。……って、これを今の俺が言ってるのマジ笑えねえな」

「へえ! いいじゃない! 目指してるものがあるんだね! じゃあ私は君の診察を受けるのを楽しみにしてようかな」

 ニット帽の彼女はニコル少年の話をニコニコしながら聞いている。そんな彼女を姿を見て、ニコル少年はさっきの髪の短さを思い出してしまう。

「……やっぱり、髪がないのは気になるのか?」

「うん、そうだね。あ、そうだ! 君、このまま髪伸ばし続けてみない?」

「えっ? どういうこと?」

 彼女の唐突な提案にニコル少年は困惑した。

「男の子だからあんまり知らないのかな。ヘアドネーション」

「ヘアドネーション?」

「うん、私みたいな病気や、怪我で髪を失ってしまった子供にウィッグをつくるために髪の毛を寄付するの。まあ、私はもう対象年齢じゃないんだけど」

「へー。そんなのあるんだ」

「君、髪色珍しいから同じような髪色の困ってる子の力になれるかもよ」

「病気の子供たちの力になれるのか……! いいな、それ……!」

「興味持ってくれた? 調べると色々出てくるから、考えてみて」

「うん、ありがとう。調べてみるわ」

「あ。そろそろ診察の時間。じゃあまたね、会えるかどうかわかんないけど」


 ニコル少年はこの出会いがきっかけで髪を伸ばし始めた。

 結局、ニコル少年が退院するまでの間に、彼女にもう一度会うことはなかったのだが……。

~~~~~~~~~~~~~~




「と、いうわけでヘアドネーションを知った俺は髪を伸ばし始めたわけだ」

 ニコル先生は話を締めくくり、ちょっとだけ残っていたナポリタンの最後の一口をフォークで巻き始めた。

「あの……そのとき会った女の子って今どうしてるんですか……? 先生が入院してる間、そのときしか会ってないんですよね……?」

「今もこの病院に診察に来てるぞ?」

「あっ、この病院での出来事だったんですか!?」

「逆にどこだと思ってたんだよ?」

 そりゃそうだ。もともとみんなこの辺りに暮らしているんだから違う病院に行く理由もない。

「髪を初めて寄付するときな、すごい困惑されたんだよ。美容師に『え、男性じゃん……?』みたいな顔されてちょっとショックだったな」

 そうだ。ニコル先生と女の子とその後が気になってしまったけど、話の本題はそこじゃない。ニコル先生の髪が長い理由だ。

「何回もやってるんですか?」

「うん、今までに2回してる。次は来年だな」

「女の子と交流は続いてるんですか?」

 どさくさに紛れて関係性も聞いてみる。

「続いてる。彼女、美容師なんだ。だから、2回目から彼女のところで切ってもらってる」

「結局、名前は知らないんですか?」

「いや、知ってるよ。だって診察に来るんだぜ? 患者の名前知らん医師嫌だろ」

「あ、そうですよね」

「……でも、彼女もちゃんと髪は伸びたし、俺だってちゃんと医者になれたからな、再会したときはちょっと嬉しかったな」

「ニコル先生って、損な性格ですよね……」

「ん? 何でだ?」

 思っていたことが口から出てしまっていた。慌てて口を押さえるも、もう遅い。

「いや、だって本当はすごく真面目で誠実なのに、普段そんな感じ一切ないじゃないですか。チャラいって言うか、お調子者っていうか……」

「なんだよ、俺はいつだって真面目だぞ?」

「そういう感じが、ニコル先生の魅力なんだなって思いますよ。俺は」

「……なんかすごく含みのある言い方だな」

「そんなことないです、本心です」

 ニコル先生は、いつでも患者さんのことを第一に考えている。ヘアドネーションも病気の子供のことを思っているからこそできる活動だろう。

「俺にもなにかできることないかな……」

「お? 髪伸ばすか?」

「うーん、たぶん長い髪に耐えられないと思います……」

「うん、まあそうだよな。お前はお前のできることをやればいいよ」

 ニコル先生は最後のナポリタンを口に入れて、片付けの準備を始めた。

 俺も少しだけ残っていたコンソメスープを飲み干して片付ける。

「マサヤはまず自分の将来について考えような」

「はい、そうします」

「よし、ちょうど昼休憩も終わるし。午後も頑張ろう」

「はい、先生も仕事頑張ってください」

 俺たちはそれぞれ仕事に戻る。


 ニコル先生が早速若い入院患者さんに話しかけていた。普段通りちょっとチャラめだけど、でも、俺はさっきの話を聞いて気づいたんだ。

 この声掛けも、きっと患者さんのことを思い、異変をすぐに察知できるように行動しているからに違いない。

 ……なんてことを伝えたら、きっと否定するだろうけど。

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