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第五章 合衆国へ降り立つ

 Oct. 15, 02:05 a.m. PST

 International Airport, San Diego, CA


 十時間余りのフライトを経て、(あつし)昋詩(かざし)はサンディエゴ国際空港へと降り立った。

 篤に連れられるまま入国審査場に辿り着いた昋詩は、篤の後ろで〝VISITOR〟と案内表示のかかった列に並ぶ。ビジネスクラスのサービスでほかよりも早く降りられたせいか、複数設けられた列はまだ混んでいなかった。

 しかし、昋詩の背中では続々と、降車してきた人の列が連なっていく。見る見るうちに、行列はだだっ広かった審査場のスペースを埋め尽くした。

 数分と待たずに篤が最前列へと足を進め、そして審査員に呼ばれた。後ろに並ぶ昋詩へ一言かけてから、篤は最前列のラインを超える。

 昋詩はカウンターでの篤の所作を、後ろからじっと眺めていた。

 実に慣れた様子で受け答えをし、審査員の指示に従って幾つかの動作を行って、篤は円滑に奥の通路へと通された。

 笑顔の審査員女性が、昋詩を手招きする。

 昋詩は中州のように囲まれたカウンターの前まで進んで、言われるまえにパスポートを差し出した。

 女性はそれを受け取りながら、

「Hello.」

「は、yes. ……Hi.」

 昋詩は慌てて返答する。

 簡単にパスポートをペラペラ(めく)ってパソコンに向かったあと、女性は手前の円筒型の小型カメラを指差して、昋詩にそちらを向くように伝えた。

 昋詩が問題なくそちらを向いて、数秒待ってから女性は再びパソコンの画面をチェックした。続いて、カウンター上に置かれた箱を指し示す。

「Press your right fingers, please.」

「?」

 箱は直方体で、上面が昋詩のほうへと傾斜していた。

 上部に隆起した出っ張りの手前にタッチパネルがあり、その横にはピクトグラフ(絵文字)が(えが)かれている。

 外見からは用途の伝わりにくい直方体(もど)きと、昋詩は睨めっこを始めた。女性の早口の英語に反応できなかった昋詩は、なにをすればいいのかわからないまま渋い顔を作る。

「Here.」

 指示が伝わっていないと感じ取ったのだろう、

「Please press your right fingers, miss.」

 直方体のタッチパネルを指差して、女性が再度そう告げた。

 (ようや)く女性の言わんとすることのわかった昋詩は、その指示通りに右手の四指を立ててタッチパネルを()した。力強く。

 ぎゅううっと音が鳴るくらいに。

 面に押しつけ、反り返った指が熱くなる。

「Oh, no.」

 それに慌てたのは審査員の女性だ。

 いくら女性の、そして子供の力とはいえ、精密機器が接触面積の乏しい全力の加圧に異常を(きた)さないとも限らない。ガラスの表面に、よく手入れされた形のいい爪が食い込んでいるようにも見えた。

「Stop, stop miss!」

 女性のとんがった悲鳴に、入国審査の順番を待っていた人たちが、ほかの審査員が、そして審査場を抜けた先の通行人が何事かと、一斉に昋詩を注目した。

 大勢の多国籍な凝視と白人女性の睨視(げいし)、そして審査場の向こうから篤の心配そうな視線を受けながら、昋詩は半分涙目で言葉を返す。

だって(But)……〝指を押し(you said)込め〟って(so, “Press)言っ( your )たもん(fingers.”)………」


 空港の外へ出ると、冷たい空気が一気に身体の熱を奪った。

「ひゃっ、さむっ」

「まだ二時だからね……。いくら秋のカリフォルニアでも、さすがに深夜は冷え込む」

 白い息を吐きながら、篤は腕時計を確認した。

 日本標準時間を指していた針を、(つま)みを回して合衆国の太平洋沿岸標準時間へと移行した。

 上側が外へ()り出すように傾斜したガラス張りの外壁の前で、昋詩は想像以上の冷気に身を震わす。

 広い車道に面した辺を囲むように、外壁の上には断続的に軒のような四角い突起が、端から端までびっしりと連なる。

 空港の出入り口正面には道路を挟んだ向かいに横一列にヤシの木がずらりと並び、手前には何台かのタクシーが停まっていた。

「それにしても、早朝に飛行機に乗って、着いたのが深夜って……なんかヘンな感じ」

 暗がりの風景を眺めつつ、昋詩は薄いピンクのジャケットのポケットから、温かそうな手袋を取り出した。華奢な手を()り合わせながら、その手にはめる。

 その様子を見て、篤も手に持っていた黒塗りの鞄から薄手の革の手袋を取り出して、その手にはめた。

「昋詩ちゃん、海外は初めてじゃないよね?」

「うん。昔、お父さんとお母さんと一緒にオーストラリアに行ったことある」

「そっか。オーストラリアだと日本と経度がほとんど変わらないから、その時は時差とか感じなかったんだね」

「たぶん。……それにあのときは子供だったし」

 毛糸で編まれた手袋で腿を摩りながら、昋詩は改めて周囲の景色に目をやる。

 辺りの暗さと空港施設とで、まだカリフォルニアらしいものというのは大して目につかない。が、それでも昋詩は、肌に触れる夜の静謐な空気とその匂いによって、そこに確かな異国感を感じていた。

 目に映るありふれた車や、道路や木々、その全てが昋詩にとっては新鮮なものに思えた。

「これから、ホテルに行くんだよね?」

 青いスーツケースの取っ手を握って、昋詩が尋ねる。

「うん。ここからすぐ、サンディエゴ湾を渡ったところにあるコロナドっていう半島に、ホテルを取ってあるんだ」

「そこまでは歩き?」

「いいや」

 篤は首を横に振った。

「空港から橋の近くまでシャトルで行って、そこから橋を渡る路線バスに乗る」

「こんな時間にも、市バスって通ってるの?」

 昋詩が目を丸くした。

「みたいだね。──シャトル乗り場まで、歩きながら話そうか」


 シャトル乗り場には、既に数人の人が集まっていた。

 中にはそうでない顔も見られるが、その多くは日本人のようだった。

 恐らくは、昋詩や篤と同じ便に乗っていた旅行者だろう。日本の連休の初めということもあって、太平洋を横断した飛行機の中はかなり混み合っていたが、シャトル乗り場にそれほどの人数はいない。

 別の公共交通機関を使ったか、ロータリーに停まるタクシーに乗り込んだか。あるいは、申し込んだツアー旅行の現地ガイドに連れられていったか、そんなところだろう。

 昋詩は、航空会社やツアー名を記した旗やらフリップやらを持った連中を、空港の出口で数人見かけたのを思い出した。

「ねえ叔父さん、もしかして、ツアーのほうがよかった?」

 ふと湧いて出た疑問を、昋詩は直接篤にぶつけてみた。

「いや、そうとは限らないよ。海外に慣れてない人ならともかく、現地で行きたいところがたくさんあったり、自由に行き回りたいって人にとっては、団体行動はデメリットのほうが多いからね」

「そっか」

「ただ、団体になると割引があったり、ツアーだと混んでるところも並ばずに入れたりするから……その辺はまあ、兼ね合いだね」

 そんなことを言っているうちに、暗中を二つの目で照らしながら、大型のバスが停留所へとやってきた。

 思い思いに暇を潰して待っていた人々はその姿を捉えると、一斉に列を成した。

 停車したバスの脇で、空港の職員が乗客からスーツケースを預かって、名前を尋ねて、取っ手の所に紙テープを括り付けた。

 篤もそれに倣って、事前に買い求めたシャトルのチケットを渡し、名前を告げてから青いスーツケースを預ける。

 バスの乗降口を先導しながら篤は、

「これに乗ってダウンタウンのブロードウェイって所まで行って、そこからコロナド橋を渡る#(ナイン)(オー)(ワンのMTSバスに乗るから。あとでもう一度言うけど、系統番号忘れないでね」

 昋詩は頭の中で復唱し、頷いてみせた。



 * * * * *



「…………………」

 目の前に広がる建物に、昋詩(かざし)は絶句するほかなかった。

 サンディエゴ市内の3rd Ave.(アヴェニュー)とブロードウェイの角、海側から光を灯してやってきたバスに乗って、篤と昋詩は合衆国本土を後にした。昋詩はしっかりと、車体に記された番号を確認してから乗車した。

 街中を抜けると、バスはサンディエゴ湾に架かるベイブリッジを渡り、小島(しょうとう)コロナドへと乗客を運んだ。草木も眠る丑三つ時、とはよく言ったもので、まるで眠ったように黒くうねる湾の波が、昋詩には恐ろしく思えた。

 島に入ってからはバスを島内シャトルに乗り換えて、コロナド島の東端一帯を囲む巨大な敷地の縁を沿うように南下した。昋詩が隣に座る(あつし)に、この敷地が何なのかと問うと、

「えーっと……どうも、ゴルフ場みたいだね」

 との答えが帰ってきて、昋詩はアメリカのスケールの大きさに脱帽した。

 ちなみに、バスを乗り換えたのは単に所要時間を考えてのことらしかった。

 乗車して三十分もしないうちに、シャトルはどこかの敷地に入り、その広いエントランスで停車した。

 一緒に乗っていた観光客数組と共にバスを降り、寝ぼけ眼だった昋詩はそこで、目の前に現れた光景に目を剥いた。


 煌々(こうこう)と夜に温かな明かりを灯す赤い三角帽子の屋根。所々で顔を見せる椰子(やし)の木の影が、絵画のような趣きを演出していた。

 暗闇に浮かぶ幻想的な木造七階建ての巨大建造物が、昋詩の前に悠々と(そび)えていた。

 ホテル・デル・コロナド。

 五つ星を有する海沿いの最高級リゾートホテルが、旅行初日の宿であった。



 チェックインを済ませた篤と昋詩は、そのままコンシェルジュに案内されて予約した部屋へと直行した。

 ロビーだけでなく、エレベーターの中、廊下の敷物や装飾に至るまで、全てが昋詩の今まで感じたことのない高級さで溢れ返っていた。

 広々とした部屋に着くや否や、昋詩はきょろきょろと幾つかあるドアを覗いて回って、奥の寝室を見つけると、そこに鎮座する大きなベッドにどふっと飛び込んだ。

「つかれたー」

「長時間のフライトお疲れさま」

 部屋の入り口で一通りコンシェルジュの説明を聞いたあと、篤も青いスーツケースを引いて寝室にやってくる。

 アイボリーを基調とした寝室は多くのホテルルーム同様リビングルームとしての機能もあるらしく、ベッドの足先には四十インチの薄型テレビと木造りのラウンジテーブル、厚手の生地を張ったリビングチェアが完備されていた。空調のリモコンや電話機も枕元に備わっている。

「時差ぼけもあるだろうし、ちょっと感覚が変になってると思うけど。気分は悪くない?」

「うん、大丈夫」

 羽毛を詰めた掛け布団に顔を埋めて、昋詩は答えた。

 篤は大容量のスーツケースの鍵を開け、中から着替えや洗面具を取り出した。

「パジャマは一応用意してあるけど、出発前に言った通り一着しかないから、シャワー浴びてバスローブで寝たほうがいいと思う。明日の服も、テーブルの上に出しておくね」

「はーい。ありがと」

「うん。あと、部屋からは出ないこと。何かあったら、枕の脇にある電話でフロントに連絡してね。多分簡単な英語で分かってくれるはずだから」

 そう言って、篤は手に持っていたブリーフケースから幾つか荷物を出してテーブルに置いた。スーツケースの中で畳まれていた黒いコートを手に、寝室のドアへと向かう。

「……叔父さん?」

「ちょっと、行ってくる」

 ベッドの上で跳ね上がって振り向く昋詩に、篤は短く告げた。

「僕の携帯の電源は入れたままにしておくから、何かあったら連絡するんだよ」

「………うん」

 飼い主と離れる仔犬のような表情で、昋詩は頷いた。

「……なるべく早く、帰ってきて。ベッドで休んでね」

「うん。心配しないで」

 ドアノブに手をかけて、篤は最後に微笑んだ。

「今日は初日だから、そんなに時間はかからないと思う」



 * * * * *



 Oct. 15, 03:11 a.m. PST

 Coronado Ferry Landing, San Diego, CA


 本土とコロナド島を繋ぐフェリー乗り場を前に、HLuKi(ハルキ)は緩やかな潮風に吹かれていた。

 空はまだ真っ暗で、波間も黒い。

 闇の向こうに(うっす)らと、ダウンタウンのビル群の輪郭が見えた。藍色に塗られた革靴の底が、じゃりっと浜の砂を捉えた。

 黒いコートの裾が、僅かに風に靡く。

 そこで、HLuKiは不意に後ろへ振り向いた。

「Can I Ask where you are from?」

 そんな言葉を、投げかける。すると、

「Wandaring Nod. 」

 それに応える声があった。

 HLuKiの背後、砂浜を音もなく近づいたブラックスーツの影が、HLuKiの問いかけに淡々と応答した。

 男は足を止めず、HLuKiのすぐ近くまで歩み寄る。その容貌が、眼鏡をかけた自分よりも若い男であるということが、HLuKiには漸く見て取れた。

 立ち止まったブラックスーツの男は事務的な口調で、

「……どうやら、本物のようだな」

「偽物がいたのかい?」

 HLuKiが尋ねると、男はええ、と頷いた。

「貴方の到着する数時間前、サンディエゴ市内で捜査をしていた私に、〝自分がパートナーだ〟と名乗る不審な人物が一名、声をかけてきました」

 男の言葉を聞いて、HLuKiは呆れたような、困ったような顔を作った。

「それはまた大胆な……。そいつは、いまどこに?」

「ご心配なく。当然すぐに我々が拘束、留置していますよ。どうも下っ端に雇われたスラム気触(かぶ)れの市民のようなので、何をどこまで吐くかはまだ分かりませんが」

 男は眼鏡のブリッジを中指の先で持ち上げた。

「ならよかった。僕が連絡した不審な男は、うちのスタッフから受け取ってくれたかい?」

「ええ、確かに」

 男はあくまで端的に応じる。

「数時間も経っていないのでこちらもまだ情報を引き出せてはいませんが、CIAの誇る尋問技術で以てして、必ず喋らせますよ」

「拷問の間違いじゃなくて?」

 HLuKiが軽口を叩いたが、

「では、今後の事を話しましょうか」

 男は芸術的ともいえる感性で、仏頂面のままそれを受け流した。しかし、HLuKiの顔にも不快な様子は表れない。

「私も朝には次の業務が待っているので、あまり時間はありませんが」

 男は手に提げたブリーフケースから、分厚い書類の山を差し出されたHLuKiの手の上に積んだ。

 HLuKiが(いぶか)しんでその表紙を読もうとすると、

「とりあえず今日は、事件の概要を頭に叩き込んでもらいます」

 間髪入れず、男が解説を加えた。

「明かせる範囲での事件の経緯と、いま動いている捜査員、その内容。敵の内情や規模、判明している分の計画、私たちの今後の〝業務〟と指針……そんなところです」

「なるほど」

「もちろん、分かっているとは思いますが……一切のメモは取らずに頭に叩き込んでくださいね」

「皮肉が分かりづらいよ、捜査員。現役の殺し屋を舐めないでほしい」

 あくまで笑みを絶やさず、HLuKiは男にそう返した。

 対して男は微笑むことも(いか)ることもせず、ただ機械みたいな顔色で、

「それは失礼。──申し遅れました。自分はED(イーディー)と言います。ミスター・HLuKi、恐らくそれら全てに目を通すのには朝までかかるでしょうが、その分の残業手当てはつかないので悪しからず」


 再び無機質な声色で皮肉を放つ眼鏡の男、EDに対して、山積みの書類を手にしたHLuKiは──やはり微笑んだ。

「だから、見くびるなって言ったろ。──二時間で終わらせる」

 こんにちはこんばんは。

 桜雫あもる です。


 久々の『殺し屋の事情』シリーズ更新になります。

 なんせ舞台を下手にカリフォルニアにしてしまったせいで、資料集めが大変で困っています。更新遅いです。

 え、自業自得?

 いやはや、そう言われると、ぐうの音も出ないですね。

 ぐぅ。



 というわけで今作は、ネットにある画像や旅行記などのウェブページ、そして『地球の歩き方 アメリカ西海岸』(ダイヤモンド・ビッグ社/地球堂)と『新個人旅行 アメリカ西海岸』(昭文社)などの書籍を参考にして書いていきます。


 なんか、書籍の最後のページに「禁無断転載」とあったのですが……こういうのって、利権とかどうなっているんでしょうね。

 直接、書籍内の情報をばら撒いたり、それでお金を儲けたりしてるわけじゃないので大丈夫だとは思いますが、最近版権とか著作権が気になるお年頃です。


 なお、参考にしてはいるものの、どうしても把握しきれない細部については、想像や物語の都合で空隙を補っていきます。

 この作品は実在の団体や個人とは何の関係もないフィクションなので、悪しからず。



 次回はサンディエゴの街に繰り出します。

 何の進展もない普通の旅行の風景って、どう書こうか悩みます。

 マジで。



 それでは、引き続き『優しい殺し屋の不順な事情 Ⅱ』をお楽しみください。

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