愛美の理不尽な苛立ち
きゃぁきゃぁと、大袈裟に悲鳴をあげて抱きついてくる亜理沙を適当にあしらいながら私は、どっきりハウスの出口へと急いでいた。
別に亜理沙を嫌ってる訳じゃない。私に好かれようと、一生懸命ついてくる後輩を可愛いと思う。彼女が私のことを、それ以上に想っているのは知っているけど、女子校ではよくあることだ。私が浩に対する感情とは違う。
じゃあ浩のことはどう思っているんたろう。
自分でもわからない。たぶん後輩を思う気持ちとは違う『好き』だと思う。
だけど私は怖かった。男の人とつきあったことがないから、
男の人が怖いんじゃなくて、嫌われるのが怖かった。
小学生の頃から空手なんてやってたおかげで、よくクラスの女の子をいじめる男の子なんかを懲らしめてた。
だから女の子の中では人気者だった。
中学生になっても、女子には頼られた。だけど男子からは避けられてた。
自分で言うのもなんだけど、顔はだいたいまあまあだと思う。成績は将来海外で活躍する記者になりたかったから努力していつも学年でも上の方。スポーツは空手以外も全般に得意。まあ男女を問わず、一目置かれていたと思う。
ある日、サッカー部の男子がしていた学校美女ランキングなんてくだらない話を偶然耳にした。
「やっぱり由紀子がトップだよなぁ」
「いや、おまえの彼女に興味ないし。おれは洋子に一票」
「意外と愛美って可愛くない?」
「確かに可愛いけど……」
「おまえ前にあいつにフラれたんだっけ」
「ちげぇよ。あいつは顔は可愛いけど、狂暴なんだよ」
「言える、言える。道場でも大人の男より強って話だぜ」
「本当は男なんじゃねぇ?胸もちっさいし」
「おまえ見たことあるのかよ?」
「プールの時、更衣室覗いたことある。あいつだけ、子供ブラしてた」
「なんだ、生チチ見てないのかよ」
「でも中三で子供ブラはないな」
ショックだった。中学生にもなって、女子に変なイタズラする男子もいなくなったから、割と大人しくしてたのに、やっぱり私は女として見られてないと思ったら泣けてきた。
友だちは「気にすることないよ。あいつらにとって愛美は、手の届かない『すっぱい葡萄』なんだから」と慰めてくれた。
自分でも、そう言い聞かせるしかなかった。
それ以来、私はくだらない男子の目なんて気にしないで生きてきた。女子校に入って、ジャーナリストになるために写真も始めた。写真の腕を磨くために、サーキットに通うようになって、浩に出逢った。
馬鹿な同級生男子たちと違う、目標を持った男の顔をしていた。気がついたら惹かれていた。
「鈴鹿に来ないか」と誘われたとき、すごく嬉しかった。嬉しかったけど、怖かった。
浩だって男だ。胸が大きくておしとやかな女の子が好きなんじゃないかって。
私だけ好きになって、向こうはなんとも思ってないんじゃないかもって思ったら、浮かれてる自分が恥ずかしくなった。
本当は、ジェットコースターにも浩と乗りたかった。観覧車の中で、なにかあるんじゃないかって、昨夜は寝られなかった。
本当は浩と二人になりたかったのに、亜理沙に流されて……、そうじゃない、私が怖くて逃げたんだ。亜理沙は悪くない。
浩は私のこと、すごく失礼な女だと思っているんだろうなぁ……。
絵理にも悪いことしちゃった。
もう取り返せないかも知れないけど、早く二人に謝りたい。
亜理沙を引きずるようにして、やっと外に出たのに二人の姿はなかった。
どこ行っちゃったんだろう?二人で黙ってほかへ行くとは思えないし……。
「二人して中に入ってるんじゃないですか?」
亜理沙があまり心配してない様子で言う。
「そうかもね。とにかく動いたら余計にわからなくなるから、少しここで待ちましょ」
浩が走る時間までは、まだあるから勝手に戻ったりしないはず。戻るとしても、絵理はここで待ってるはずだ。
「あの二人、出て来るの、ちょっと遅いですね?」
入ってること前提に、亜理沙が暇そうにつぶやく。
「私たち、怖かったから急いで出てきたから、たぶん普通に回ってたらこれくらいの時間かかるんじゃないかな」
不安を隠して答えた。
「そうかなぁ?やっぱり二人とも入らずに、どこかで休んでいるんじゃないですか?」
亜理沙の屈託のないつぶやきにも、いらいらしてしまう。
亜理沙が悪いんじゃない。亜理沙に逃げた私が悪いんだ。
もう一度、自分に言い聞かせる。
「ありさ、ちょっとそのへん探してきますね」
亜理沙が駆け出しかけて、ぴたっと足を止めた。
「あっ!きた!」
はっとして出口に目を向けた。浩が手前に、絵理が一歩後ろに、揃って出てきた。絵理の顔は浩に隠れてよく見えない。
「絵理さん、遅いですよぉ!中でなにしてたんですか~ぁ?」
亜理沙が二人の前まで駆けていって、いたずらっぽく尋ねた。
「別に……」
いつも通りに絵理が答えるけど、ちょっと様子が違う。
「あれ?絵理さんなんかへんですよ?」
普段は、絵理を無視する節のある亜理沙も、絵理の様子の違いにすぐ気づいたみたいだ。その言葉に絵理の顔が赤くなっていく。
「あっ!絵理さんが赤くなった!」
亜理沙が驚いた声をあげる。私も浩の後ろに隠れた絵理の顔を覗いた。
確かに赤くなってる。表情を滅多に表に出さない絵理が、赤くなるのを初めて見た。
「えーっ!絵理さん、中でなにしてたんですか?もしかして、もしかしたら!」
亜理沙が、驚きと好奇心を掛け合わせたような大きな声をあげた。絵理は真っ赤にした顔を俯けてなにも答えない。肩が小さく震えている。
「ちょっと!あんた、絵理になにしたの?!」
私は浩に大声で詰め寄っていた。
「でけぇ声出すなよ。何もしてねぇよ」
浩は面倒くさそうに答えた。その態度が、心配していた私の気持ちをますますいらだたせる。
「何もしないのに、なんで絵理が泣いてるのよ!この子が泣くなんて、よっぽどのことよ!」
浩は「はぁ?」と振り返って、本当に戸惑った顔をした。
…………
四人の間に、気まずい空気が流れた。
なに言ってるんだろ?私。
浩が絵理に変なことするはずない。だけどどうして絵理は泣いてるの?
浩がそんな人間じゃないのはわかっているのに、私がとった行動が、絵理にすごく負担をかけてたんじゃないかって気持ちを誤魔化すように、浩に責任を押しつけようとしている自分がいた。
そして私は、浩の頬を叩いた。彼は抵抗しなかった。
「浩さんは……、悪くない」
絵理がぽつりと言った。
「いいから絵理は、黙ってて。こんな男に少しでも気を許した私が馬鹿だったのよ」
私は自分の罪を逃れようと、弁解もさせずに浩を悪者にした。すごく卑怯だと思っているのに、口が勝手に動いた。
たぶん浩にはもう嫌われている。だけど亜理沙と絵理だけは、そばにいてほしかった。
「私から……」
「えっ?」
絵理の告白に、私の感情は凍りついた。
「私から抱きついた……」