高原のターンパイク
俺は愛美を後ろに乗せて郊外へと向かった。二人乗りツーリングと言えば、高原のターンパイクだろう。片岡義男の世界である。
夏休みなので、他にもツーリングのバイクが多い。途中、レースを始める前の俺のようた連中に、何台も抜かれた。
4スト125のトレールバイクに二人乗りでは、さすがに俺でもバリバリのレプリカバイク相手に敵わないだろうが、以前の俺なら意地でも追いかけていた。だが今は余裕で見送れる。そんなところで速さを証明する必要なんてないんだ。それより背中に押しつけられる愛美の胸の感触をたっぷり味わっていたかった。
美香さんやマミちゃんに比べるとボリュームは控えめだけど、そんなこと気にならないほど心地良かった。
稜線の見晴らしのいいパーキングスペースにバイクを停める。先客が何台かいた。
「わぁー!気持ちいいなあ」
「だろ?エアコンなんかなくたって、全然平気だろ」
「うん、街中はちょっときつかったけど、山のほう来たらすごく気持ちいい。バイクって、こんなに気持ち良かったんだ。空気もおいしいし、景色も最高!カメラ持ってくれば良かった」
「持ってこなかったのか?」
「コンパクトカメラなら持ってきたけど、せっかくならちゃんとしたカメラで撮らなきゃ勿体ないじゃない」
「また来ればいいさ」
「また連れてきてくれる?」
「もちろん」
「約束だよ」
「約束だ」
青春だ!これぞ片岡義男の世界だ。
過去にこの場所で、何度同じセリフが交わされた事だろう。日本にモーターサイクルが上陸して以来、ここの風景は俺たちと同じような若いカップルの会話を、何千回、いや何万回と聞かされているだろうが、飽きることなく吹き抜ける風が俺たちを歓迎してくれてる。
今、世界は俺たちを中心にまわっているんだ。
「あそこにソフトクリーム売ってるよ。私買ってくるね」
愛美が『高原牧場のソフトクリーム』の旗竿を見つけて言った。
昔は毎週のようにここの峠を攻めに来てたのに、売店でソフトクリームなんて買ったことがなかったし、気にもとめなかった。自販機の缶コーヒーがお決まりのパターンだった。だけどツーリングデートといえばソフトクリーム、なんて新鮮なんだ。
「俺が買ってくるよ」
「連れてきてもらったお礼だから。私におごらせて」
愛美は楽しそうにそう言って、道路の反対側の売店に駆けていった。
「車、気をつけろよ!」
まさかその時は、俺たちにあんな不幸が近づいているなんて想像もできなかった。だってそうだろ?俺たちは青春のど真ん中にいたはずなんだから……。
「暇だったから、ひとりでツーリングに出てきたんだけど、すっごい勢いで抜いていくから、千夏すぐわかったよ」
パーキングには俺たちの他にも、何組か青春しているカップルがいた。隣のカップルは別々に来て、ここに来る途中で偶然会ったらしい。
「とろとろ走ってるなよ!」
なんか男の機嫌が悪いみたい。俺たちは幸せだ。
「どうしちゃったの?走ってる時からなんか怖そうだったけど」
「どうもしねぇよ!千夏が鈍くさいだけだろ!」
おい、おい、なに怒ってるんだ?喧嘩なら向こうでやってくれ。こっちまで雰囲気悪くなるじゃないか。
「そうだけどさぁ、でも、こんなところで逢えるなんて、すごい偶然ね、アキラくん」
………!?
今、アキラくんって言いました?
「おまちどう!ソフトクリーム買って来たよ」
「愛美、すぐ出発だ。もう行こう」
「なに?これ食べてからでいいじゃない?バニラとチョコ、どっちがいい?」
「どっちでもいいから。早くヘルメット!」
「だって、ソフトクリームは?どうしたの、浩」
「ヒロシ……?」
アキラくんが振り向いた。やべえ、目があっちまったよ。
「ヒロシ……またかよ。オレのことつけてるのか?」
いえいえ、どっちかと言うとこっちのセリフなんですけど……、まあそんなこと言えない。愛美の手前、知らんぷりする。
「おまえもオレを馬鹿にしにきたんだろ!」
最初は自分に言われたと思ったけど、アキラくんは俺に言ったのではなかった。横にいる千夏ちゃんに言ったみたいだ。
だけどたぶん、千夏ちゃんに言ってもわかんないでしょ?
「どうしちゃったのアキラくん。なにかあったの?」
千夏ちゃん、健気にアキラくんを気づかってる。俺たちすぐ行くから、お気になさらず、どうか仲良く。
「さっさと行けよ!いいか、最初からオレは千夏なんかとつきあっていないんだからな」
これも千夏ちゃんに言ったセリフ。ちょっと千夏ちゃんに八つ当たりはやめてあげてほしい。だって千夏ちゃん、アキラくんに気があるみたいだから、これから愛が育つかも知れないじゃない。頑張ってみれば?
「千夏もべつにアキラくんとつきあってるなんて、思ってなかったけど……」
そらみろ、千夏ちゃん気分悪くしちゃったじゃないか。早く謝れ、アキラくん。
「千夏が誰とイチャつこうとオレには関係ないからな。さっさと消えろ、尻軽女!」
「酷いよ、アキラくん。どうしてそんなこと言うの?」
そうだ、酷いこと言うな!
「うるせー、このあばずれ!腐れ〇〇〇!」
アキラくん、それは女の子に絶対言っちゃいけない言葉だってお母さんに教わらなかったの?
「なによ!この腐れチ〇〇!短小包茎の童貞男!」
ほら、言われちゃったじゃない。
「黙れ、淫売!オレは童貞じゃねえ」
「キモいわね、本当のこと言われてムキなってるの?」
「童貞じゃねえって、言ってるだろ!ミカもマミもヤリまくって飽きてたんだ!」
アキラくん、無理するなよ。虚しいだろ?
「ハイハイ、あんたと寝る女がいるわけないじゃない。お気の毒に……一生童貞ね。愛しのそのハリス・モドキに股がって〇〇〇でもしてれば?」
俺にもそう思えてきた。だってアキラくん、普通に人とつきあえなさそうなんだもん。
「これはハリス・モドキじゃねえ!これはな……、このハリス・ドカティだったらな!……。峠だったら…峠だったら、誰にも……」
わかったよ、アキラくん。もういいんだ……。千夏ちゃんはもう行っちゃったから。アキラくんは自爆したんだ。俺はなにもしてないけど、キミは勝手に自爆したんだよ。そう、ミカさんにもマミちゃんにも俺は何もしていないからね。
もはや、存在自体が不幸と化したアキラくんは、俺を睨みつけるとハリス・モドキに跨り、行ってしまった。
「なに、あれ?凄い痴話喧嘩見ちゃったね」
そうだな。でも愛美には見せたくなかったんだ。愛美の純心さを、どす黒い負のエネルギーで曇らせたくなかったんだ。
だが、愛美の明るさと気高さは、アキラくんのダークエナジーなどで穢されることはなかった。
「ね、ソフトクリーム溶けちゃうよ。浩はどっちがいい?」
「そうだなぁ、じゃあバニラ!いい?」
「はい。でもひと口ちょうだいね。私のもあげるから」
愛美はバニラのソフトクリームをペロリと舐めて、俺に手渡した。
可愛いなぁ、俺の彼女。
俺は愛美の舐めたところをパクリとしてみる。
これが青春の味だよ。
生きろよ、アキラくん。
その時、売店に停まっていた、一目で高度なチューンがしてあるとわかるロスマンズカラーのスクーターに気づいていたが、まさかあの子たちが乗って来たものだとは思っていなかった。