憧れの先輩
その凛々しさは、荒野に咲く一輪の華、
罪深きその輝きは、憧れと恋しさに、瞳を濡らす少女も知らず、残酷なまでに美しく咲き誇る。
その神々しさは、孤高に咲く一輪の華、
あまりに気高く、誰も穢すことも、触れることすら叶わず、憧憬だけを募らせる。
あなたの御傍に近づけるなら、どんな苦難も乗り越え、如何なる試練も耐えましょう。
ああ、愛しの愛美様……
「ちょっと、亜理沙!あんた何、ぼーっとしてんの?せっかく来たんだから、あんたもいっぱい写真撮りなさい!」
「は、はい!先輩。すみません」
さらさらの短い髪を、男の子のように日差しを後ろ向きにした野球帽で隠し、小柄だけど猫科のようなしなやかな素敵なお姿に見とれていたありさ(私)は、先輩に叱られて心臓が破裂するほどどっきりしました。
愛美先輩とありさは、同じ女子校の写真部です。ありさがあんまり可愛いから、先輩から写真部に入りなさいと誘われたのです。でも、愛美先輩は、ありさにとっても厳しいのです。でもそれは、ありさのことを特別に思ってくれてるからなんです。ありさは期待に応えなくてはいけないんです。
先輩は最近、オートバイレースを被写体にした作品作りに夢中です。オートバイなんて、ありさには怖いだけなんですけど、先輩に忠誠と操を捧げることを誓っているので、先輩の望むなら、たとえ火の中、水の中、暴走族の溜まり場へだってお供いたします。
それに今回は、ありさのお手柄なんです。ありさのパパにサーキットまで連れて来てもらったんです。
パパは、クルマやオートバイの改造部品だか何だかを作っているらしい会社の社長なので、亜理沙たちは一般の人の入れない特別な場所に入れてもらえました。
愛美先輩には、とっても喜んでもらえて、
「凄いじゃない、亜理沙!あんたのお父さん、すっごい偉い人なんだね。さっき清水選手が、お父さんに挨拶してたわ!」
と褒められちゃいました。
「そんな、偉いなんて。ただの零細企業ですよ。昔はおじいちゃんとママと合わせて三人しかいなくて、倉庫みたいなとこで始めたそうです。愛美先輩のうちとは全然……」
「何言ってるの!それだから立派なのよ!はじめから受け継いだだけの財産なんて、その人が偉い訳じゃないのよ。亜理沙のお父さまは、家族と必死に働いて成功したのよ。私は尊敬するわ。亜理沙もしなさい!」
「はい……。先輩が尊敬するのなら……」
正直、ありさは近頃、パパと余り口訊いてなかったんです。
小さかった頃、パパはいつも汚れた作業服で、休みの日も仕事仕事で、どこにも連れて行ってくれませんでした。一度だけ鈴鹿サーキットに連れて来られたらしいけど、あまり覚えていません。ずっとママと遊園地にいたそうです。
最近も、忙しいのは変わんないけど、似合わないのにいつもネクタイなんかして、それが「如何にも」って趣味の悪さで、そのくせありさの気を惹こうといろいろプレゼント攻撃。ちょっと『鬱陶しい』って感じだったんです。
「亜理沙、あんた罰があたるわよ。連れて来てもらった上、関係者しか入れないエリアに入れてもらえるんだから。今夜から亜理沙んちに足向けて寝られないわ」
先輩にそんな風に言われると、なんだかありさまでパパが偉く思えてきました。
今回「愛美先輩と鈴鹿サーキットに撮影に行く」ってママに話したら、パパが急に張りきって、チームの大事なお得意様しか入れない席のパスまで用意して、「自分がみんなを連れて行く」って言い出したんです。
車なんて持ってない女子高生の先輩は、喜んで一緒に来たけど、まさかこんなに喜んでもらえるとは、少しパパを見直しました。
それはそれとして、先輩として後輩に接する姿勢は変わりません。
「いい?亜理沙。あんた今日は最低でも、フィルム10本は撮るのよ!その為に来たんだから」
パパへの感謝と写真部の活動とは別のようでした。やはり先輩は、いつも毅然とした真っ直ぐなお方なのです。
今日は先輩のアシスタントに徹するつもりで来たのに……。
「アンタ、何考えてんの?レース撮りにアシスタントは必要ないでしょっ。そのプロも羨むような最新式のカメラと大砲みたいなすっごいレンズはなに?飾り?」
そうなんです。これ、むちゃくちゃ重いんです。『鈴鹿に撮影に行くなら』って、勝手にパパが先週買ってきたんです。
でも、すっごく重くって、腕がぷるぷるしちゃうんです。こんなのとても無理です。やっぱりありさには、いつものかわいいカメラがよかったです。
「なに羨ましいこと言ってるの!私の三脚貸してあげるから、今日中に最低でもフィルム10本は撮り切るのよ」
ひぇー!先輩は容赦なくありさを責めるのですね。
「あの…、よかったらありさのこのカメラ、先輩使ってみて下さい」
ありさの申し出に、先輩の顔色が一瞬変わったのを見逃しません。どうやら先輩は、このカメラに興味があるみたいです。
さすがパパ、写真部先輩のツボがわかってる!
「えっ、いいの……?まあ、あとでちょっとだけさわらせてもらうわ」
先輩は無理して興味なさそうに言ってるけど、本当は触りたくて、たまらないんですよね。先輩ならいいですよ。さわってください、先輩。
先輩の手が、ありさのボディ(カメラの)に触れてきます。指先が震えているのがわかります。
先輩も緊張してるんですね。
先輩の指が、ありさもさわったことのないところに触れようとしてきます……。
あっ!そこはありさもまだ……だめっ……やさしく……して、ください。
だ、だめですぅ、先輩!ありさ、わからなくなっちゃ……ぅ!
ああっ、愛美せんっぱ〜い!
「アンタ大丈夫?ひとりでなにブツブツ言ってるの?」
だって、ありさはじめてなんです。やさしくしてください。
「馬鹿なこと言ってないで、まずあんたがフィルム10本撮りなさい。私が借りるのは、そのあとよ」
先輩はまだありさに厳しい試練をお与えになるのですね。どんなに辛い試練だろうと、ありさは必ず克服してみせます。そして先輩の腕の中へ飛び込んでいきます。
愛美先輩は、まるでプロカメラマンのように、まわりの忙しそうに働いてる人たちにもレンズを向けています。派手な革つなぎの人やタイヤをいっぱい運んでる人、私と同じカメラ持ってる人など(なんか雰囲気違うけど)、猛獣のような男の人がいっぱいです。女の人はなぜか、ハイレグの水着に傘を持っています。
猛獣たちの溢れるサバンナを、先輩は颯爽と撮りまくっていきます。
「待って下さい、先輩!ありさをひとりにしないでください!」
気がつけば、カメラ構えた(ちょっとオタクっぽい)男の人たちに囲まれてました。
ひぇ〜、なんでありさ撮るんですか?怖いです。そりゃあ、ありさは可愛いですけど、ありさ傘持ってないですよ。あなた方は、傘持ってる女の人しか撮らないんじゃないんですかぁ!?
だいたい、なんであの女の人たちは、天気いいのに傘持ってるんですか?日焼けしたくないなら、お肌あんなに露出しなければいいのに。
「もう、なにやってるの! 絵理、悪いけど亜理沙と一緒にいてあげて」
忘れていました(嘘です)。もう一人いました。先輩は、絵理さんにありさのアシスタントを言いつけると、また危険なサバンナへと行ってしまいました。
ありさは、この絵理さんと言う影の薄い写真部員が苦手です。
絵理さんは、ありさと同じ高等部一年生、つまり愛美先輩の後輩です。中等部からクラスも一緒でしたが、ありさが写真部に入るまで、一度も口訊いたことなかったんです。
なんというか、存在感が薄くて、暗いんです。ありさとだけでなく、他の子とも必要最低限の言葉しか交わしません。なのに先輩は、なぜかこの根暗少女をいつも従えているのです。
先輩に尽くすのは、ありさだけです。ありさだけでは不満ですか、先輩。
絵理さんを苦手な理由のもう一つは、この子の前では、気が抜けないんです。
絵理さんは、いつも鞄にカメラを忍ばせていて、シャッターチャンスを見つけると一切の気配を消したままカメラを抜き出し、一瞬で撮っているんです。撮られたほうが気づいた時には、すでにカメラは鞄に戻されているという、盗撮の達人なんです。
先輩は、『スナップショットの達人』と一目置いているんですが、彼女の前では変な顔出来ません。うっかり、あくびやくしゃみなんかしたら、もうおしまいです。
クラスでは、怪しいマニア向け雑誌に投稿して懸賞金稼いでいると噂になっています。
真相は、カメラ雑誌のフォトコンテストに応募して、毎月のように何誌か入選しているのです。かなりの賞金を手にしているんですが、クラスでそれを知っているのは、同じ写真部のありさだけです。本人が言わない以上、秘密をバラすのは淑女のたしなみとしていけません。それにその噂も、あながち間違っているとは言えませんし。
「その望遠レンズ、パドックでは使わないから、私が持が持っててあげる」
いきなり絵理さんが、話しかけてきました。
「あ、ありがとう。でも重いですよ」
「大丈夫。それくらい慣れてるから」
絵理さんは、顔色一つ変えず、ありさからカメラを鞄ごと奪うと、大砲みたいな望遠レンズを外して、小さいレンズに着け代えたカメラを渡してくれました。
彼女は、大きくて重い望遠レンズの入った鞄を背中に背負うように担いで、てくてく歩いて行きます。意外といい子でした。
でも慣れてるって普段なにを持ってるのでしょう?
身軽になったありさと大きな鞄を背負った絵理さんは、ときどき写真を撮ったりしながら先輩を捜しました。
いました!って一番獰猛そうな革つなぎ男に近づいて、写真撮っているじゃないですか!?
危険です、先輩!離れてください。そいつは明らかに先輩をいやらしい眼で見てます!いくら先輩でも危険すぎます!
革つなぎ男が先輩に馴れ馴れしく話しかけました。危ないっ、先輩!
ありさは恐怖で脚が固まってしまいました。どうしてこんな時に……。先輩のためなら、命をも投げ出す覚悟だったのに、ありさは怖くて先輩に近づけませんでした。
な、なに?なに先輩まで応えてるんですか?
駄目です、愛美先輩!生徒手帳にも『男の人と不純な交際は禁止』って書いてあるじゃないですか!
ありさが見てるのに、愛美先輩は、ニコニコ話しかけながら、革つなぎ男をバシャバシャ撮っています。
先輩はきっと、ありさの愛を試しているのですね……。