雨
「雨の降る日は必ず誰かが泣いているのだ」と聞いた事がある。曇天の空からぽつぽつと落ちてくる冷たい雫は、確かに涙を連想させる。私が幼いころ、雨というものはひどく恐ろしいものだった。一般的に小雨と呼ばれる小ぶりの雨はどこか孤独感を植えつけられていたし、嵐のような大雨は、その暗闇とノイズがかった雨音から恐怖感を感ぜずにはいられなかった。
私は十四歳のときに人間関係が上手くいかなくなり、家へ帰ったら布団にもぐりこんではボロボロと涙を流す日々を送っていた。誰にでも訪れる、思春期というものだ。今だからこそ若かっただの青かっただのと当時の自分を笑って話せるものの、十四の私にとってみれば、自分の存在価値を常にどこかに感じていなければ生きて行けなかったのだと思う。特に女という生き物は難しく、非常に複雑であり、いつだって私達の足場は脆く崩れる崖っぷちであった。その中で日々様々な苦悩を抱えて十四の少女はそれでも必死に生きていた。女という生き物は何ともたくましいものだと我ながら思う。その時も、確か土砂降りの雨が降る六月であったように記憶している。
土砂降りの雨といえば、十三の夏である。幼かった私は初めて、心の底から好きだと思える相手に恋に落ちたのだ。好きだとか、嫌いだとか、そんな感情を通り越して、私の世界には彼しかいなかったのだ。その彼に私ではない彼女が出来たと聞かされたのが土砂降りの夜であった。純粋無垢な心を持っていたからなのか、私はひたすら泣き続けた。涙を流して彼が私に振り向いてくれるわけでないことくらいわかったいた。わかっていても止められぬ涙がひたすら頬を流れていく。あの時、私は人生で初めての絶望を覚えたのである。
思い返せば、全ては雨なのである。サザンの歌詞にも「思い出はいつの日も雨」というフレーズがある。きっと、今まで苦しい事は数え切れないほどにあったはずである。でも、雨の降る日の出来事は、より鮮明に真っ暗な世界を切り取って心に痛いほどに刻みつけるものなのだ。