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そして夜明け  作者: K+
第4章 皇領の旅芸人
8/25

 十日ばかり、親戚だの知人だのと、点在する幕家(ユルト)家主のツテを頼り、草原を東へ東へと進んだ。

 これならタダで月区(げっく)まで行けますね、と、やっと諸々に慣れてきた(なる)が楽しそうに言ったが、その日の夕暮れに着いた幕家がツテの最後だと判明した。

 ここから先の東は草の空白地帯があり、放牧している者に心当たりが無いと言われてしまったのだ。

『岩山を迂回して二、三日も北上すれば、アル街道に出れると思うよ』

 それは月区に直結した、リィリ王国東の関からのびている街道の名だった。当然ながら月区には近くなるが、南皇領府からは遠ざかる。

 幕家の(あるじ)に礼を言うネンジの脇で、成は街道と聞き、喜色を浮かべた。草原に慣れてきたとはいっても、湯あみができない点に辟易していたから無理もない。

 丹亜(にあ)は、街道までの二、三日、何処に泊まるのかが気になった。

 ネンジにもヒコにも訊く機会が無いまま、翌日、朝食の後すぐに出発した。

 これまで通り二頭の馬に分乗し、丘のような岩山を前方に見て北東へ向かう。行く手は、緑の色が薄まっているようだ。

 道々ヒコが、馬上から器用に、長い棒を使って牛のフンを拾う。

 最初に三泊させてもらったワク家の夫人が、小さな娘と一緒に歩きでその作業をしていたものだ。なかなか長持ちする燃料になるという。

 鞍に提げられた小駕籠に、程良く乾いているフンが溜まっていく。蛙を包んだ布も嫌がっていたくらいだから、成は顔をしかめていた。

 こちらは何もせず馬を進めるネンジに、丹亜は前を向いたまま告げた。

「わたしは、野宿をしたことがない。多分、成も」

「安心しろ。一人で火の番しろとは言わねぇ」

「……ちっとも安心できない。なんだ、火の番というのは」

「草原の深夜から早朝は、めっぽう冷えるのさ」

 暦はもう十日も過ぎれば五の月で、只今は爽やかで過ごし易い。

 実感が湧かずに丹亜が小首を傾げると、ネンジは鼻で笑った。

「火の有る無しに関わらず、昔はこんな少数で野宿なんて自殺行為だった。今は、じわじわ治安が良くなってきてる。まぁ、ヒコが一緒じゃなきゃ、まだ野犬には気をつけねぇといけないんだが」

 手綱を持つ男のごつごつした手を、丹亜は見つめた。

 そもそもネンジとヒコはリィリ王国の方角へ街道を進んでいたが、入国するつもりは無かったらしい。避暑も兼ね、皇領サージ地区を目指していたそうだ。旅芸人として。

「ネンじいは、いつからこんな暮らしをしてるんだ」

 まだジジイじゃねぇ、とネンジは前置きしてから、もう忘れたぜ、と続けた。

「果ての地に一年くらい居たしな。あそこは、こっちの五分の一の早さで時間が流れている」

「……すると、こちらに戻った時は五年経過していた?」

「そそ。俺ぁ、一五五年の生まれだが、まだ五二だ」

 本来なら五十六歳か。何にせよ、四十近くも年上だったらしい。十代の丹亜達と大人げなく言い合いをするから、全然そんな気はしないが。

「ヒコとは、いつから」

「二年は経ったな」

 成人して外の世界に出てきたということだ。

 ささやかな羨望が胸に湧いた。

 丹亜は、成人すれば狭い世界に閉じ込められるだろうから。

 ゆるりと視線を巡らせば、横手で又一つ、ヒコがフンを拾い上げている。

 乾燥してしまえば、牛のフンは大して臭わない。

 風に乗って届くのは、陽光を含んだ布のような、温かい春の草原の匂いで。

 丹亜は静かに吸い込み、ややの間、息を止める。

 この身に、沁み渡らせたくて。



 赤茶けた岩山の付近は、丈の低い、枯れたような草が多かった。時計回りに麓を過ぎれば、視界には薄黄色い砂地が広がった。緑色は、ぽつりぽつりと低木の茂みに見られる程度だ。

 空が大地と同じ色へ変わる前に、ここらにしよう、とネンジが馬の手綱を引いた。

 木も茂みも生えていない場所だった。

 荷袋から杭を取り出すと地面に打って馬を繋ぐ。続けて小ぶりのクワのような道具も出し、ヒコが広く浅く穴を掘り始めた。掘り出された土混じりの砂に、小川で汲んでおいた貴重な水を少量加え、ネンジが近くで炉端のような枠を拵える。

 丹亜と成は、途中の茂みで伐採していた枝の束から、葉をむしるように指示された。

 もう夕餉の準備なのか。

 草原を渡り始めてから、昼前後になると各幕家で分けてもらった平たい干し肉を食べている。カチカチだから、馬上で一時間近く噛み続けている。今日も同様で、充分太陽のある今時分、あまり腹は減っていない。

 初めてのことに、丹亜はネンジとヒコを見ながら手を動かす。成が情けなさそうな声で言った。

「こんな所で寝るの……?」

「……多分」

 幕家の寝台は硬かったから、数日、丹亜は身体のあちこちが痛かった。ようやく薄い布越しに伝わる台の感触に馴染んできたと思ったら、今度は地面に寝ることになるらしい。

 虫が多そう、と成はぶつぶつ続ける。確かに羽虫の類が草地には多く飛び交っている。夜に活動するモノも居よう。

 砂漠には毒虫が居ると聞いたことがあるが、ここは大丈夫なんだろうか。

 ヒコは長方形に穴を掘り終えると、今度は拾った牛フンをクワの先で適当に丸く固める。そうして、ネンジの作った枠の内側に並べた。

 火打石を用いて、ネンジが即席燃料に火を点ける。薄く白煙が上がった。

 丹亜達が葉を取り除いた枝を、ネンジは枠に渡し置いて網のようにする。炉のようになった。その網の上に、葉を燻すように乗せる。

 何だかんだ、一連のことが終わる頃には日が暮れかけていた。

 次は食事の支度なのかと思いきや、手渡されたのは昼と同じ干し肉だった。

 又これ? と成が不満げに受け取ると、ネンジは平然と、そうだ、と頷く。

「街に着くまでコレだ。後は馬乳酒(ミシュ)を少し。朝は乾燥乳(ムウル)を貰ってあるから、ソレな」

 コレも炙ると少し柔らかくなるぞ、とネンジは炉もどきを指差す。成は口をへの字に曲げて火の前にしゃがみ込んだ。丹亜も並んで、指先で摘まんだ肉の板を熱にかざす。ちょっとだけ、香ばしい匂いが揺れた。

 ヒコは昼と同じ状態の肉を口先でもごもごとさせながら、少し離れた場所にもう一つ穴を掘り始めている。

 さっきから何の穴なのだろうと丹亜が眺めやると、ネンジが小さな椀に馬乳酒を注ぎながら言った。

「小も大も、あそこでしろよ? 済んだらちゃんと砂かけるんだぞ」

 食事の時にする話じゃない、と成がげんなりした顔で抗議した。土壇場になって教えられるよりいいだろ、とネンジは鼻で笑う。

 それにしたってもう少し別の機会に話せないのかと丹亜は思うが、横目で訴えるだけにして肉を噛む。ネンジにその手の配慮を求めても無駄だというのは、この半月で判ってきていた。

 穴を掘り終えたヒコも炉の傍に座り、ネンジが酒を水筒ごと放る。少年は片手で受け止めると、栓を抜いて椀いっぱいに注いだ。四人の中で極端に酒精に弱いのは丹亜だけだった。

 辺りは、ゆっくりと闇に包まれつつあった。

 光と言えば、星と痩せた月、炉に灯る赤い火が放つくらいだった。

 草木も無い砂地だからなのか、物音も少ない。

 幕家での夕食は賑やかだったから、たった四人で小さな火を囲むのは結構淋しかった。それぞれが干し肉を咀嚼していて、会話も無い。なんとなく丹亜は、急いで肉を飲み込む。

 椀を物足りなさそうに見てから、ようやくネンジが沈黙を()った。

「丹亜達、通行証はあるのか」

 ある、と丹亜は首元の紐を指先にかける。先端に薄い板が結び付けてある。成も同じように首へ手をのばし、ネンジは口角を上げた。「街道に出たら、お前達が買い物担当だな」

 そういえば皇領側の関で、領内で金を使う時は通行証を必ず見せるようにと言われた。

「値引きでもしてもらえるのか」

「通行税を払っている分、通行証を提示すれば一割引きだ。期限残ってるよな?」

「七の月の末まで」

「アル街道を行けば、まぁ、もつな」

「所持金も?」

 上目づかい気味に丹亜が見ると、ネンジは立てた片膝に肘を乗せてへらりと笑んだ。

「旅芸人ってヤツぁ、稼ぎながら旅するもんだぜ。お前達にも何かしてもらうぞ」

 丹亜は成と目を見交わす。ネンジは無精鬚をさすってから顎をしゃくった。「お嬢ちゃん方、楽器の一つや二つも嗜んでるんだろ?」

 少女二人は同時に首を振る。ネンジは小さく口を開けた。

(がく)も教養の一つと思ってたが……最近は違うのか」

 さぁ……? と成がぎごちなく首を傾げる。丹亜は奏でられるのを聴く側で、成も後ろで控えているわけだから同じことだった。故に二人共、耳は肥えているかもしれない。

 ネンジは唸って胸元で両腕を組む。こちらを(はす)に見て、よし、と言った。

「二人共、見栄えは悪くないから踊れ」

「舞か……?」

 ためらいながら丹亜は問う。おうよ、とネンジが応じる。丹亜は舞も、鑑賞する側だった。「自信が無い」

 同意を求めて目を流すと、成は口をすぼめつつ顎を引く。

「小さい頃、祭でみんなと踊ったことはあるけど……」

「おう、そんなんでいい。要は(がく)に合わせればいいんだ」

 軽くネンジが言うと、ヒコが荷袋を寄せた。中から布にくるんだ棒状の物を取り出す。笛のようだった。

 景気のいいヤツ、とネンジが注文をつけ、ヒコは笛を横に寝かせ、端を口元に当てた。並んだ穴に指を添え、何音か素朴な音色を出してみてから、曲を奏で出す。

 驚いたことに、かなり巧かった。

 短音が連なり、陽気な旋律となる。

 ネンジが楽しげに身体を左右に揺らし、膝を叩いて調子を取る。片手の掌を上向け、立てと言いたげな仕種をした。成が立ち上がり、丹亜もそろりと続く。

 成は既に、音楽に溶け込んでしまっていたようだった。足を前後に振ったり、腰を左右に揺らしたりしながら、その場でくるくると回り出す。短音に合わせ、手を鳴らしたりする。

 舞のようでいて、もっと親しみ易い雰囲気を醸す動きだった。

 いいぞいいぞ、とネンジが(ふし)に沿って愉快そうに声をかける。

 大して長くない同じ曲を繋げた後、ヒコは笛から口を放した。

「房かひだの多い服を着て、鳴り物を持って踊ればいけるんじゃない?」

「やらねぇより、やってみるべきだな」

 機嫌良くネンジは相槌を打つ。成は息を切らしていたが、満ち足りた顔をしていた。丹亜は思わず拍手する。

「とても良かった。明るい気分になれる。共に踊りたくなるようだった」

 成が笑顔で一礼する前で、ネンジが大袈裟に肩をすくめた。

「丹亜ー、お前、観客になってどうするんだよ。左右にふらふらするだけで誤魔化しやがって」

「――う……面目無い」

 真似をするつもりだったのに、すっかり成に見惚れてしまった。丹亜が足元に目を落とすと、ヒコが可笑しそうに笑った。

「サクラに打って付けの動きだったよ」

「ったく、オヒネリ集め担当だな。取りこぼすなよ?」

「オヒネリとは何だ」

 ふんぞり返っていたネンジは、呆れた様相になって天を仰ぐ。丹亜は釣られて上を見て、口を開けそうになった。

 雲の無い漆黒の空に、無数の星が散らばっていた。赤や黄、青や白。

 こんなにも星は在るのか、と思考が逸れかけた向かいで、見物料だ、と低声が割り入る。

「ちゃんと屋根のある所で寝るには、しっかり集める必要がある」

 金糸銀糸に宝玉も絡めた黒布に覆われている今は、甚だ説得力が無かった。なんとか丹亜は、解った、と頷く。


 やがて厠でない方の穴に、ヒコは炉で乾かした葉を撒いた。その上に縦長で袋状の布を二つ敷く。これにもぐって眠るのだと説明された。

 くじ引き、とヒコが細い枝を二本持って丹亜と成の前に差し出す。

 先に丹亜が引いた方は、先が剥かれて白っぽくなっていた。

 決まりだ、とネンジが細工されていない枝をヒコに押し付ける。

「寝るぞ、成」

 さっさと穴に降りて袋に入り込んだネンジを見て、みの虫だわ、と成が洩らす。鼻の辺りから上だけ出したネンジは、目尻を下げた。「なんなら抱っこしてやろうか?」

 お断りします、と即答し、成はもう一つの袋に入った。

 袋の足元にヒコがそっと砂をかける。埋葬を連想して丹亜が複雑な気分になっていると、埋めた方があったかいんだよ、と少年は目を細めた。

「たまにネンじいは、全部埋めたくなるけどね」

 聞こえてるぞ、と下から声が響いてきて、あっちで話そう、とヒコはくるりと炉へ向きを変える。おやすみ、と成に告げて丹亜も穴の縁を離れた。

 簡易網に新たな葉を乗せてから、ヒコは炉の前に腰を下ろす。

 骨惜しみしない少年を、丹亜は膝を抱えて見やった。

「そういうことは、ネンじいに教わったわけ?」

 そうだよ、とヒコは綺麗な歯をこぼす。こんな暮らしをしている割に白く、歯並びも良い。

 本人は普通だと言ったけれど、やはり所々、ヒコは普通ではなかった。長らく入浴できずに丹亜や成がくすんできているのに、髪も肌も唇も女性並に瑞々しい。鬚も目立たない。

「笛もネンじいに教わった。オレが覚えたら吹かなくなったけど、上手だよ。意外と色々できるんだよね。器用貧乏なんだってさ」

 何やら納得できて丹亜は苦笑する。ヒコは近くに置いていた燃料を追加で火にくべた。「まぁ、楽しければいいらしい」

 火が移って、じんわりと赤い光が広がる。受けて緑金に煌めく瞳を見て、どうしてか初めて目が合った時のことを思い出した。

 あれは、時間の流れが止まったような、不思議な一瞬だった。

 そう感じたのは丹亜だけだろうし、あれから流星の如く時は過ぎている。

 今しも一筋、上空を流れた。

 丹亜は膝に顎を乗せ、呟くように言った。

「楽しくサージ領に行くつもりだったろうに、厄介に関わってしまったんだな」

 どうなんだろう、とヒコは小首を傾げた。

「オレもどうせなら毎日を楽しく生きたい。あの時、追われている女の子から目を背けたなら、オレはきっと後々まで楽しくなかった。なんとかしてあげられそうだったから、尚更」

「……そんな単純な理由で……下手したら命も危うかったろうに」

「オレ、単純だもん」

 ヒコは屈託なく笑った。「ネンじいも同じだよ。スレてるけど、根本的に草原のみんなと一緒で、お人好しなんだよね」

 草原で触れてきた好意の数々に胸が詰まった。丹亜は何も言えずに顔を上向ける。

 流れ星が、又一つ。

 今夜は幸せがよく来るね、とヒコは仰ぎ見た。

「星のことを言ってる……?」

「そう。ネンじいが、〝希望の星〟ってよく言うだろ、って。希望っていうのは、つまり幸せでしょ。それが降って来るのは、いいことの前触れなんじゃないかって」

 無理があるような気もしたが、否定するには惜しい考えだった。

 それ程に、星の降る夜だった。

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