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そして夜明け  作者: K+
第3章 緑の精霊級
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 地平線が白く霞み、色の薄まる東の空に、黄と紺のさす真珠色の雲が共存する時刻。草地に、夕日を受ける羊の姿が見えてきた。

 犬を従えた騎馬の姿も見留めるに至り、丹亜(にあ)達はワクの親戚の元へ辿り着けた。

 親戚達も、彼等の幕家(ユルト)での一泊を快諾してくれた。親戚は男手が一人多いようだ。

 天から藍のとばりが降り、宵星がはっきりと見えてくる頃、地上の星の如く、白っぽく浮かび上がる円形の家に着いた。

 たっぷり五時間は馬に揺られ続け、草地に降りると足腰が痛んだ。馬車旅でもそうだったが、立ち止まっても揺れ続けている錯覚がある。

 家の中に招かれ、炉を囲む前に、ネンジが簡単に自分達を紹介した。

 街道を旅していて意気投合した。女だけの旅は危ないし、目的地が一緒なので同行している。草原に入ったのは、大規模な街道補修に行き当たってしまったから。

 こちらのことはワクから聞いたとは、夫人の為に繰り返した。

 大地神(アカ・シ)のお導きさね、とレゾと名乗った家主は、日に焼けてテカテカした顔の目を細めた。寛いでいって、と添えた夫人も似たような容貌で、にこにこと食事の支度を始める。丸顔の息子三人も、せっせと客用の座布団などを整えてくれる。

 炉の周りに、夕食が並んだ。

 小麦麺と干し肉入りの(スプ)乾燥乳(ムウル)を香ばしく炙った上に、バタを塗った物。羊肉入り蒸し饅頭。花蜜入り発酵粥(ムルト)

 初乗馬で足に力を入れ過ぎたのか、(なる)はぎごちない動きで座り込む。ひょっとすると膝の内側を擦り剥いている。

 大丈夫か、と丹亜が声をかけると、誤魔化す余裕が無い様子で、歩きより疲れました、とこぼしてきた。

 たくさん食べりゃ疲れも取れる、とレゾが発酵粥を勧める。

 親戚同士、ワク一家とレゾ一家は似ていた。

 明るく世話好きで、よく笑う。家族仲がいい。街道周辺の話を、好奇と怖れの混じった顔つきで聞き入る。

 成は食後に手渡された馬乳酒(ミシュ)を飲むと、申し訳ありません、と誰にともなく言い、早々に寝床に入った。丹亜のように、飲むなりひっくり返らない。意外と酒に強いらしい。

 丹亜は、倒れてしまうからと酒杯を断った。すると、夫人が乳茶(ムティ)を作ってくれた。

 草原は水が貴重で、料理にも滅多に使わない。乳茶は、茶葉を牛の乳で煮出し、漉した物に塩を少量加えると出来上がりだ。

 初めて飲んだ時は濃くて変てこな味だと思ったが、何やら慣れてきている。

 温かでまろやかな茶を椀から啜っていると、猫舌? とレゾの一番下の息子が笑った。そのようだ、と応じかけ、丹亜は一旦口をつぐむ。

「そう、みたい」

 言ってからネンジを窺い見ると、ニヤニヤされた。どうも苛々させてくれる中年男だ。

 何処となく、ネンジは叔父上に似ているような……

 思うや、胸焼けがした。共通点を考えるのはよそう、と素早く己に言い聞かせる。

 叔父上と旅をするなど、冗談じゃない……!

 城を飛び出したのは、あの叔父に父親面されるのにも嫌気がさしていたからだ。

 父の体調が万全でないのをいいことに、権力への執着を隠しもしない厚顔さ。ここ数年は国益より私益を優先させる政策に頭を捻っているようで、次第に尊敬できなくなっていた。

 妻に迎えた貴族の娘も居丈高で、息子を産んだ今年に入ってからは、しばしば二妃を見下す言動をしている。それも丹亜は気に入らなかった。

 この旅が終われば、あの王弟妃を義母(はは)と呼ばねばならなくなる。

 彼女なら平然と、気軽にお呼びなさいね、と笑んで言ってのけるだろう。

 丹亜は、ぐっと椀を傾けた。

 とびきりの薬を買い、父も異母弟(おとうと)も師も、元気になってもらうのだ。そうなれば丹亜も、少しは我慢して暮らせよう。



 夕餉が終わり、食器洗いを申し出た。悪いね、と夫人が任せてくれて、丹亜は片腕に角灯を提げ、食器と道具を抱えて外に出る。

 追うように、ヒコとネンジが相次いで出てきた。

 ヒコは、オレもやる、と砂場へ足を向ける丹亜について来る。ネンジはつまらなさそうに、だらだらと続いた。

 家の脇に居た犬が三匹、駆け寄って来た。

 レゾ家の犬は、丹亜達が家主と連れ立って現れた所為か、一切吠えなかった。ワク家の犬も二日目からは、あぁお前か、という目でこちらを見る程度となったものだ。草原の飼い犬は、随分と賢い。

 粒子のとても細かい砂を集めた場所に、丹亜は汚れた食器を置いた。ヒコが柄杓で砂をすくって食器にかける。砂は、水代わりだ。

 目の細かな(ふるい)の上で刷毛(はけ)を使い、器から砂を払い落としつつ、丹亜は足元で尻尾を振っている犬をちらちら見た。

 丹亜には振っていない。ヒコに振っている。

 少年が砂ごみを桶へと移しに動けば、犬は三匹共まとわりつくように従った。

 餌を欲しがっているわけではないと思う。とにかくヒコを注視している。少年は別段、犬達の相手をしていないのだけれど。

 構ってほしそうにうろうろする犬を見やって、丹亜は頬が緩んだ。

「精霊級だから、そんなに懐くのかな」

 え、とヒコは薄暗がりで驚いたような顔をした。眉根を寄せると、ネンじい、と一方を睨む。

 ネンジは作業に加わらずに、少し離れた所で夜空に顔を向けていた。こちらを見たようだが、角灯の明かりが届かず、定かではない。

 ヒコは口を尖らせた。

「お喋り」

「あんな派手なことした挙句に眠りこけて、どう誤魔化せっつーんだ」

 鼻で笑いながら返してきて、俺ぁまだジジイじゃねぇ、とネンジは付け足す。

 むすっとした顔になると、ヒコは柄杓で砂をすくった。

 だいぶ汚れの落ちた皿で砂を受けながら、丹亜は謝った。

「すまない。軽々しく言うことではなかった」

 まぁね、とヒコは応じた。

「丹亜も成も、知ってて普通に接してくれてるんなら、別にいいけど」

「……成は、精霊級のことは、知らない」

〝緑の手〟については、気味悪がっていた。同行に反対したのはそれも一因で、やむない今は考えないようにしているのだと思う。

 じゃあ教えなくていいよ、とヒコは密度の濃い睫毛を伏せ気味に言った。

「オレは普通の人だもの」

 何処かしら、身近な者が人ではないような抑揚で。

 篩の上で皿の砂をはたき、丹亜はネンジを盗み見た。叔父のように腹は出ていないが、佇まいはどう見ても人間だ。

「半分、どうだかな」

 冷やかす口振りのネンジの発言に、ネンじい、とヒコが不機嫌そうに呼ぶ。丹亜は、なるほど、と思わず洩らした。

「緑眼は混血の証と聞いたことがある。ルウの民の血が入っているのか……?」

 よく御存知デスコト、とネンジが頭を掻くのが影の動きで知れる。ムッとする丹亜の横で、ヒコが迷うように身を屈めた。勢いを増して尻尾を振る犬達を撫でる。撫でながら、ルウじゃない、と小さく少年は言った。

「オレは、果ての地の生まれ」

 大陸神(たいりくがみ)達が住むという、又の名を幻の地。

 神話の講義で少しだけ教わった。少しだけなのは、記録がその程度しかないからだ。

 丹亜は愕然とし、ネンジに嫌悪の目を投げた。

「そなた、大陸神を穢したのか」

「おい――果ての地まで知ってんのか――つーか、ちょっと待て」

 ネンジが大股にこちらへ来た。「俺とヒコは、血が繋がってないと言った筈だが?」

「信じろと申すのか」

「この美丈夫の血をひいて、こんなちんちくりんが出来るわけねーだろ」

 ヒコは十七歳にしては小柄かもしれないが、丹亜よりは頭半分ほど高い。

「美丈夫とは何のことだ」

「澄まして言うな」

「まぁ、オレの父さんはネンじいより美人だね」

 しれっと下方からヒコが口を挟んでくる。けっ、とネンジが舌を出した。

「普通の人間の男ってのは、ああも美々しくしてられねぇよ」

 では、ヒコは父親が大陸神なのか。

 現実味の無い話に、丹亜は三匹の犬に埋もれそうになっている少年をぼんやりと見る。

「〝緑の手〟は、その遺伝か」

 そそ、とネンジが代わりに答えた。

「こいつの親父も〝緑の手〟だった。ほいほいと果実の木なんか生やしてくれたぜ」

 丹亜は皿を布巾で拭いつつ、知ったことを頭の中で整理し、顎を引いた。上目づかいにネンジを見上げる。

「果ての地は世界を移動していて、容易く行ける場所ではない。迷い込む者が居たからこそ存在が知られている。そなたもそう(・・)なんだな?」

 男はへらりと口の端で笑うだけだった。

 ヒコが、犬を放して身を起こす。まだ残っている食器の砂を落としながら、思い起こすように言った。

「父さんは殆ど不老不死だけど、オレは普通に死ぬらしい。いずれ先立つなら今行くといい、と言われたんだ」

 ネンジが、帯の合間に両の親指だけ突っ込んでふんぞり返る。

「あんなお花畑しか無い場所で一人だけ朽ちてくくらいなら、外でてみたらどうだって俺が連れ出してやったのさ」

「迷子は自力で出れないから、外界に出してくれたのは父さんだけどね」

「その後の面倒を見てやったのは俺だろうが」

「最初だけね。今や生活費の大半はオレが稼いでるよね」

「まぁなんだ、楽しんで生きてきゃ、大陸も悪かぁないだろ」

 微妙に話を逸らして、ネンジはわざとらしく笑う。

 今後の道行がいささか不安になる丹亜に、ぐうたら男はぱたぱたと片手を振った。

「つーか、さっさと終わらせて寝ようや。俺ぁ、くたくただぜ」

「ネンじい、何もしてないじゃん。なんでついて来たのさ」

 呆れた風にヒコが丹亜の内心を代弁する。ネンジは不貞腐れた顔で返してきた。

「お前らが手伝いに出たのに俺だけ残るなんて、居心地悪いじゃねぇか」

「変なトコで小心なんだから……」

 ぼやくヒコの背を、ネンジはばしんと叩く。

「まぁ、今日もしっかり働いたな、お前。明日もいい日だぞ」

 この中年はだいぶん酒精が回っているのではないかと思えてきたが、丹亜は黙して食器を拭き続けた。

 やれやれと思うものの、不思議と不快ではなかったから。



 翌朝、目覚めると、膝元で成が正座していた。

 申し訳ございません、と床に額を擦り付けんばかりに頭を下げる。

 寝惚けまなこで起き上がり、よい、と丹亜は告げた。

「昨夜のことなら、気にするな。自力で寝床に行っただけ、わたくしより上出来だ」

 ですが……と恥入った様子の侍女を、立ち動きつつも物珍しそうにレゾ家の面々が見ている。自分達は本当に変わって見えるのだと丹亜は解った。

 丹亜だけでなく、成も振る舞いに気をつける必要がある。丹亜が庶民ぶっても、成がかしずいてしまっては何にもならない。

 同い年で他の近侍達よりくだけた印象があったけれど、こうして見ると一通り侍女として教育を受け、合格のお墨付きがあったからこそ城勤めをしていたのが判る。

 仕切を立て、成はいつものように櫛や銅鏡、着替えを整え、手伝おうとする。櫛を取った侍女の手を、丹亜は押さえて止めた。

「成、この旅の間、わたくし達は姉妹か友人でなくてはならぬ。あまり、わたくしの身を構うな」

 成は聞くやいなや、表情を歪め、瞳を潤ませた。

御髪(おぐし)をお護りできなかったわたしは、侍女失格ですか」

 そうではない、と丹亜は適当に短い髪を梳き、一人で着替えに挑戦する。身支度をしながら、このまま街道に出た場合の危うさを伝えた。

「街は人が多かったろう。万が一ネンジ達とはぐれた時、今のわたくし達では、かどわかされる危険が高い。髪どころの話ではないのだ」

 傍に控えたまま、何度も成は袖口で目元を拭った。さめざめとし、口惜しそうに洩らす。

「由緒ある御髪ですのに」

 全て剃ったのでもないのに、そうも悔しいのか。

 拘りが無かった丹亜は些少の困惑と共に、ワク家から譲り受けた草原の民族衣装を身に着ける。筒衣のように長い、膝丈の上着が特徴だ。

「金の混じった御髪は、先々代から受け継がれていると聞いております」

「あぁそれは、曾祖母(おばあ)様がロマ公国の出身だからよ」

「えぇ、巫女宗家の」

「ということになっているが、家格を合わせる為だけに養子とされたにすぎぬ」

 は? と成が褐色の目を見張る。

 特別に秘匿されていることでもないので、丹亜は細い帯を腰に巻きつけて明かした。

「父祖直系の血は保たれているけれど、伴侶の家柄はこの二百年で様々。先々代は位に就く前の遊学中に、ロマの市井で曾祖母様を見初められたとか」

「……そ、そうなのですか……」

 気が抜けたように成が応じ、そうなのだ、と丹亜は笑んで見せた。

「だから、そんなに気に病むな。昨日も申した通り、わたくしの髪は伸びる」

 はい……と成は床に目を落とす。

 納得できたのか、以降、丹亜が短い髪を好んでしばしば切るようになっても、成は嘆かなくなった。

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